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ありさのスケッチブック

彼女を変えたのは、一冊の本だった。《ありさのスケッチブック》


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私は、あの子が嫌いだ。
いや、嫌いだというのは少し言い過ぎかもしれない。
本質的なところは、好きだ。
だけど、あの子を見ているとこっちまで苦しくなってくる。
だから、一緒にいることはできない。
そんなところだろうか。

あの子とは、同い年の女の子である。
へらへらしていて、
何でも頼まれたら断れない。
ただでさえ目一杯になのに
興味あることには何にでも首をつっこむ。
今日これをやったと思ったら
その一時間後には他の事をしてて……みたいな生活をしている。
今日も彼女はきっと、あんまり寝れなかったよーとか言ってへらっと笑うのである。

何のためにそこまで自分を苦しめる。
何で自分のことで目一杯なのに、人から頼まれたことまでやろうとする。
何で劣等感で爆発しそうになっているのに、また新しいことをやろうとする。

彼女の姿を見るたびに、そう言いたくなった。
何も、いろんなことに挑戦するのが悪いと思っているわけではない。
ただ、何もかも背負い過ぎなのだ。

彼女がやっていることは
他の人に比べてもかなり多かった。

サークルこそ入っていないものの、
いわゆるガチゼミと呼ばれるゼミに入り、
週に3回は図書館が閉まるまでワークしている。
専門科目の運営のサポーターも自ら買って出てやっている。
そんな中でも彼氏と会う時間を減らそうとしない。
バイトでもバリバリ働いている。

何をやっているんだ。
そんなに身を削って働くことがいったい何になるんだ。
怒っているわけではない。
ここまでくるともう、心配なのだ。
私は子を思う親のようだった。
だから嫌なのだ、彼女と一緒にいるのは。

過去に私が彼女に聞いた質問がある。
「こんなに色々やっていてすごいね、大変じゃないの?」
彼女は一瞬、困ったような表情を見せた。
しかしすぐにいつものへらっとした笑顔を見せた。
「自分がやりたいことだから、大丈夫だよ。
周りがすごいからさ、ここまでやってもみんなに勝てる気がしないんだよね」
なんてことだ。
彼女は周りに張り合いたくてこんなにもいろんなことをやっているのか。
しかも、今以上のレベルを求めているというのか。

私は、知っている。
彼女が時々悔し涙を流していることを。
どう頑張っても敵わない相手にガチンコ勝負を挑んだ時。
優秀な人ばかりが集まる組織で他の人と能力を比べて劣っていることを痛感した時。
彼女は、いつもこっそりと泣いているのだ。

そんな経験を多くして来たからか、
彼女は常に自信がなさそうだった。
「わたしさ、基本的に自信ないから」
これが彼女の口癖だ。

ある時、こんなことを言っていた。

私ね、自信の無い自分が嫌でしょうがないんだ。
だからいろいろやれば、力がついて自信になるかなって思ってやってるんだ。
凄い人がいる場所に居たいの。
そうしたら、凄い人になれそうじゃない?

わからなくも、ない。
彼女は、自信の無さを紛らわすためにいろんなことに挑戦していたのだ。
自分以上にできる人がいる場所では勝てないから自信がなくなる。
だから、勝てるようになるために凄い人がいる場所で力をつけようとしているのだ。

そうして、彼女は大学二年生の後期までずっと目一杯の生活を続けた。
今更何を言っても彼女はその生活を辞めないだろうと思ったから、わたしは何も言わなかった。

しかし、ある時から彼女の行動が変わっているのに気がついた。
それは三年生になる前の春休みくらいからだっただろうか。

頼まれた仕事をやたらと引き受けず、自分がやるべきだと思うものに絞っている。
身になりそうなプロジェクトもすぐに飛びつかず、本当に今行くべきか考えるね、と言っている。
誘われた飲み会すべてに参加するために、自分のスケジュールを無理に変えたりするような様子も見られなくなった。

まるで、別人だ。

私はたまらなくなって、彼女に尋ねた。
「ねえ、どうしたの?なんかいつもと違くない?」
私に腕を掴まれた彼女はキョトンとした顔をした。
私は何も言わずに彼女の顔をじっと見た。
すると、質問の意味がわかったのか、ああ、と彼女は照れ臭そうな笑みを浮かべた。

そして彼女を変えた存在の話を始めた。
それは、ゼミ活動がひと段落した二年生の冬休みの頃のこと。

ゼミ活動が先輩に着いて行くのでいっぱいいっぱいで自分が情けない、と
同期のゼミ生に相談していたらしい。
仮に、このゼミ生を「相談くん」と呼ぼう。(ごめん!)

相談くんは彼女の話を聞いて、
あれやこれやと彼女がどうなりたいか、どうすればいいのかを一緒に考えてくれたそうだ。

その時に相談君は思い出したように、彼女にこう言ったらしい。
「そういえば、ある先輩ときみの話をしてて、同じ意見になったよ」

当然気になった彼女はどんな意見? と尋ねた。
相談くんはえー、とか言いながらも教えてくれたそうだ。
「なんでも引き受けていてパンクしそう」、だと。

さすが、ゼミ生! さすが、先輩!
わたしが言いたいことを見事に言ってくれた。拍手! パチパチパチ。

私はもうすがすがしい気持ちでいっぱいになったが、
そう言われたことは彼女にとって、結構きつかったらしい。

今まで考えるのを避けてきたことを突きつけられた、と感じたそうだ。
どうにも毎日の忙しさを良くない、と素直に思えなかったらしい。
でも信用している二人に言われたのだから、こういう忙しすぎる生活はきっと良くないのだろう、と思い、
はじめてこの生活を正そう、と思うようになったという。
でも、彼女にとっては今までの癖のようなものだからどう直せばいいかわからなかった。
彼女は、ひたすら途方に暮れていた。

そんな彼女を変えたのは、あの一冊の本だった。
その本の表表紙にこう書いてある。
最小の時間で成果を最大にする
その言葉に引き寄せられたのだ、と彼女は言う。
何もかも時間がかかりすぎているように感じたから、と。

そしてその本を開いたそでの部分の言葉を見て、購入を決意したという。
本書は、より多くの仕事をこなすためのものではなく、やり方を変えるためのものである
たくさんの仕事に追われる生活をしていた彼女にとって、まさに求めていた内容だった。

この本を読んだことがある方、いらっしゃるのではないでしょうか。
そう。「エッセンシャル思考」です。

この本との出会いが、彼女を変えたのだった。
誘いを断れるようになったのも。
あれやこれやと手を出すのを辞めたのも。
自分でやっている感覚を取り戻したのも。

「エッセンシャル思考」を読み始めた時から読む手がもう止まらなかった。
このダメな例。
……私だ。

この言い方。
……私だ。

この結果。
……私だ。

もう、当てはまるものがありすぎて笑ってしまいそうだった。
でも、絶対にこのままじゃだめだ、と実感した。

この本を読み終わった時、私は決意した。

何もかも引き受けて他人に振り回され、
何もかも重要だと言って、優先順位がわからなくなり、
どの道にも進めない、「彼女」との決別を。

私は、もっと軽やかに、楽しく生きたい。
ただ一つだけ、自分が選んだ私の人生を歩むのだ。

時々私の中の「彼女」が出てきそうになる時がある。
とりあえず引き受けてみよう、とか
とりあえずやってみよう、とか。

でも、そういう選び方は自分が涙する数を増やすだけだ。
きっと凄い人にはなれないし、周りに勝てるようになんてならない。
疲れ切って自分のやりたいことができなくなるだけだ。

そう、わかっているから、やはり私は彼女を嫌うしかないのだ。


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