チーム天狼院

『演じてみたい』と思うぐらい、魅力的な人たちの物語。


記事:永井聖司(チーム天狼院)
 
どうしてその本を手に取ったのか。今となっては、よくわからない。

もう、10年以上前の話である。

学生だった当時、本屋に行く度にマンガの新刊コーナーをチェックするのが習慣になっていた。

ジャンプやサンデーなど、メジャーな雑誌で連載中のマンガの単行本が並ぶ中に、その本はあった。

異質だった。

黒い、ハードカバーの表紙。中央には、着物のような服を着た、笑顔の少年が絵が書かれていた。

普段は、メジャーマンガ誌で連載中の作品の単行本を買うのが主で、知らないマンガはあまり手に取っていなかったのに、なぜか惹きつけられた。手に取り、内容はどんなものかと探ってみるが、ビニールで包まれているせいもあってよくわからない。
持ち上げ、眺め、置く。1度他の棚を見てみるけれど、やっぱり気になってもう1度戻ってきて、持ち上げ、眺め、置く。

そして確か、初めて出会ったその時は、買うのを見送ったのだった。
どんな内容かもわからないのにチャレンジは出来ない。そう思ったのだ。

でも結局、その後本屋に行く度にその本が気になってしまえば、買わざるを得なかった。

家に帰り、ビニールを剥がす。そしてページをめくれば、美しい絵で描かれた、大正の世界があった。

主人公は、表紙にも描かれていた、地方から上京してきた少年、田神正崇。彼が、ひょんなことから、侯爵家の御曹司・斎木蒼磨と出会うところから、物語は始まる。

ページをめくりつつ、物語を追っていくと、『あれ?』と思った。

蒼磨が、斎木家に住まう書生・寺島と愛し合う場面が出てきたのだ。

『おやおや?』と思ったけれどもう遅い。物語の中では、寺島が蒼磨に対して愛の言葉を囁き、胸を舐めている。またページをめくれば、寺島は蒼磨によって貫かれていた。

BL本だ、と、気づいたのは、ようやくその時になってだった。帯にそのようなことは書いていなかったはずだ。いや、ほとんど少年マンガしか読んでこなかったから、そういった『匂わせる』表現に気づいていなかっただけかもしれない。

そのことに気づいた時に、ページをめくるのをやめることも出来た。

でも当時は、今よりもお金のない、学生身分。もったいない精神が発動し、読み進めた。蒼磨は次第に田神に惹かれていき、一方で、蒼磨を愛する男たちが次々と登場する。

そして上巻の最後は、田神と蒼磨の、激しい性交シーンで終わった。

そういう世界があることは、それまでも知っていた。オタクの多かった演劇部に所属していれば、そういった話も当然のように飛び交っていた。でもさすがに、自分には無関係だと思っていた。本屋で、そういったコーナーに入ってしまった時は恥ずかしさで少し汗をかきつつ、そそくさとコーナーから退場していた。

人生初のBL本。
そこで終わることももちろん出来た。徒歩2分のところにあったブックオフにすぐさま持ちこむことも出来た。
でも僕は、そうしなかった。むしろ、何度も読み返していた。中巻はいつになるのだろう? と、待ち望んでいた。

1年後、さすがに上巻の記憶が曖昧になった頃、書店に中巻が並んでいるのを見つけた時は目を見開き、即座にレジに持っていった。

この本をきっかけに、BL本に目覚めたとか、そういうこったことは全くない。
周囲にどう思われるか、ということを考えれば、もちろん友だちに話したこともなかった。

更に1年後。下巻が出たときには、それこそ恋する乙女のように、見つけた瞬間、喜びを隠しきれなかった。

上巻に出会ってから丸2年。週刊少年マンガなどでは考えられないぐらいの焦らされ方で進み、完結したこの物語の結末に、僕は魂を抜かれたような気分になった。

それまでの、およそ20年間の人生の中で出会ったことのない、マンガだった。BL本だったから、というわけではない。感想を言葉にしたくても、言葉に出来ない。なんと表現して良いかわからない。感想として言葉で表現するには、とてつもなく多くのことを話せばいけないような気もするけれど、でも、感じたことを表すための言葉を持ち合わせていない。そのもどかしさとモヤモヤが残る、でも、絶対的に素晴らしい、凄まじいと思える作品であることはわかっているという、とても不思議な状態だった。

そんな中で、明確に頭の中に浮かんだことが一つだけあった。
『演じてみたい』だった。

2004年の日本アカデミー賞。『赤目四十八滝心中未遂』という作品で、最優秀主演女優賞を獲得した寺島しのぶさんは、原作本を読んで、『この本を映像化する時は是非私に演じさせてください』との手紙を、原作者に送ったそうだ。
中学・高校・大学と演劇を続けてきた僕の頭では、この本を読み終えた瞬間にそのエピソードが蘇ってきたのだ。
もしも一生に一度、何かの役を演じて良いと言われるなら、この作品の登場人物たちを演じてみたいと思った。僕自身の顔面偏差値の低さは置いておいて、の話である。

『この、理解できない人たちを演じてみたい』
と思ったのだ。

大学生の頃から今までずっと僕は、『穏やかですね』とか、『感情の起伏があんまりないですね』とか,『変わらないですね』とよく言われる。
小さい頃からそうだったというわけではなく、中学生ぐらいから意識的にそうするようにしてきた結果ではあるのだけれど、そんな僕からすれば、この作品の中に登場する人たちの『激しさ』は、とても魅力的で、かつ『理解不能』だった。
登場人物たちの激しい感情のぶつかり合いは、BL本であることや同性愛に関する内容であることを、僕に忘れさせるぐらいだった。こんな風な出来事があり、愛し合った2人ならば、同性であることなど関係なく、愛し合うことが当然だと、自然と感じさせるぐらいの力があった。

主役である田神と蒼磨はもちろん、彼らを取り巻き、蒼磨に恋する男たちの姿は特に、『演じてみたい』と思うぐらいに激しく、魅力的だった。

映画『ジョーカー』の最後で、ジョーカーが自分本来の感情を爆発させる場面に、心を打たれた人は多いと思う。『ジョーカー』だけでなく、ドラマや映画、日常生活の中でも、それまで見せたことのない、真の、その人の姿を見せる場面や豹変する場面には、悪魔的な魅力があると言えば、納得してくれる人も多いだろう。

この作品の中では、そんな場面に溢れている。

皆が皆、感情をむき出しにする。

医者であったり真面目な会社員や書生であったり、それぞれの立場の違いはあっても、理性的に自分自身を律してきた人たちが、『むき出し』の感情をぶつけ合い、そして子どものように、愛する蒼磨を自分のものにしようとする。その姿は、とてつもなく魅力的な見えるのだ。『むき出し』の姿を見せることは、冷静に見てしまえば醜くて汚くて、見たくないように感じてしまう所もあると思う。
でもその姿はとてつもなく人間らしく、野生動物の生き様を見るかのように、美しく感じるのだ。
『演じてみたい』
『彼らを演じてみれば、自分の人生は何か変わるのではないか』と思うぐらい、その姿は魅力的で、引き込まれていく。

そして、実に人間らしい人々の姿に目を奪われている内に、物語は終わる。
BL本であることなんて、まるで気にならなくなっていた。
『愛』の物語だ。
登場人物それぞれの『愛』をぶつけ合い、そのエネルギーのぶつかり合いに、ただただ圧倒されてしまう。
『人間』の物語だ。
僕だけではない。自分自身を抑える風潮があると言われている今の時代の人達なら、登場人物たちの姿に必ず共感できるだろう。

そしてこれは『救い』の物語だと思った。
登場人物それぞれに、それぞれの形で、『救い』が訪れる。
それは決して、全てが全て、幸せな形で終わるものではない。
それでも、ここまで激しい自分自身をさらけ出してきた人たちに訪れるそれぞれの結末には思わず、良かったね、と思ってしまうのだ。

ここまで魅力的な人々をもしも演じることが出来るとしたら、人生が変わるかもしれない。
それは一生叶わない願いかもしれないけれど、それほどまでに魅力のある『桜狩り』という作品を僕はきっと、一生忘れることはないだろう。

良ければあなたにも、この気持ちを、味わってほしい。


2020-03-23 | Posted in チーム天狼院, チーム天狼院, 記事

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