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チーム天狼院

天狼院に転職しなければ、こんなにイライラすることもなかっただろうに。


記事:永井聖司(チーム天狼院)
 
エスカレーターで上の階へと向かいながら、僕はその時舞い上がっていた。
たった今見てきた展覧会の素晴らしさを、噛みしめるように思い出していたのだ。
本物かと見間違うようなリアルな表現や、作品から伝わってくる空気感など、全てが良かった。
こういった展覧会に出会うことが出来ると、素晴らしい映画や体験などに出会った時と同じように、世界が少し輝いて見えるようになる。
帰り道の足取りも軽くなる。ネガティブだった気持ちもどこか晴れやかになり、『よしっ! 仕事頑張ろ!』と思える。

そんな、ウキウキした気分を抱えながら1階に到着し、出口へと向かう。
その途中に、絵が飾られているのが見えた。ガラス張りの、ギャラリーだった。

展覧会の興奮冷めやらぬ僕は、また新たな出会いが、感動があれば良いと思い、中に入った。
 
「いらっしゃいませ。こちらが、作者のプロフィールになりますのでご覧ください」

受付の女性から手渡されたのは、ポストカード型の告知物だった。会場にも飾られている絵と、作者の簡単なプロフィールが書かれている。

内容を見た瞬間、僕は思わず足を止め、小さく呟いてしまった。

「1988年生まれって……」
 
同い年だった。

「たまたま今日は最終日で、作家さんがいらっしゃてるんですよ。あの、黒い服を着ている女性なんですけどね」
案内してくれる先には、別のお客さんと談笑している女性の姿があった。同級生と言われれば、納得できる顔立ちだった。

僕は、彼女から目を反らして、絵を見始めた。
日本画風の絵で、可愛らしい動物たちが描かれている。見ているだけで癒やされるような雰囲気のする、絵だった。
『良いな』と思った。

そして絵の横にある、値札を見た。
99,000円
文庫本を横に2冊並べたよりも大きいかどうかのサイズの絵だった。
 

小さな衝撃が、胸に走った気がした。

それ以外にも、全ての絵に値札が貼られていた。
A4コピー用紙よりも少し大きいぐらいの絵の横には、264,000円の値札が貼られていた。

「作者の〇〇さんは、東京藝術大学を卒業されまして。その後、古い絵の修復作業なんかもされているんです、その技法などを活用された方法で……」

僕に購入する気があると思ったのか、女性は丁寧に説明をしてくれた。
内心、やめてくれ、と思ったけれど、止まることはなかった。
このお馬さんはこうこうこういう意味があって。この作品もカッコいいですよね! などなど、滞在時間は10分ほどだったと思うけれど、その都度、女性は僕に丁寧に説明し、僕の心は徐々に暗くなっていった。

「おウチにお迎えするとしたら、どの絵が良いですか?」

最後に、笑顔の女性に問いかけられて、僕は言葉に詰まった。

おいそれと手を出せる金額ではない。いやそれよりも。

「そうですね〜……この、馬の絵とか、ですかねぇ〜……」
 

へらへら笑いながら答えている自分が、どうしようもなく情けなくなった。

同い年の人の作品1枚が、264,000円で売られている。

もちろん僕は、その女性作家さんがどれぐらいの苦労をしてきたかを知らない。東京藝術大学だ。東京大学に入る以上の倍率とも言われる大学に入るのだから、浪人生活を何年も送ったかもしれない。卒業したからといって順風満帆な生活状況とは言えないかもしれない。
社会人生活9年目の僕と比べれば、もしかすると年収は僕の方が高いかもしれない。

それでも、たった1枚の作品が264,000円で取引される価値があること、実力があることに、僕はどうしようもない、敗北感に近いようなものを感じていた。
 
例えば、この文章を100円で売ったとして、買ってくれる人がいるだろうか? 買わなくても良い。目を留めてくれる人がどれぐらいいるだろうか。

女性作家さん直属のスタッフというわけではないけれど、その展覧会会場には、3名のスタッフがいた。
その作家さんの作品を紹介し、管理し、販売するために、3名のスタッフがいるのだ。

では僕の場合、僕の文章を売るために、3人のスタッフが動いてくれる、ということがあるだろうか?

ありえない。

価格の面、人の面、どちらの面で考えてみても、そんなことなどありえないことはわかっている。わかりきっている。

この会場に入った時のウキウキした気分はどこへやら。僕は、イライラしていた。
女性作家さんに話しかけることはもちろんなく、お見送りしてくださるスタッフの方に愛想笑いをして、会場を後にした。
 

「くそ……!」

渋谷の街を歩きながら、小さく呟いてしまっていた。

「あーー、イライラする……!」

イライラが、止まらなかった。
こんな場面、今までだって沢山あったはずなのに、変だな、と思った。
 

同い年の有名人で1番最初の記憶は、卓球の福原愛選手だった。
『選手』と呼ばれる前から、よく、泣きながら卓球をしている姿がテレビで放映されていたのを覚えている。そしていつだったか忘れたけれどある日、同い年だということを知って驚いた。
同い年で、こんなにもテレビに出て活躍している人がいるんだ、と思った。
そして、出来れば有名人になってみたいなと、子どもの浅はかな考えで妄想していたことを、覚えている。

時は流れ、もちろん有名人になんてなることはなく迎えた高校生。
同い年の有名人が、ボコボコと活躍し始めた。誕生日が同じ堀北真希さん筆頭に、黒木メイサさんや戸田恵梨香さんなどなど、同い年の有名人が増えた僕の心は、少しザワついていた。同い年があんなにも活躍しているのに、栃木のど田舎で何をやってるんだろう? と思っていた。

高校3年生の夏には、ハンカチ王子こと斎藤佑樹投手と田中将大投手の、甲子園での戦いが世間を賑わせた。
同い年の話とは思えないほどの迫力と、話題性、テレビを通しても感じるスター性。
 

このあたりで、大体の人がたどり着くだろう『諦め』に、僕も到達した。
『僕には、有名になる素質なんてなかったんだ』
『有名になることのない星の下に生まれたんだ』
そう、思えるようになった。

有名人は有名人。僕は僕。
生きている世界が違う。そんなことで悩むなんて、羨むなんてバカだと、思えるようになった。

それは決して悪いことではなくて、精神衛生上はとても良かったことだと思う。

テレビの中はテレビの中のことと捉え、変にイライラすることがなくなった。有名になれたら、なんて無駄な妄想をして、心を痛めることもなくなった。
穏やかな心・人格が手に入れられた。
これで良いじゃないか。

そう、思ってきたはずなのだ、ここ10年ちょっと。
 

なのに、イライラしている。
渋谷の街を歩いてみても、立ち食い蕎麦屋に入ってお昼を食べていても、さっきのイライラが収まらない。
10年以上掛けて作り上げてきた人格が、少しずつ崩れていってしまうような感覚がある。

いつも穏やかに、他人は他人、自分は自分と考えて生きてきたはずなのに、どうしてしまったんだろうか。

答えは、明白だった。
 

悔しい。

あんな風に個展を開けている女性作家に、僕は嫉妬していた。264,000円で絵を売ることの出来る実力を身に着けているその女性が、羨ましかった。
それだけではない。テレビや舞台で活躍している、同い年の芸能人やスポーツ選手に対しても、嫉妬していた。
もちろん、女性作家がそうだったように、スポーツ選手や芸能人にだって様々な苦労があったと思う。そうなれていないのは僕の努力不足だと言われれば、否定しようがない。

そうだとしても、単純に悔しかった。

この感覚は、封印していたはずだった。
福原愛選手を見た時に、堀北真希さんや黒木メイサさんの活躍を見た時に、小さな小さな種火だけがあったそれは、消してきたはずだった。
斎藤佑樹投手と田中将大投手の投げ合いを見て、諦めてきたはずだった。忘れてきたはずだった。

それなのに、戻ってきてしまった。
戻ってきてしまったどころか、大きな大きな炎となって、燃え上がってしまった。
この炎は無いほうが良いと、わかっていたはずなのに。

どうして、この感情が戻ってきてしまったのだろう。

前の会社にいたときは、こんなイライラすることはなかったのだから、原因は、1つしかない。
 

『あー、この記事面白いなー……』

渋谷から池袋へ戻る電車内で、僕は天狼院書店のHPを見る。
『チーム天狼院』とカテゴリー分けされた記事の中で、同僚の記事を読む。そして、イライラする。
面白くて、イライラする。
どうして僕にはこんな記事を書くことが出来ないのか。こんなテーマを書けるような経験が無いのだろうかと考え、イライラしてしまう。

イライラの矛先は、同僚だけではない。お客様の記事にだって、向けられる。
ライティング・ゼミ、という、『人に読まれるような』文章を書けるようになるための4ヶ月コース。その中の課題である、『毎週2000字の記事を書く』という項目で基準をクリアし、天狼院書店のHPのに掲載された記事を見て、また僕はイライラする。
どうやったって今の僕には書くことの出来ない記事を軽々と書くお客様に対しても、イライラしてしまうのだ。

 
ライティング、カメラ、演劇、小説などなど、お客様もスタッフも関係なく、クリエイターの集まる環境に入って間もなく1年半になる。
イライラするようになったのは、間違いなく『ここ』が原因だ。
『面白い』という感想しか出ない記事、見とれてしまうような写真、のめり込むように見てしまう舞台などと、頻繁に向き合わされる。
クリエイティブなものだけではない。
僕とは、世界が違うとしか思えない経歴・経験を持った人たちや、『こんな風に年齢を重ねたい』と思える魅力的な人たちが、講師の先生たちやお客様の中にも溢れている。
憧れを持ってそういった作品や人たちを見る度、僕自身を振り返り、イライラさせられるのだ。

でも今、僕はもう、このイライラを封印することをやめようと思う。
 

『悔しいと思うなら、まだ戦えるね』

その言葉は、とあるマンガの中で登場した言葉だった。確か、マンガの帯にも書かれていた言葉だった。
アートをテーマにしたマンガということで、以前から気にはなっていた。評価が高いのも知っていた。
ただ、買ってみて失敗だったらどうしよう。そう思って躊躇していた。
でも、その一言に撃ち抜かれた。

絵を描くことの面白さに目覚めた男子高校生が主人公のこのマンガは、現在7巻まで発売をされていて、6巻までは、東京藝術大学の現役合格を目指すストーリーになっている。
『アート』という正解の見えない世界の中に飛び込んだ主人公は、絵を描くことに目覚めることが遅かったことや、才能あふれる同級生たちの作品を見て、何度も心が折れそうになる。

その時に、主人公の友だちが掛ける言葉が、これだった。

『悔しいと思うなら、まだ戦えるね』

ここまで直球な、真理を表した言葉はないな、と思った。
 

悔しいと思えなくなったなら、戦いの場から身を引くべきなのだ。
『悔しい』と思えなくなるのは、他人のせいじゃない。自分自身の問題だ。
僕が、同い年の有名人たちの活躍を見て、『僕とは違う世界だ』と諦めたように、背を向けてしまったら、もう戦えない。
嘘や卑怯な手を使って戦った時だって、そうだ。それで勝ったとしたって、悔しいとは思えないだろう。自分への惨めな感情が残るだけだと思う。

悔しいと思った時、主人公は、涙を流しながら、描き続けた。
その時の状況から、どん底の精神状態から、もちろん落ち込むこともあった。

でも、立ち上がるときはいつでも『描いて』いた。

描くことで、新たな発見をし、気持ちを立て直し、成長していった。

逃げることなく、描き続けた。

 
僕ももう、『悔しい』と思うことから、逃げないようにしようと思う。イライラすることも、抑制しない。
逆に、『悔しい』ことを、『イライラする』ことを思い出させてくれたことを、ありがたいと思おう。

その上で、悔しいこと・イライラすることに、真剣に向き合うのだ。

主人公が『描く』ことに向かい合いったように、僕は『書く』ことに向き合う。

そして、『書く』

『悔しい』と思える今だからこそ、逃げてはいけない。
嘘もいけない。卑怯な手段も使ってはいけない。

このイライラを忘れず、矛先は自分に向けたまま、書き続けるしか無いのだ。

『ブルーピリオド』というマンガに、僕は教えられたのだ。

 


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2020-04-05 | Posted in チーム天狼院, チーム天狼院, 記事

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