ありさのスケッチブック

我慢するのが大人だ、と言われるけれど《ありさのスケッチブック》


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よく冷える冬の日のことだった。
私は午後からの授業に向かうため、いつものように電車に乗り込んだ。
時刻は11時25分。
この時間だと通勤ラッシュも過ぎているので、だいたい席に座ることができる。
座席の真ん中に空いている席を見つけた私はそこへ向かった。
ベージュのロングコートを整え、かばんを抱えて席に座る。
電車内にラッシュ時のサラリーマンの姿はなく、主婦や年配の方ばかりだった。
いつもの、何ともない風景。
冬だからか、私も含め白や黒など地味な色の服を身につけている方が多いように感じた。
私は鞄の中から本を取り出した。

ドアが閉まります。

そのアナウンスとともに電車に駆け込んできた人がいた。
いつもと変わらない、なんの変哲もない日常がピンク色に染まった。

一言断っておくが、好みのイケメンが乗ってきたとかそういう色恋話ではない。

その乗客そのものがピンクだったのだ。

小さな女の子だった。
身長からして、3歳くらいだろうか。
ピンクのダウンを羽織り、
ピンクの靴を身につけ、
くまさんのポーチを首からかけている、
ツインテールの女の子。

一目みて、ピンクが好きなんだろうな、ということがわかった。

女の子はお母さんに手を引かれながら、キョロキョロと周りを見渡していた。
その様子を見ていた私と目があった、その時である。

「ピンクすわりたい〜!ピンクすわりたい〜!」

その子はくしゃっと顔を歪め、お母さんの腕をブンブン振り回した。

ええっ、わたし、なんかまずいことしたかな。

大きな声で叫ぶ女の子の声に反応し、
斜め前の男の人が席を立った。

すみません、とお母さんは言いながら
女の子の手をひいてそこに座らせようとした。
しかし、彼女はイヤイヤと被りを振りお母さんの手をすり抜け、
ちょうど私の目の前に座っていたおじさんを見上げ、またもこう言った。

ピンクすわりたいー!

そのおじさんはよくわからない、といった表情のまま腰を浮かせ、自分の座席を見下ろした。
そしてハッとした表情になった。

あー、ピンクってこれか! ごめんなごめんな。

おじさんは優しい笑顔を向け、よたよたと横歩きし、女の子と席を変わった。
すみません、とお母さんはまたも頭を下げ、
よかったね、と女の子に微笑んだ。
当の本人はすっかり機嫌が直ってニコニコ笑顔である。

ピンクってなんだったんだ……?
そう思いながら、彼女が今座っている席と周りの席を見比べてみる。

あ………もしかして。

私の最寄りに止まるこの電車。
今走っている電車の中で一番古いモデルの電車。
座席シートは基本的に赤。
しかし、真ん中の一席だけ薄いピンクなのだ。

彼女がイヤイヤしたのはその赤色の席で、
今ニコニコして座っているのはピンクの席である。

そして、その時私が座っていたのも……
後者の、ピンクの座席だった。

彼女が叫んでいた、ピンク座りたいー!とは、
ピンクの座席に座りたいー!という意味だったのだ。

だから、彼女は私と目があった時に叫び出したのだ。

あー……ごめんね。

何と無く後味がわるいなあ、と、思いつつも不思議だな、と私は感じた。

なぜか?

この電車の真ん中の席は確かにピンクだが、
決して綺麗な色とは言えないからだ。

「ピンク」というよりは、
「赤色が抜けて結果的にピンクになってしまった」
みたいな薄汚い色だと私は思う。

少なくとも、私は今までそこにわざわざ座ろうなんてことをしたことがなかった。
だから、ピンクすわりたいー! の声にすぐに反応できなかったんだと思う。

しかし、小さな彼女の目には、
その薄汚いピンクの席が特等席に見えたのだろう。
あんなにも駄々をこねて、大声でこの席じゃないと嫌! なんてことを言うなんて、
よっぽどの思いと理由があったはずだ。

……いや、待てよ。
でも、ピンクが好きだからピンクの座席に座りたい、
それ以上の理由が小さな女の子にあるのだろうか?

ピンクの席の方が数が少なくてレアだから……
なんて、カードを集めるゲーマーみたいなことはきっと考えていないだろう。

おそらくピンクが好き、それだけだと思う。
それだけでも、彼女にとっては強いこだわりなのだ、きっと。

そういえば、私もくまが好きだから、という理由だけで、
幼稚園のころ、友達とぬいぐるみを取り合いしたことがある。
そばに絵本や積み木やパズルがあるにも関わらず、
どうしてもその頃の私はそのぬいぐるみで遊びたかった。

その時の取り合いを止めようと、
幼稚園の先生は一生懸命私の気を引こうとしていた。

「ほら、こっちでお絵描きしたら?」
「今なら先生が絵本読んであげるよー!」
「○○くんもそのぬいぐるみ好きなんだって、今日は譲ってあげたら?」

などなど、色々なことを言われた気がする。
しかし当時の私は何をいくら言われても
どうしてもそのぬいぐるみを譲りたくなかった。

その頃の私は、
好きだから、可愛いから、
そんなシンプルな理由で得たいものを得ることができていた。

ピンクが好きだから、と言って
青とピンクの折り紙を交換してもらったり。
どうしてもチコリータのぬいぐるみが欲しい、と駄々をこねて
デパート中を駆けまわったり。
言いたい放題、もらい放題だった。
難しい理由なんて考える必要もなかった。

しかし、大きくなるにつれてそのやり方では欲しいものが手に入りにくくなった。
小さい子が優先されるから、というのもある。
しかしそれ以上に、大きくなってからはきちんとした理由が必要になったからだ。
欲しいものをねだる相手を納得させるような理由、それが必要になった。

例えば。

何で欲しいの、という問いかけに
好きだから! と言っても、
子供じゃないんだから、と相手にされない。

それでも諦めずにねだっていると、
何に使うの!? と用途を尋ねられたり。
今本当に必要なの? と緊急性を尋ねられたり。
「欲しいから」よりももっと深い理由を求められた。

本当に必要で欲しかったら粘るのだが、
だいたいの場合は一気に気分が萎えて、
もういいよ、と諦めてしまう。

大きくなると欲しいものがあっても譲って我慢するのが大人だ、
と周りの大人たちから言われたりもした。
確かに周りの大人たちは自分たちに多めにお菓子をくれたりしていたから
まあそういうものか、と思っていた。

でも。
それは必ずしも正しいと言えないのではないか、と思うようになった。

ちょっと想像してみてほしい。
家族や親戚を交えて美味しいご飯を食べた後、
コーヒーのお供に出された、クッキーが余ったとする。

もし、自分が小さな子供なら。
食べたい!
そうひとこと言うだけで、手に入れられるだろう。

もし、自分がハタチを過ぎた大人なら。
食べたい!
と言っても、
食い意地はるんじゃない、とかなんとか言われかねない。
口には出されずともそう思われる可能性は高いだろう。

そんな風に思われている中で
どうしてもここのクッキーが好きで……!とか
あーだこーだ理由を言ってもみっともないだけだ。

私は思ったのだ。
譲るのが大人だ、と言われるけれど、
我慢した方がかっこいい、と言われるけれど、
それは大人がゴチャゴチャと理由を言うのはみっともないし、
面倒くさいからではないか、と。
ゴチャゴチャしたことを言わなくてはならなくなるのは、
欲しいものを手に入れるために要る理由のレベルが高くなってしまったから。

確かに余ったものにがめつくのはそんなに美しいことではないし、
スマートに譲ってあげられるのはかっこいいことだと思う。

だけど、本当にかっこいいから譲っている、という人は少ないのではないだろうか?
大の大人がごちゃごちゃ理由を並べたり、
欲しいと大きな声で言ったりすると注目を浴びてしまう。
それが、恥ずかしいだけではないだろうか?
「大人だから」と、欲しい気持ちをぐっと押し込んでいないだろうか?

少なくとも、私はそう思ってしまう場面が多い。
本当は欲しいのだけど、「大人だから」と、
小さい子に大きなステーキを譲ったり、
こんもり盛られたお菓子に手を出せなかったりした。

でも何だかそんなのは、悔しい。
欲しいものは欲しいし、食べたいものは食べたい。
子供っぽい理由に聞こえてしまうとは思う。
しかし、そういう思いを口にすることがそんなに悪いことだろうか?
私は、そうは思わない。

いいじゃないか。
たまには「子供みたいな大人」でも。
確かに、食い意地はったりするのはみっともない。
レジャー施設にいって大の大人が大はしゃぎしていたら、注目を浴びかねない。
でもきっと、「大人だから」という立場なんて忘れて、
思いっきり楽しんだり食べたりすることだってたまーになら許されるはずだ。

だから、もう大人と言われる年齢になったとしても、
もっと素直に言ってみてもいいと思う。
「欲しい!」
「食べたい!」
「遊びたい!」
「ふざけ倒したい!」
なんてことをね。

スカッとしますよ、案外。
久しぶりに「大人だから」の重圧をはねのけて、
子供みたいに素直な気持ちを吐き出してみるのは。

だから今回私は声を大にして言いたい。
「みんなで分けたお菓子の最後の一つは積極的に取りに行こうよ!」と。
なんでみんな遠慮するんですか、あれ。
あ、子供からお菓子を横取りしろ! とか
そういうことを言っているわけではないのであしからず(笑)

私、もっと食べたいです。
だからもっとがっつきましょうよ!
「女の子だから」とか「ダイエット中だから」とかいうのも、
この際取り払っちゃいましょう!
いいじゃないですか、肉食系女子とか言われたって。
美味しいものは美味しいうちに、ですし。

だからね、譲りませんよ、私も。
「メディアグランプリ一位」の美味しいポジションを。


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