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Mシリーズ

【ショートショート】「赤い瞳」《天狼院Mシリーズ》


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パソコンとのにらめっこでガチガチに固まった体にムチを打ち、駅の階段をかけおりる。
一日の疲れと、カバンの重さが肩に食いこんで、痛い。
いくらカバンの中のマックが軽いからって、そもそも人間の肩は荷物をかけるために作られたわけではないのだ。現代人はこれだけカバンを下げているんだから、数百年後には人間の肩は、進化の過程で変形しているかもしれない。

ホームに下りると電光掲示板に流れてきたのは、電車が到着します、ではなく、点検による遅延のお知らせ、だった。
改札をくぐった時には平気だったのに、この短時間でどこかの駅のシステムがダウンしてしまったのだろう。

なんてタイミング、とミナミは思う。ほかの交通機関を使おうかと考えたが、思い直した。外の繁華街は、華の金曜日に酔いしれる人の波であふれていた。ミナミは消耗していて、それに対抗できるほどの気力は残っていなかった。
こうなったら、待ってやる。ホームのベンチに腰を下ろすと、自分がどれだけ疲れているかありありと感じられてしまい、ミナミはうんざりした。そして、タイミングのことについてミナミは考えた。

そのときのミナミには、ふとした瞬間、思い出してしまう人がいた。それくらい、とても好きな人だった。向こうも同じことを思っているだろうと、ミナミは考えていた。何度か会って、食事をして、そしてお酒を飲んだりした。

すぐ顔が赤くなるからとあまりお酒を口にしないミナミも、つられて何杯も飲んでしまった。顔が赤くなるのはどうやら向こうも同じようで、二人は顔を真っ赤にしながら、くだらない話をした。

これ美味しいんだよ、と彼はミナミの飲んだことのないお酒を注文した。お店の人が持ってきたのは、真っ赤でとろとろした、レッド・アイだった。グラスの中も、彼の顔も、首も、手も真っ赤で、なんなら目の中もちょっと赤くなっていた。
どこもかしこも、赤。きっと私の顔も同じように真っ赤なんだろうと思ったらおかしくて、ミナミは思わず吹きだした。

その瞬間、彼も同じように吹きだしたのを見て、ミナミは、びっくりしてしまった。
向こうも同じことを思って、それでこらえきれずに笑ったのだと、何を言われるでもなく、ミナミには分かった。そして、彼も同じように一瞬驚いた顔をしたのを、ミナミは見逃さなかった。心臓が大きく跳ねたのは、お酒を飲みすぎたからではなかった。

驚きの表情はすぐにほぐれ、ふにゃっとした笑い顔に変わった。
レッド・アイを一口飲んでから、これ美味しいんだよ、とお酒を薦めるのと同じトーンで、遠くにいる彼女と別れたんだ、と彼は言った。

ミナミは、彼の前でだけ、何も気にせず飲むことを解禁した。
それまでお酒なんて、ただ眠くなるだけで何もおもしろくない、と思っていた。こんなに楽しい気持ちになれることなんて、ほとんど初めてだった。彼との時間は、しがらみを気にすることなく、ただ自分の中に湧いてくる気持ちを純粋に味わうことができた。子どもみたいに無邪気でいることができた。それは、お酒がすっかり抜けてしまってからも、同じだった。
向こうも同じことを思っていると、ミナミは思っていた。何度も二人は飲みに行き、何度もくだらない話をした。

何か月かして告げられた言葉に、ミナミは二の句が継げなくなる。
彼女との関係が戻った、と彼は言った。あいかわらずテーブルの上にはレッド・アイのグラスがあって、ミナミの顔は真っ赤だったが、彼の顔はふだんと変わらないように見えた。

大事な人だと、彼は言う。
ミナミとは、いっしょにいることも、どうしても楽しいのだと。大事な友達だと、彼は言い放った。
酔いが回ってくると、彼はミナミの頭を撫でた。向かいの席から手を伸ばして、ミナミの手をいじって遊んでいた。そうしながら、くだらない話をつづけた。テーブルをはさんで、ただそれだけで、その日は別れた。

運転再開まで今しばらくお待ちください、と、忘れたころにアナウンスが響く。

先に私の口から何かを告げていたら、変わっただろうか。
後悔だけはしてやらない、そう強く思うミナミは、浮かんできた何百回目かの雑念をふりはらった。

まだ、電車がやってきそうな気配はなかった。
彼は今ごろ、私が来るのを待っているだろう。そうやって、待ちつづければいい。私が当たり前のようにやってくることを、信じつづけていればいい。

彼が自分のことを特別に思ってくれていることをミナミは分かっていた。また、とてもひどい人だということも、こうして性懲りもなく会いに行く自分が、いちばんばかげているということも。
けれど、初めてあの赤いお酒を飲んだときの共鳴と、赤くうるんだ彼の瞳が、どうしても忘れられなかった。乾いた心臓に鼓動をよみがえらせてくれるものを、ほかにミナミは知らなかった。

「運転再開の目途は立っておりません」

電光掲示板の赤い文字が点滅して、ゆらゆらと流れていった。

 

©天狼院スタッフ海鈴

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2015-12-03 | Posted in Mシリーズ, チーム天狼院, 記事

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