映画「怒り」を観て、想い出したのはあの日、京都駅で僕が信じた人だった《リーディング・ハイ》
記事:牛丸ショーヌ(リーディング&ライティング講座)
「あの、よろしいですか?」
JR京都駅の切符売り場前で、右横から突然声をかけられた。
右側を向くと、50代らしき女性が独り、すがるような眼で僕を見ていた。
「はい?」
「実は……父の見舞いで神戸まで行かないといけないのですが……財布を落としてしまって……千円、千円でいいんで貸してくれませんか?」
大阪に住んでいた今からちょうど10年前。
当時、営業で京都、大阪、神戸(三ノ宮)を1日で移動することが珍しくなく、その日も京都駅で取引先との商談を終えて帰ろうとしたときのことだった。
自宅から会社までの定期券(ICOCA)は会社から与えられていたが、営業中の交通費は原則自腹の現金払い。
後に清算して戻ってくることになっていたので、電車営業の多い僕は常にある程度の現金を持ち合わせていた。
「千円?」
僕は一瞬考えた。
確かに、京都から神戸までは千円ほどの電車賃で行ける。
ウソをついているわけではない。
「あ、いいですよ」
僕は躊躇することなく、財布から千円札を抜き出し、手渡した。
「ありがとうございます。本当に助かりました」
「いえいえ」
「あの、お返しするにはどうしたらよろしいでしょうか?」
「あ、そうしたら……これ」
僕は名刺を差し出した。
名刺には会社名と電話番号、もちろん僕の名前も書いてある。
「ここに、送っていただければ」
「分かりました。本当にありがとうございました」
女性は心底、僕に感謝しているような表情で頭を下げた。
僕は帰りを急いでいたのと、他人に親切をしたことが何だか照れくさくて一刻も早くその場を離れたかった。
「それじゃあ」
振り返ることなく駅の改札口を通り過ぎた
僕は社会人になってから、本日まで駅や街で異様なくらい他人から話かけられる性質だ。
割と年配の方々からは当然のこと、外国人からも多い。
英語を流暢に話せるわけではないので、何とかだましだまし応えている状況だ。
英語ならまだしも、最近は韓国や中国からの観光客が多いため苦労することが多い。
なぜ、僕はこんなに話しかけられるのか?
一度、真剣に考えたことがある。
話かけやすい雰囲気を醸し出しているから。
答えてくれそうなオーラを持っているから。
顔が濃ゆいので、外国人にとっては安心感を与えるから。
大体がこの3つに当てはまるだろうと妻と話をしていて結論に達したことがある。
しかし、この京都の場合は道を尋ねられるのとは趣きが異なる。
お金を貸したのだ。
見ず知らずの他人に。
しかも、相手の名前も連絡先も訊いていない。
その日、会社に帰ってから、同僚にこの話をすると皆から揶揄された。
「絶対ウソよ。お金、返ってくるわけないやん」
「はぁぁあ?」
僕はワケが分からなかった。
なぜ、あんなに喜んで僕に感謝の意を表していた女性がウソをつくことなんてあるのか?
「よし、じゃあもし返ってこなかったら飲み1回おごりね!」
「いいよ。名刺も渡したし、絶対に返ってくるよ」
僕は名も知らぬ女性を信じた。
この賭けから10年以上が経過した。
僕はその後、福岡、東京、再び福岡と移動し引越しを繰り返した。
この賭けは「期限」を決めていなかったが、とっくに僕は負けを認める時期にきていた。
なぜ、あの女性は僕にウソをついたのか。
いや、ウソはついていない。
本当に神戸に行ったが、お父さんの様態が急変してそれどころではなかった。
もしくは、名刺を紛失してしまい、返そうにも返せなかった。
僕の頭の中で何通りものイマジネーションが膨らんだ。
だけど、真実は分からない。
名も知らないあの女性はどういう気持ちで僕からお金を受け取ったのか。
お金の額が小さい、大きいは問題ではない。
僕はあの女性をただ、信じたかった。
その後、関西圏ではこのような手口で現金を奪われる事象は珍しくないと知ることになる。
僕にも反省すべき点は山ほどあった。
普通は交番に行くのが先だろうとか、駅員に事情を話してどうにかしてもらうだろうとか。
でも、もう遅かった。
それから三カ月経過したころには僕も諦めがついていた。
信じなければよかった。
疑うことなく信じた僕がバカだったと悔やんだ。
2016年の9月に映画「怒り」が公開された。
映画化されると聞いて、原作を先に読んでいたが、トレーラー(予告編)を観ただけでもこの映画のもつ熱量は凄まじく、豪華俳優陣が出演しているという話題性だけではなく、映像から漂うただならぬ雰囲気に期待が高まった。
物語は東京、千葉、沖縄の3つも物語が交互に展開する。
東京八王子で起きた殺人事件の犯人はこの3つの物語に出てくる誰かなのか?
僕は当然、原作を読んでいたので犯人は知っていた。
それでも、号泣した。
もともと昨年の9月はアニメ映画の「聲の形」が公開され、人生史上もっとも涙した映画になっていたのだが、この「怒り」は種類の違う感動のだった。
人間の奥底にある、弱さだったり、汚さだったりが浮き彫りにされているようで痛々しかった。
そして、俳優陣の熱演にいちいち鳥肌が立ってしまった。
この映画のテーマは「信じる」ことだ。
人が人を信じるってどういうことだろう?
妻は夫を信じることができるのだろうか。
父は子を信じることができるのだろうか。
恋人どうしは?
友人は?
会社の同僚は?
この映画は「信じる」ことの難しさを観終えたときに考えさせられる。
そして、真っ先に脳裏に浮かんだのは、あの京都駅で出会った名も知れぬ、僕の信じた女性の安堵した表情だった。
顔は忘れたのに、表情だけを覚えているのは不思議な感覚だ。
僕は今でも、どこかであの人がお金の返し先が分からずに困っていると信じてたい。
紹介作品
「怒り」吉田修一(著)
映画「怒り」(2016)
………
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