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「見覚えのある海」《週刊READING LIFE Vol.77「船と海」》


記事:青木文子(天狼院公認ライター)
 
 
ガシャガシャと音がする。
フェンスを握りしめる手が痛い。靴先をフェンスの穴にねじ込んでなんとか足場をつくる。もう少し登ろうかそれともやめようか。とはいうものの、ここからの降り方がもうわからない。木に登って降りられなくなる猫みたいだ。熱に浮かされたようにまた手を伸ばしてフェンスをつかんでいた。
 
住んでいた社宅の前のグラウンド。バックネット裏の部分だけひときわ高いフェンスになっていた。いつもそのフェンスを見上げていた。7才の私にとって、フェンスの上は未知の世界だった。運動神経は良くなかった。そして要領も良くなかった。いつかあの向こうを見てみたい、あの高みに登ってみたい。ずっとずっとそう思っていた。
 
1学年2クラスしかない小さな小学校に通っていた。クラスメイトは町に一つしかない幼稚園からの持ち上がり。だれもが顔見知りの中に、わずかに転勤族が混じる町。昔からの地元の人の中で転勤族はやや肩身の狭い思いをする町だった。社宅には転勤族が寄り集まって住んでいた。何棟かある社宅のA棟。一番西の2階に私が家族と住んでいた部屋があった。
 
ある日友達と、休み時間に小学校の校庭の遊具で遊んでいた。地面からニョキニョキとでている高さがマチマチの丸太の遊具。その上をひょいひょいと跳びはねながら進んでいく。飛びながらふざけあった拍子に、友達がそこから落ちた。地面にうずくまった友人をのぞき込むと腕が動かなくなったという。友人を保健室に連れ行くとそこからは大騒ぎになった。
 
そのまま早引けをして病院に行ったらしい友達は右手を骨折していた。次の日友達は腕にギブスをはめていた。首から三角巾で腕をつっていた姿はたちまちクラスの注目の的になった。「大丈夫?」「どうしたの?」「荷物もってあげようか?」
子どもたちが、物珍しく転校生に群がるように、彼女は好奇心と同情心の輪の中心になっていた。知らぬ間に骨を折ったのは私のせいになっていた。子ども心に居心地の悪さを感じたが、何も言えなかった。一緒に遊んでいただけだったのに、という言葉を飲み込んで、私はその輪から離れることしかできなかった。
 
彼女は地元の地主のおうちの娘さんだった。友人が骨を折ったことは翌日に学校から母に電話で連絡が行ったらしい。母に促されて、その夜一緒に彼女の自宅に謝りに行った。
 
祖父母が同居しているというその家は、日本家屋の大きな家だった。玄関先で菓子おりをだしてわびる母の横で、わけもわからず頭を下げた。奥から彼女のおじいさんがでてきたかなりの剣幕で怒っていた。私ばかりが怒られる話なんだろうか。おじいさんの後ろに隠れるように友人がこちらを見ているのが見えた。人はこうやってそれぞれの立場を守ろうとする。「右手を折るってどういうことが分かっているのか」強い言葉を投げつけられても、答えることもいいわけすることもできなかった。母が一緒に頭をさげていることが申し訳なかった。
気持ちの行き場がなくなった私は、それから学校ではひとりで過ごしがちになった。晴れた日の休み時間は、強制的に校庭に出される。校庭に出されても友達と遊ぶ気にはなれなかった。特にあの丸太の遊具の近くには行きたくなかった。校庭とは逆の正門の花壇のあたりでぼんやり花を眺めていた。花壇の近くに座り込むと目の高さにミツバチがやってくる。花に潜り込んで体中に花粉をつけるミツバチを眺めているうちに、休み時間の終わりのチャイムが聞こえてくるのだった。
 
ある日思いついた。
あのフェンスの上に登ろう。登ったからと言ってなにが変わるわけでもなかった。でも登れないと思っているあそこに登れば何かが変わるように気がしたのだ。
 
それは小さな小さな、でも心がバクバクと早鐘を打つようなプロジェクトだった。誰かが見ていたらとめられるだろうと思った。誰も見ていないときに登らなくちゃ。社宅の前はいつも誰かしらが歩いていた。何度か登ろうかとフェンスまで行ったがそのたびに誰かが通りがかって、フェンスから手を離したのだった。
 
そうだ。早く帰ろう。ひとりだけ早く帰ろう。学校からは田んぼに囲まれた道をのんびりあるいて40分ほどかかる道のり。ある日の帰り道、私はひとり走って帰ることにした。
 
帰りの会が終わると同時に教室から走り出た。ランドセルが背中でカタカタ音を立てた。後ろでチャイムが鳴っている。校門を出たのはたぶん一番だ。いつもは道草をしながら帰り道を走った。途中でであった買い物帰りのおばあさんが、なにごとだろうと言う顔で走って帰る小学生の私を振り返っているのが見えた。
 
フェンスにたどり着いた。ランドセルを地面に投げた。まだ息がはあはあ言っていた。フェンスに登ってなにになるのだろう。でも何かを変えたかった。フェンスを登ったら何かが変わる気がしたのだ。
 
大きく深呼吸をするとフェンスに手をかけた。
フェンスにしがみついてガシャリと手を伸ばした。すこし上のフェンスをつかむ。握りしめた手に力を入れてグッと身体を持ち上げる。足をフェンスの間に入れて、ホッと一息つく。またガシャリと少し上のフェンスをつかむ。その繰り返しで私は少しずつ身体をフェンスの高いところに運んで行った。
 
どのくらい時間がたったろうか。すぐ横にある家の屋根が上から見下ろせるようになっていた。ふと下をみて、思いがけない高さに、ハッとした。思わずバランスを崩しかけて、両手でガシャッとフェンスにしがみつく。その弾みに我に返った。こんな高くまで登ってきてしまって。どうしよう。
 
足下を見ると、はるか下に茶色の地面があった。上を見上げてみるとフェンスの一番上が見えた。どちらも遠かった。どうしよう、今から降りようか。それとも登ろうか。何度か下を見て、そして上をみた。迷った。降りるよりもフェンスの一番上の方が、すこし距離が近いような気がした。そう自分に言い聞かせただけだったのかもしれない。私は手を伸ばして、もう一度すこし上のフェンスをつかんだのだった。
 
それから私は何回手を伸ばしただろう。何回足をフェンスにかけただろう。背中は汗でびっしょりになっていた。なにか下の方から声が聞こえた。近所の人が危ないからおりなさいと言っていたようだったが、もうそれはどうでも良かった。そもそもここまで来たら降りられない。フェンスにへばりつくように一手ずつ私はフェンスを登っていった。
 
見上げるともうフェンスが残りわずかだった。最後手に違う感触があった。フェンスの一番上に手がかかったのだ。ぐっと身体を持ち上げると、顔の前にずっとあったフェンスが途切れた。フェンスの上に顔がでた。フェンスから半身を乗り出した。風が頬に当たった。私は深く深呼吸をした。人が見ているかもしれないとか、誰かに何かを言われるかもしれないということはもうどうでも良くなっていた。
 
その時だ。家々の屋根の切れ目から向こうに光るものが見えた。
 
海だ。
 
海が見えるんだ。
 
私は自分がフェンスの上にいることを一瞬忘れた。
 
海には船が浮かんでいた。横腹が赤いタンカーがゆっくりとゆっくりと動いていた。瓦屋根、トタン屋根。地味に濁った色の屋根の合間で海だけが光を集めていた。集まった光が響き合うようにキラキラときらめいていた。光は常に動き続けていて、まるで生き物のようだった。私はこの海をみるためにフェンスに登ったのかもしれないと思った。
 
そこからどうやってフェンスを降りたのだろう。もう覚えていない。覚えているのはその海のきらめきが私の背中を押してくれた事だけだ。
 
旅先で海を見ることがある。車窓から見える向こう。家の屋根と屋根の合間からみえる陽に照らされる海。坂の多い町。坂を登り切った向こうに見える横一直線青く広がる海。
 
海のきらめきを見るたびに、私はハッとして一瞬息をとめる。そして深く息を吐き出して、また深く息を吸い込む。あのフェンスの上から見た海と、この海は同じ海だ。私の見覚えのある海だ。あの時の私が先の見えない暗闇を抜け出せたのは、あの海から力をもらったからだ。海のきらめきに背中を押されて、私はまだこの先歩いていける。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
青木文子(あおきあやこ)(天狼院公認ライター)

愛知県生まれ、岐阜県在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学時代は民俗学を専攻。民俗学の学びの中でフィールドワークの基礎を身に付ける。子どもを二人出産してから司法書士試験に挑戦。法学部出身でなく、下の子が0歳の時から4年の受験勉強を経て2008年司法書士試験合格。
人前で話すこと、伝えることが身上。「人が物語を語ること」の可能性を信じている。貫くテーマは「あなたの物語」。
天狼院書店ライティングゼミの受講をきっかけにライターになる。天狼院メディアグランプリ23rd season、28th season及び30th season総合優勝。雑誌『READING LIFE』公認ライター、天狼院公認ライター。

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2020-04-27 | Posted in 記事, 週刊READING LIFE vol.77

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