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チーム天狼院

【京都天狼院通信Vol12:私に愛を教えてくれたのは、犬だった。】


*この記事は、「ライティング・ゼミ」を受講したスタッフが書いたものです。

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記事:池田瑠里子(チーム天狼院)

 

先日、実家の愛犬、蘭丸が死にました。

ちょうど一ヶ月後に19歳の誕生日を迎える前でした。

私が実家を出て、一人暮らしをし始めてから、一年に数回会えばいいくらい疎遠だった蘭丸。

そんなに会っていないにも関わらず、両親からの連絡を前に、涙が止まらない自分がいて、

私にとって、大きい存在だったのだなと、本当に思い知らされました。

 

思い返せば、最初に、犬を飼いたいと親にせがんだのは、家族の誰でもなく、私だったなと思います。

小さい頃から、犬を飼うことが、小さな私の、小さな憧れのひとつでした。

近くのペットショップに学校帰りに行って、ガラスケースの中の子犬たちを見ては、

その犬と私が一緒に遊んでいる光景を妄想して楽しむ……。

友達の家や親戚の家で、きらきらした目でこっちを見て、楽しそうに尻尾を振る犬たちを見て、

いつか私だってこうやって犬と遊びたい、ずっとずっとそう思い続けていました。

 

でも、犬を飼ってみたいという私に、両親はよく言っていたのです。

犬を飼うっていうのはね、そんな簡単なことじゃないのよ。

おしっこもうんこも臭いし、言葉も通じない。

そして歳を取ったら、動けなくなっちゃうこともあって、死ぬまでちゃんと面倒もみないといけない。

ペットを飼うってことは、その命を預かるってことなの。

きらきらした、たのしいことばかりじゃないのよ。

 

その言葉を聞いても、私はどうしても犬を飼いたい。犬と暮らしてみたい。

ずっとそう思い続けていました。

 

そんな私は、あるとき、この犬を絶対飼いたい、そう思う犬に出会いました。

小さな足。大きい目。茶色いミニチュアダックスフンド。

狭いケージの中で、水を入れるトレーをひっくり返して、その上に乗って滑って遊ぶその犬は、私にとって、天使のように可愛らしく見えました。

大きくなっても私の腕の中にすっぽりはいってしまうくらいの大きさにしか成長しない、というところにも魅力を感じました。

シェットランド・シープドッグとか、コーギーとか、可愛いけれど、抱っこするにはちょっと大変そうだし。

だからといって、チワワは小さすぎる。

くりくりした目玉でガラス越しにこっちをみているその犬は、私の運命の犬だ! そう思ったのをよく覚えています。

 

初めて会ったときに、恋をしてしまったかのように私はその犬の虜になり、

毎日のようにペットショップに通っては、ケージの外からその子を眺め、心の中で声をかけ、そして家に帰ってから親にせがみました。

 

「あの犬を飼いたい」と。

 

絶対毎日、私が散歩行くから。

私がちゃんとうんちもおしっこも世話するから。

なんて偉そうに言って。

 

私は弟に比べて、日々あまり駄々をこねない子供だったと思うのですが、その時は私自身はっきり思い出せるくらい、毎日のように駄々をこねました。

この子がうちにこないなら、私はここから動かない。学校も行きたくない!!

 

あまりの私の頑固さに親がとうとう折れ、

その犬、「蘭丸」がうちに来たのが18年前のこと。

最初は「絶対飼わない」と言っていた母も父も、その犬をみて、優しい顔をしていたことが昨日のことのようです。

 

でも、実際に蘭丸と過ごす日々は、私が描いていた楽しいことばかりじゃなかったのです。

犬を飼うことは、確かに両親の言ったように、楽しいことばかりではありませんでした。

 

いっぱい吠えてうるさいし、

うんちやおしっこは臭いし、

変なところでしちゃうこともあるし。

散歩に行くとどんどんリードを引っ張って先に行っちゃうから、

いっつも私は、蘭丸に対して怒ってばっかりでした。

 

どうしてここでおしっこするの!!

わんわん吠えてうるさい!!

勝手に私の前を歩かないで!!

 

私が怒ると、蘭はいつも、耳を下げて困った顔して、しゅんてして。

ごめんなさい、ってその体全体から発せられてるのが、正直余計に腹立たしかった。

そんな顔するなら、わかってるなら、毎回私を怒らせないでよ!

なんで私が悪者みたいな顔をするのよ!!

そうよく思い、怒る日々でした。

 

私はそんな風に優しくない人間だったのに、でもいつも蘭丸は、私に対して優しかったんです。

親と喧嘩して泣いてたら、そばに来て顔見上げて足元にずーっといてくれたり。

家に帰るといっつも飛んできて。千切れんばかりにしっぽ振って。

ご飯をあげると自分至上の最大の喜びみたいに喜ぶ!

気持ちの良い昼下がり、蘭丸の横に寝っ転がると、横に擦り寄ってきて(顔を舐めようとするのは勘弁だったけど)、くっついて一緒にお昼寝をしてくれる……。

 

いつでも暖かく優しいそんな犬の姿に、私はいつでも安心して、甘えていたんだろうなと思います。

 

それがいつからでしょう。

私自身、蘭丸と一緒にいると、罪悪感を感じるようになってきました。

 

私が大きくなるにつれて、蘭丸もどんどん年老いて、

むしろ、人間の老い方よりも急速に、死が近寄ってきていることが私にもわかったからかもしれません。

 

いつからか、宅配便の人が来ても吠えることがなくなって、

私が帰っても飛び跳ねることがなくなって。

元気にしっぽを振る仕草がどこか億劫そうになってきて。

最後には私が帰ってきたことすら気がつかず、耳も聞こえなくなって、近くに行かないとわからなくなってしまうほどに。

それでも近くに行けば、あ、おねーちゃんだ、って顔あげてしっぽ振ってて。

子供の頃に、あんだけ私は怒ったり、叩いたり、していたのに。

 

実家をでて、仕事を始め、頻繁に帰ることが少なくなって、

私のことなんか、忘れてしまってもおかしくないのに、いつだって蘭丸は私をやさしく迎えてくれました。

その姿を見るたび、どうしてもっと子供の時に、この子に優しくしてあげられなかったんだろうって、どんどん、強く思うようになっていったのです。

まるで私の醜い部分を映す鏡のように思って、怖くなってしまったのかもしれません。

 

18歳と、11ヶ月。あとちょうど1ヶ月で誕生日を迎える4月21日。

蘭丸が死んでしまったと連絡を受けた時、本当に強い喪失感に襲われました。

蘭丸の写真を見返そうと思って、スマホを調べてみたら、私が実家に帰った最後がもう1年前にも及んでいたことに気がつき、そしてはっと思いました。

私は死が近づいてきて、そしてどんどん弱っていく蘭丸の姿を、見たくなかったのかもしれない。

その姿に純粋に誰かを愛することができなかった自分を見つけてしまうのが、怖かったのかもしれない。

 

どうしてもっと、会いに行って、触ってあげて、時間を持つことをしなかったのか、悔やんでも悔みきれません。

 

そして、その存在がいなくなってしまった今、こうやって思い返してみると、

蘭丸が私に教えてくれたことは、無償の愛についてだったなと思うのです。

たとえ自分に対して優しくしてくれなかったとしても、でも自分が大好きだから愛する。

そういう姿が私は、心から羨ましくて、そして本心から怖かったのだと思います。

見返りを求めたり、逆に仕返しをしたくなったり、そういうことばかりいつも無意識に考えてしまう自分のことがよくわかっていたから。

だから、それと真逆な、純粋で真っ直ぐな犬の愛の姿が、単純に怖かったのだと思います。

 

でも怖かったとしても、そういう存在に自分もなりたいと思っていたことも事実です。

ずっとそんな風に、誰かを愛することができたらいいなと思っていたのだと思います。

 

私はこれからも多くの人と出会って、その人たちと関わりを持って生きていくと思います。

その時に自分の思い通りにいかないことはたくさんあるだろうし、

傷付いたり、嫌になったりすることもたくさんあると思います。

そんな時に、私はきっと必ず、蘭丸のあの、きらきらした瞳を思い出すと思います。

ただ真っ直ぐに、私のことを見つめて、優しく愛してくれていたあの姿。

 

もう蘭丸に私は会うことはできないし、あの体に触ることもできません。

あの子をもっともっと愛することは、もう願ってもできないことはわかっています。

ただ、あの子に教わった「愛」はまだここに残っているから。

きっとその愛を、周りにいる大切な人に、わけていくことが、蘭丸が私に残してくれた贈り物なんだと思います。

 

蘭ちゃん。

18年と11ヶ月、一緒に過ごして、私を愛してくれて、ありがとう。

私が蘭ちゃんみたいに、誰かを大切に思える日がくることを、これからも天国から見守っていてね。

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