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チーム天狼院

【京都天狼院通信Vol15:恋をしない若者たち】


*この記事は、「ライティング・ゼミ」を受講したスタッフが書いたものです。

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記事:池田瑠里子(チーム天狼院)

最近、私の周りで恋愛をしない若い友人が増えてきた。できない、のではなく、しない、のだ。
 

最初私には全く理解ができなかった。恋愛をしない、って。一体なぜ。恋ほど楽しいものはないではないか!
  確かに片思いの時は死ぬほど苦しい時もあるけれど、その苦しみが快感になることもあるし(これは私がMなだけ?)、クリスマスやバレンタインなどのイベント時には一人でいるより恋人といた方が100倍楽しい。
イベントの時だけでなく、美味しいものを食べた時や、面白い映画を観た時など、共有できる人がいることはそれだけで喜びである。
 
別れる時もそれはまた体がちぎれるんじゃないかというほどの痛みを感じることもあるけれど、それだって次に出会う恋のためだと思えばかわいいものだ。
 なにより、自分という存在を、(恋愛関係が成立している間においては)、無条件に愛してくれる、自分ではない別の存在がいる、という状態は、文句なく何よりも幸せなことだ。
親以外に無条件に自分を認めてくれる存在がこの世にいるだろうか。
 恋人と飼っているペット以外にそんな存在は私にはぱっと思いつかない。
そんな、苦しくも楽しみと喜びの詰まった恋愛を自分から避けるなんて、意味がわからない!
 
 

大学生の頃から28歳に至る今まで、誰かを愛することに喜びを感じ、恋に生きてきた私にとって、恋愛を避けて通る若者の姿は、いままで見たこともない新しい人間を見たような気分になったものだ。
 
だが、もちろん相手は立派な人間、ましてやこんな私と仲良くしてくれている数少ない貴重な友人たちである。頻繁に彼(彼女)らの話に耳を傾けるうちに、私は、この「若者の恋愛離れ」は、合理化が進んだ現代特有の、一種の現代病であることに気がついた。
 
そもそも、この世の中に、恋愛ほど面倒くさく、(一見)無駄に溢れ、どこがゴールかもよくわからず、とてつもなく非合理的なものはあまりないかもしれない。原因と結果が大事なこの世の中において、恋愛は、原因も結果も曖昧なものだ。
 
この人のためなら死んでもいいと思っていた男が、数年後、顔を見たくもないほど嫌いになっていることもある。なんて美しい女なんだと思っていた相手が、ある日突然、色あせて、美しくもなんともないように思えてしまう日もある。
 
相手のために100万円の指輪を購入しプレゼントしたからといって、必ずしも相手が100万円に見合うだけの愛を返してくれるかはわからないし、100万円に見合うだけの愛、という存在そのものがすでに曖昧だ。
 
結婚が全ての恋愛のゴールかと思いきや、必ずしもそうではなく、結婚しようが人は別の人に恋をすることはできる。この人と一生一緒に暮らしていくと誓う人が、生涯に3人いた、なんていう事態が発生してしまうのだ。
 
今挙げたような点は、確かに恋愛の短所ではあるが同時に長所でもあって、それらが恋愛の醍醐味でもある。理由もはっきりわからなくても誰かを好きになり、無駄かもしれなくても自分の時間やお金を使い、相手の小さな言動ひとつに心を動かし一喜一憂する。効果が出るかわからない心のサプリを飲んでいるかのようである。
 
だが、これは、「足りない栄養はサプリで補うようにしよう」「重たい紙の本ではなく電子化して軽量化しよう」「ゴミになってしまうから新聞ではなくネット上で情報を広げよう」「自宅にいるだけで買い物もできるようにしてしまおう」といった、合理化の進む現代においては、時代を逆行するかのような「醍醐味」だ。
 自分を散々傷つけて、その理由もはっきりとわからないまま、解決策も見いだせず、もがいてあがいて、最後に得たのは喪失感だけ、なんてことになってしまうことに、なんの意味があるのだろうか。そういう感覚になってしまうのだろう。
 
別に私は、合理化する現代が悪い、とは全く思っていない。私もアマゾンは使うし、ネットで情報も得ているから新聞をとっていない。電子書籍は使わないけれど、重たい学術書を持ち歩くよりはよほど便利だろうと思う。また、恋愛をしない若者を悪い、とも思っていない。自分の限られた時間を何に使うかは人それぞれ、価値観も人それぞれだ。
 

ただ、目に見えるものだけが全てであり、便利に感じるものだけが良いものであり、結果が伴わない行為は全て無意味であり、悲しみや痛み、苦しみといったネガティブな感情は総じてよくないものだ、という世界になってしまったら、少し寂しいなと思う。そして、目に見えないものにも素晴らしいものはあり、不便に感じる中にも輝きはあり、結果が伴わなくても意味のある行為はあり、悲しみや苦しみといったネガティブな感情も時に有益になることを教えてくれるものの一つが、恋愛なのだと、私は思う。
 
恋愛ほど、面倒くさく、無駄に溢れ、結果もよくわからず、無駄に傷つき、非合理的なものはないかもしれない。でも、合理化が進む現代だからこそ、恋をしよう。誰かを愛そう。とっても無駄なことなのかもしれないけど。
 
そんなことを思いながら、「恋をする若者」の私は、今日も恋愛を楽しむのである。


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