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プロフェッショナル・ゼミ

家族の呪縛の元では感情を殺すことでしか生きることはできなかった《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:高橋和之(プロフェッショナル・ゼミ)

「ガシャ―ン!」
母親が怒って皿を床に投げつける音が聞こえた。

この原因を作ったのは自分である。

なるほど、と一つ学んだ。

自分は意見を出してはいけないのだ、感情を殺して生きていかねばいけないのだな、と。

自分は秋田の片田舎に生まれた。
両親がいて、4歳離れた姉もいた。
恐らくは普通の家庭なのだろう。

表面的には。

小学校低学年の頃までは普通に過ごしていた。
母親も父親も優しかった。
仲がよい普通の家庭のように思えた。

父親は寡黙であり、めったに怒らない。
教育熱心である優しい父親であった。
今も勉強好きなのは、父親の教育の影響は大きいと思う。
よい父親だった。

母親は心配性なせいか、こうしなさい、ああしなさい、ということが多かった。
低学年のころだと、気を遣ってくれている優しい母親なのだなと思うだけだった。

しかし、高学年にもなると徐々に違和感を覚えてくる。
ああしなさいということがやたらと多く感じた。
自分が言うとおりにしなくなると、

「お母さんの言うこと聞きなさい」

最後に必ず言う台詞である。
これで言うことを聞かないと大変なことになる。

烈火のごとく怒る。

さながら、おもちゃを買ってほしくて床で泣き叫ぶ子供のように、決して譲らない。
自分の意に介さないことは認めない。
自分の言うことが認められるまで荒れ狂う。

認められずストレスがたまると奇行に走る。
部屋のものに当たり散らすのは当たり前。
夜中の2時にドライブに行くこともあった。
さすがにこれは普通ではないよな、と思うこともするようになってきた。

自分が中学に入学した頃から、両親の関係が少しずつ悪化していった。
口論が頻繁に聞こえるようになった。

そうは言っても、主に母親が怒鳴っているだけである。
父親は多くを語らない。
聞いているだけなのか、何も言えないのか、どちらかは分からない。

高校生である姉との口論も聞こえるようになった。
姉もまた、

「お母さんの言うこと聞きなさい」

の被害者であった。

姉が徐々に家の中で引きこもるようになり、あまり会話をすることもなくなった。
もちろん高校にはしっかり通っていた。
しかし、あまり元気そうな表情ではなかった。

姉は高校を卒業した後に東京の大学へ進学した。
家にいるのは両親と自分だけとなった。

高校性になったある日のこと、たまたま英語のテストの結果が悪かった時に口論になった。
なんでこんなに点が悪いのだと、母親が怒鳴ってきた。
点が落ちたのなら塾に行け、と言うのが母親の主張。

自分も引かなかった、たまには点が悪い時もある。
だが、自分でも反省したので、英語の勉強をさらにすれば問題ないと思っていた。
塾に行きたくないわけではない、お金が無駄であると考えたからだ。
ここは譲れない。

しばらく口論が続いた。
2回連続点が悪かったら行く、という妥協案を掲示した。
すると、

「ガシャ―ン!」
母親が怒って皿を床に投げつける音が聞こえた。
自分に飛んでこないだけましかもしれない。

この原因を作ったのは自分である。

なるほど、と一つ学んだ。

自分は意見を言ってはいけないのだ、感情を殺して生きていかねばいけないのだな、と。
母親の言うことを聞かないと、この家では生きていけないのだ。

「お母さんの言うこと聞きなさい」

という、セリフも聞こえてきたので、この口論をとっとと終わらせるため、しぶしぶ塾に行くことを承諾した。

もちろん腹の虫は収まらない。
一ヶ月後の塾のテストで、英語、数学、国語、理科、社会の5教科総合で160人中1位をとった。
英語は単独でも1位である。
自分の意見の正しさを証明するため、思いっきり勉強をしたのだ。
無言だが、自慢気にテスト結果を見せた。

母親は何も言わなかったが、塾は3ヶ月でやめることになった。

このような争いや口論が絶えなかったため、徐々に母親とのコミュニケーションをとることを諦めるようになった。
母親が何か言ってきたら、言うことを聞くだけになっていた。

そして、自分の感情というものを忘れてしまっていた。

高校から帰ってきて、晩ご飯を食べたら素早く自分の部屋へ引きこもるようになった。
勉強をしたり、本を読んでいたりした。
その頃はインターネットなんてものはあまり活用されていなかったので、できることはこれくらいである。
後は、ゲームボーイと言う小型ゲーム機で遊んでいた。
小型と言っても、今のスマホよりははるかに大きい。

高校にはもちろん友達もいたが、あまり作らなかった。
感情を失った自分と会話をしても面白くもないのだろう。
実際、笑うことも少なかった。

数少ない友達とは勉強の話をすることが多かった、勉強が好きな人が周りに集まっていたのだ。
それはそれで楽しい時間であり、家での争いが多く、安らぎの自分には貴重な時間であった。

自分のいる世界は高校に少しだけと、部屋の中のみ。
とても小さい世界だった。

家では、自分の言いたいことも言えず、感情も出せなかったので、檻の中にいるようなものだった。

一刻も早くこの檻から出たかった。

幸い父親が、姉と同様に自分も東京の大学に行かせたがっていたので、勉強をすればこの檻から出られると思った。
高校時代は部にも入らず勉強に集中することにした。

早くこの家から出ようとの決意のもとに。

大学受験では、残念ながら本命の大学には受からなかったが、東京のある私立大学には受かったため、東京で一人暮らしを始めることになった。

やっとこの檻から出られる、東京行きが決まった時はガッツポーズをして喜んだものだ。
籠の中から出て自由に羽ばたいた鳥のような気分であった。

だが、東京に来たものの、あまり自分には感情というものが出てこなくなっていた。
長い間の檻での生活は、自分の感情にとってかなり堪えたものだったらしい。

ただし、自分の中に一つだけ感情は残っていた。

それは、

「怒り」

である。

なぜ、自分は自分の意見が言えないのか。
なぜ自分は感情を外に出してはいけないのか。

一人暮らしを始めた時でさえ、そう思っていた。
もう意見は言えるはずなのに、感情は外に出せるはずなのに。

檻で過ごした18年間は、自分の中に深い影を落としていた。

東京に来てからすぐに姉と会って晩御飯を食べることになった。
姉は新卒としてある会社に入社していた。

姉は開口一番、

「東京へいらっしゃい、やっと逃げてこられてせいせいするでしょ?」

と質問してきた。
姉もどうやら同じことを思っていたらしい。

実は姉とは性格が似ている。
まず、何かと我慢するし、自分の意見は言わない。
文句は言わないが、何事も何とかする。
本当は文句を言いたいのかもしれない。
飄々としていた。

晩御飯の大半は家族の話と姉の東京生活の話であった。
家族の話をしている時に、姉は唐突に、
「私ね、母親とのコミュニケーションを諦めたの」
と自分に告げた。
自分もそうだと答えた。

お互いに大笑いだった。

姉とは家族であるが、長年の苦労を共にした仲間でもあったのだ。

姉が東京生活の話をしている時は、いい顔をして笑っていた。
4年以上一人暮らしをして、ずいぶんと羽を伸ばせたらしい。

彼氏と一緒に暮らして半年で挫折したことや、就職活動がとても大変だったこと。
話の大半は辛かったことだったが、全て笑い話に変換されていた。

表情がころころ変わる姉を見て、心の底からうらやましいなと思った。

自宅で部屋に引きこもっていた時と比べてずいぶんと元気になったね、と質問をしたところ、
「そりゃあ、4年間も自由に過ごしたからね。誰かさんから何かを言われることもないし」
と、大声で笑った。

「そうそう、一つだけ言っておくわ」
と姉は続ける。

「いい女の子見つけて恋愛しなさいよ。色んな感情が出てくるから」

苦笑いするしかなかった。
高校までの青春を勉強にささげた自分にとって、恋愛なんて夢のまた夢のように思えた。
高校は共学だったので、もちろん女子と話したことがないわけではない。
だが、ハードルが高いように思えた。
それに、姉に感情が出てきていないことを見ぬかれたことが恥ずかしかった。

大学生活はそれなりに充実していた。
今思うと普通の大学生活であったように思う、だが充実していた。

大学の友人と旅行に行った。
友人からレポートをうつさせてもらって何とか単位をとった。
初めてのバイトでお金を稼ぐことに感動を覚えた。

そして、姉が勧めたように、恋愛もすることができた。
バイト先の先輩と恋人になったのだ。
初めての彼女だったので、色々な意味で、この年上の女性にドキドキもした。

ドキドキしすぎて、誕生日のディナーがモ〇バーガーという大失態もした。
誕生日がクリスマスイブの前の日だったのでどこも混んでいたのだ。
でも、年上の彼女は笑って喜んでくれた。

初めての恋愛に、それくらい緊張したし、分からなかったし、有頂天でもあった。

ちなみに、その後ストールをプレゼントして、フォローをした。

大学生活に慣れてきた頃には感情が少しずつ戻ってきた。
特に、笑うようになった。

大学生活の充実もそうであるが、恋愛が生活を彩らせてくれたようにも思う。
年上の彼女とは結構うまくいっていた。
愛されるという気持ちには、なかなか慣れなかったが、何を言っても受け入れてくれるという、その雰囲気がとても嬉しかった。
実家にいた時とは大違いである。

もちろん、時には口ゲンカにもなったが、すぐに仲直りした。

しかし、感情は出てくるようになってきたとはいえ、自分の中の「怒り」は完全には消えなかった。

東京に来てからはあまり実家に帰らなかった。
帰る頻度は2年に1回くらいである。

純粋に東京と秋田が遠かったこともあるが、母親と会いたくなかったというのが主な理由である。
母親とは距離を置いていた。

また、檻の中に戻るのかと思うと、たとえ数日でも辛かった。
一度籠から出た鳥に、もう一度籠に入れ、と言うのも無理であろう。

それに、実家に帰ると、
「お母さんの言うこと聞きなさい」

このセリフを聞く可能性があることがとても嫌だった。

そういえば、姉も大学時代に実家に帰って来なかったなと今頃になって気づいた。
同じ気持ちだったのかもしれない。

時が経ち、楽しかった大学生活も終え、社会人として働き始めた。
社会人になっても一人暮らしを続けていたので、一人暮らし歴は4年以上となった。

母親との関係は微妙なままであった。

そのせいか、「怒り」は未だに消えていなかった。
自分の意見も自由に言える、感情も自由に出せるはずなのに、である。
東京に来た頃と同じ疑問がいまだに残っていた。

なぜこの怒りは消えないのだろうか。

自分には感情が足りないのだろうか。
それとも、感情を揺さぶる体験が足りないのだろうか。
社会人にもなって使うお金に余裕が出てきたので、感情を揺さぶるような色々な体験をするようになった。

映画に行ってクライマックスで泣きそうになった。
クラシックのコンサートに行ってオーケストラに感動した。
遊園地でジェットコースターに乗り泣きそうになった。
美術を観て昔の画家はすごいなと感動した。
京都へ旅行に行き、神社やお寺を巡ってその景色を楽しんだ。
大笑いし、涙を流し、感情はだいぶ揺さぶられた。

色々経験をして、色々な感情が蘇ってきた。

だが、「怒り」は残った。

そして初めて理解した。

これは一度母親と対峙するしかないと思った。

社会人になってからは、忙しくて本当に実家に帰る時間がなかった。
強引に有休をとり実家に帰ることにした。

気がついたら3年ぶりであった。

たまにメールや電話をしていたとはいえ、両親に直接会うのは3年ぶり。

久しぶりに見る両親は、少し老けたが元気そうであった。

母親特有の心配性が出てきたらしく、会社はどうなの、美味しいもの食べてるの、と色々聞いてきた。
笑いながら普通に受け答えをした。
どうやら、しばらく距離を置いていたせいか、この会話を楽しむことができたようだ。
父親はそばで静かに聞いていた。
少しだけ口元が緩んだ時もあった。

しばらく話をしているうちに、毎年帰ってこないことに不満を言い始めた。
そして、

「お母さんの言うこと聞きなさい」

久しぶりに聞いた。
だが、今となっては、この言葉を冷静に受け止められるようになっていた。

自分は一言、

「なんで、帰って来るタイミングは俺の自由でしょ? それに仕事忙しいし」

と、柔らかく諭すように答えた。
昔のようにいがみ合って言うことはなかった。
自分の「怒り」と向き合うためにも、ここで引くわけにはいかなかった。

母親はしばらく沈黙した。

脳裏には、いきなり皿を割りはじめた母親の姿もよぎった。
ケンカにならなければ御の字である。

沈黙は数秒続いた。
たったの数秒なのだが、この沈黙の時が何時間も流れているかのように思えた。

母親は、

「そうね、忙しければしょうがないね」

と、母親は笑いながら答えてくれた。

流石に、笑いながら答えてくれるとは思っていなかったので少し拍子抜けした。

この瞬間に「怒り」は消えていた。

ただ、母親に自分の意見を聞いてほしかっただけだったようだ。
反論をして認められたことは、人生で初めてだった。

母親に何か変化があったのかはわからない。
だが、そのまま受け入れてくれた。

もう、感情を殺す必要はなかった。

もう、自分の意見を言ってもよいのだと、感情を自由に出してもよいのだと、やっと許すことができるようになった。

籠の中にも入れるし、自由に外にも行ける鳥のようになれた気がした。

それから何年も経ち、今となっては自分の感情に素直に生きてこれるようになった。

もう、感情は取り戻しているが、もっと色々な感情を味わいたいと思いながら過ごしている。

そんなことを思いながら、数か月前から興味深いことを始めた。

多くの人に読んでもらえるブログを書きたい、と言う理由で、ある場所でライティングを習い始めたのだ。

具体的にどことは言わないが、仮にT書店としよう。

習い始めてすぐに、ライティングがとても楽しいという気持ちがわいてきたことに驚いた。
元々新しいものを作ることが好きだったからかもしれないが、とても楽しいのである。

それとは別で、自分のことを書く、ということが、いかに自分の感情と向き合うことができることか。
そのことにとても驚いた。
ライティングには自分の気持ちを整理するという別の機能もあったのだ。

他にも驚いたことがある。
他の参加者の文章や、その文章への感想も読むのだが、自分なんかよりははるかに感情の起伏もあり、表現も豊かであり、読んでいてとても面白い。
とても心が惹かれるのである。
自分の感情の出し方、表現の仕方はまだまだである、と思った。

T書店とそこにいる人と関わっていると、さらに色々な感情を味わえそうである。
しばらくお世話になろうと思っている。

最近噂で聞いたところによると、その書店は演劇もやっているらしい。

そういえば、映画やコンサート、美術等は色々観たが、演劇はまともに観たことがなかった。
感情をより深くするために、東京でやるなら観に行ってみようかな、と思った。

開催地は、福岡。

感情がより豊かになるには、まだ時間がかかりそうである。

***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、店主三浦のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。

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