こつこメモ

【体育大×寮=異世界vol.1.5】小学校の頃、マラソン大会でいつもビリだったわたしが体育大に入ってしまった理由《こつこメモ》


前記事:【体育大×寮=異世界】どうしてこうなった…なぜかスポーツの苦手なわたしが来てしまった、恐ろしい世界《こつこメモ》

前回の記事をたくさんの方に読んでもらえてるようで、すごく嬉しいです。

そんな中、わたしは気づきました。

大学や寮について書くのに夢中になりすぎて、なぜ自分が体育大に入ってしまったか書くのを完全に忘れていたということに……

少しでも疑問に思ってくれている方々がいらっしゃったので、この前のおまけでしょうもない話ですが書きます。

※本人、これでも至って真剣に書いてるので全然最初のとは違います。
これから愉快な体育大の話のあとのおまけは、しんみり真剣な話を書いていこうと思いますので、ぜひよろしくお願いします!

まず、わたしは小学校の頃、スポーツが苦手で嫌いでした。

体育の時間が大嫌いな小学生でした。

夏の水泳と、冬の持久走が一番嫌いでした。仮病を使って休む画策をするぐらい嫌いでした。

「自分はなんて持久力がないんだ」とその頃は思ってたのですが、持久力がないといえばないのですが、なんというか……あの頃は限界へ挑戦する力がなかったのです。

マラソン大会はいつもビリ。一緒に走ってくれる友達を確保するのだけは得意という、アスリートの人たちからは白い目で見られそうなやつでした。

その子たちは最後の最後ではわたしを置き去りにしてゴールするので、結局いつもわたしはビリです。

でも実際、前の記事でも右と左を瞬時に判断できないぐらいどん臭いと書きましたが、その通り。ダンスなど大の苦手です。

テレビで駅伝や野球、サッカーが流れていると、なんだか後ろめたくて目をそらしました。

体育の授業や運動会で目立つ人は、勉強ができる人よりずっとかっこよく見えました。

そもそも勉強はできてもできなくても、みんなの前に露呈することがあまりありません。

でも、体育の授業でははっきりとわかります。「こいつできるな」と「こいつだめだな」が。

露骨にそれがわかる体育の授業が、大嫌いでした(なぜかドッジボールの逃げるのだけは得意で最後まで残りました。そういう人周りにもいませんでしたか?)

だけど、わたしはそんな自分が嫌いでした。

常に自分に満足していませんでした。

スポーツに苦手意識のある自分が許せなかったからです。

そこで中学の時に諦めてしまったバスケットボール部に、高校で勇気を出して入部しました。

バスケットボール部の人やバスケットボール選手の人にはひっぱたかれそうですが、当時はバスケットボールはシュートを打てばこっちのもの、あとは止められないのが良いと思っていました(そんな上手くいくわけもなく……そこに至るまでが本当に大変だということを知らなかったのです)

そんなわたしが部活に入ったらどうなったかというと。

バスケットボールの才能が開花して、これからもずっとバスケットボールやスポーツに関わりたくて、バスケットボール選手や体育教師になりたいと思うように…….

なるわけもなく。

へばりました。ぼろぼろになりました。放課後の部活までの一日が憂鬱でしょうがなかったです。

マネージャーを見るたびに失礼な話、羨ましくなりました(マネージャーはマネージャーの苦労があると大学でハンドボール部のマネージャーになってわかりました)

一番、辛かったのがスクエアパスという練習でした。9人で四角を作って3分間、二箇所で2つのボールのパスが展開されます。パスしたら、その場所から3/4先の場所まで全力で走るという練習でした。あまり想像がつかないと思いますが、当時のわたしには練習前のストレッチ中に涙がぼろぼろ出てくるぐらい、本当に辛い練習だったのです。

これが、8人になったらボールが1つになるのです。

わたしは馬鹿みたいですが、みんなわたしなんかいない方がいいと思ってると真剣な被害妄想に陥りました。

いつも練習でへばってて、下手くそなわたしがいなければ、ボールが1つになる。

わたしは、いない方がいいんだ……

(真剣に当時のことを思い出しながら書いてますが、こうして文字にするとあほとしか言いようがありません)

こんな感じで、たびたび「自分いない方が良い説」と「辞めたら今までみんなが教えてくれた気持ちや時間が無駄になる説」で毎日葛藤していました。

けれど、そんなに悩まされてても。毎日辛くても、まだ、進路を考えた時、漠然とスポーツが頭から離れないのです。

自分がやるのはやっぱり無理だから、クラブチームのトレーナーになったり、整骨院などで働いたり……少しでも、どんな形でも良いから、スポーツに関わりたい。そう思ってわたしは理学療法士の専門学校を調べたり、近くの整骨院の先生から話を聞いたりしました。

でもはたまた、なにが不安かって。わたしは何度も言いますが、運動神経がつくづくないのです。それは、マッサージやテーピングなどの面でも出ました。本当に、理解力もセンスもないのです。

自分でも、なんとなく悟りました。自分にこの道は合ってないということを。

ちゃんとした進路が決まらないまま、わたしは高校二年生の冬を迎えました。

部活は相変わらず辛くて、部活内で流行ってる「スラムダンク」や「あひるの空」「黒子のバスケ」がまた後ろめたくて、恥ずかしくて読めませんでした。

そこでなぜか買ったのがモーニングで連載されてるサッカー漫画「GIANT KILLING」でした。違うスポーツに逃避しようと思ったのです。気分転換で買いました。

一応、まだトレーナーや理学療法士を意識していたので、様々なスポーツをしている人に関わるということを視野に入れ、まずは毛嫌いしてたサッカーでも勉強するか、と思い読んでみました。

これがわたしが今の大学に入ったターニングポイントでした。

漫画の中で、わたしはサッカー選手やスタッフではなくて、サポーターに強く惹かれました(サッカーではファンのことを、サポーターと呼ぶのです)

サポーターたちは本当に楽しそうでした。選手のプレーひとつに一喜一憂したり。本気で選手のことを思い、声を張り上げる描写には涙がつたーっと流れました。

さらにこのサポーターたちの中にも派閥や葛藤があって、その姿が面白いと思いました。みんなそれぞれ方向は違えど。どうしたらクラブが良い方向に向くか、本気で考えてるのです。

あとはユニフォームやタオルマフラーがかわいくて、好きな選手の番号の入ったグッズをまとうのは楽しそうだと思いました。マスコットキャラクターもチームごとに個性があって、かわいいです。

(東京都のサッカーチームはどこだろう)

わたしは読み終えた後に早速、探してみました。

なんと間抜けな話、家から自転車で15分から20分ぐらいの距離にJリーグサッカークラブの FC東京のクラブハウスとグラウンドがありました。

わたしは17年間近く、FC東京は小学生などのサッカー教室だと思っていたのです。よくよく考えたらサッカー教室の旗が街中にぶら下がってるわけないのに、今まで気にしたことすらありませんでした。

早速チケットをとって、友達と初めて味の素スタジアムへFC東京の試合を観に行きました。

知ってる選手なんてひとりもいない中、日本代表の名前と番号だけ予習して行きました。

スタジアムに入って、まず体の内に響き渡ってきたのは、想像していた通り、やっぱりサポーターたちのコールでした。

青と赤に染まった何万人もの人たちの声が、たったひとつの声になって、FC東京のJ2優勝の瞬間をまだかまだかと待ち侘びていたのです。楽器の音も合わせて、お祭りみたいだと思いました。

スタジアムDJによる選手紹介の後、キックオフ。相手はジェフユナイテッド千葉でした。

試合は、テレビで横目で見てた時とスタジアムで見るのでは、全然違いました。

スピード感も迫力ももちろん、よくわかったのは、戦っているのは、選手だけじゃなくて、観戦席にいるひとりひとりだということでした。

選手が好プレーをした時もミスした時も接触した時も、声を絶やすことなく張り上げていました。

自分の声は絶対に届かない。届かないけど。ひとつの声をつくるためにみんな手を抜くことはありませんでした。

相手チームがきたら全力のブーイングで守りました。時には自分たちの選手にも叱咤の声が飛びました。ビール片手の隣のおじさんの怒声にはびくびくしたけど、顔は笑ってたから、そういうものなんだなと思いました。

試合は、1-0でFC東京の勝利。ゴールが決まった時、全然知り合いじゃない隣や後ろのお客さんが、ハイタッチをしてくれました。

なにがなんだかわからなかったけど、わたしはコートの上で喜び合う選手と、それを囲んで観戦席で喜ぶサポーターたちに、距離なんてないと思いました。

物理的距離なんてこうも簡単に埋められると知った時。わたしの心は救われました。

部活でも、わたしはもちろんいつもベンチでした。スタメンになれたことなんて、弱小校との練習試合の時だけです。

いつも、どこかで寂しい気持ちでした。

ベンチから見るみんなのバスケットボールは努力が実ってて、きれいでした。

みんなの努力を見てきた分、嬉しい反面、悲しくもありました。

スタメンになれなきゃ、バスケットボールの一番にわたしはなれないと思ってたいたのかもしれません。

スタメンの子たちの方が、バスケットボールと近くて、いくら練習しても、わたしは部外者。そんな気持ちだったのかもしれません。

きっと小学生の頃から、ずっとわたしは寂しかった。

そして、スポーツに、ただただ憧れていたんです。

自分がプレーするようになっても、なんでこんなにも満たされなかったのか。遠かったのか。

それは、わかってなかったからでした。

わたしは「観戦」という字が戦いを観るのではなくて、観て戦うだとやっと知ることができたのです。

部活の試合の時にベンチにいたわたしは、ごちゃごちゃ考えてるだけで、選手の役割を果たさず、全然戦ってなかったのです。

観戦席にはおばあさんもいました。小学生の男の子もいました。でも、そこには年齢も性別も関係ない。みんな平等に、一緒に戦っていました。目の前のものが好きだというだけで。

あっという間の90分間、何万人もの観戦客、そして選手やスタッフが、同時に喜怒哀楽を共有できる奇跡に、わたしは今まで味わったことのないような気持ちになりました。

「観戦席を作りたい」

単純なわたしは、FC東京の勝利が決まった時に歌われる「眠らない町」という歌を聞きながら、そう思ったのでした。
これが、わたしの進路が見えた日のことでした。

それから三年経って。わたしは体育大生だけど、相変わらずスポーツが苦手でした。

観戦席を作りたいと意気込んだものの、やっぱり体育大だけは避けようとしていました。

早稲田大学のスポーツ科学部は滑り止めで受ける人が多いと聞いたので、実技の授業とかハイレベルじゃなくて大丈夫だな。と思って決めました。明治大学は受験二ヶ月前に経営学部の選択コースでスポーツ系のものがあると知って、慌てて受験候補に入れました。

まあ案の定、半年勉強しただけで入れるわけもなく……今の大学の日本史が大当たりして一問も恐らく間違えなかったので、合格できました。
他に受験した大学たちと違って、こってこての体育大だし、寮。本当にどうしてこうなったでした。

決まってしばらくは、前記事に書いたように絶望しました。
でも、寮に入れて一流のアスリートのイメージが、完全に崩れました。

みんな普通の、どこにでもいる男の子で、女の子でした。わたしが勝手に遠い世界に追いやってただけで、ジャニーズが好きな子もいるし、アニメの声優さんが好きな子、少女漫画が好きな子、カラオケが好きな子もいました。パチンコをする子もいるし、喫煙と飲酒だってある程度は楽しみます。

みんななにも変わらなかったのです。

日常で嬉しいことがあったら喜ぶし、悲しいことがあったら泣く。

わたしは今の大学に入れたから、スポーツ、そしてアスリートの人たちとの心の距離がより縮まりました。

実技の授業でいくら失敗しても恥をかいても、みんな優しく笑ってくれます。スポーツが苦手な体育大生は、誇れるアイデンティティだと思えるようになりました。

みんなが上手にスポーツをしている姿を観ても、わたしはもう昔のような寂しい気持ちにはなりません。

この大学は間違いなく、わたしの通っている大学だと、心から断言できる幸せを感じながら、今日もわたしは二時間電車に揺らされながらハンドボールコートに向かうのです。

おわり?

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