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チーム天狼院

あの日、泣きながらピアノを弾いていた私は。《海鈴のアイデアクリップ》


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その日、わたしは、布団の中で人知れず涙を流していた。

まるでいっぱいになったコップから、水がほろり、ほろりとあふれ出るような、目の渕から少しずつ流れる涙だった。

ちょうど、仕事が思うようにいかないときだった。
どうしようもなく自分が不甲斐なく思えて、私だめだなあ、と、ガツンとやられていた。

できる人ならもっと早く終わるような内容なのに、要領が悪くて、必要以上の時間がかかってしまう自分。
思ったように、事をうまく進められない自分。

そういう現実を目の前に突きつけられることが重なって、ちょっと、内心、参っていた。

私って、なんでこんなに不器用なんだろう。

悔しくって悔しくって、心臓がぎゅーっとつぶれそうになった。
その痛みに耐えるぶんだけ、涙は余計に溢れてきた。

完全に、予想外だった。
暗闇の中ちいさく縮こまって涙を流しながら、私は、今自分自身に起こっていることに正直、驚いていた。

私の涙は、最近すっかり乾いてしまっていたと、思っていたのだ。

何があっても、まっすぐ立っていられるよう。
心を揺さぶるような大きな出来事があっても、できるだけ平常を保てるよう。

泣くことは「恥ずかしいこと」だと、ずっと自分に言い聞かせてきたからだ。

毎週のように、泣いて帰る。
それが、かつての私の日常だった。

 

週に1回、涙を流すほど心を揺さぶられる場所にわざわざ出向いていたのは、幼稚園の頃からずっとピアノのレッスンに通っていたからだ。

課題の曲を先生に見てもらい、出来具合で、ハンコがもらえる。

まだじゅうぶん弾きこなせていないようなら、ただの黒丸。
表現まで自分のものになって、しっかり聴かせられる段階になって、初めて、合格の花マルがもらえる。そうすると、次の課題曲に進めるようになるシステムだった。

レッスンの最後、先生から評価をもらう場面になると、私は、大抵うつむきがちになった。

曲の出来具合なんて、誰が一番分かっているかって、自分だ。
自分が自分で、その曲の出来栄えを一番よく分かっているのだ。

ちゃんと練習ができて、表現も自分でできるようになって、心を込めながら弾けるときは、ほとんど合格だ。
花マルがもらえるときは、弾きながら、自分でも「これは合格だろう」という確信がある。

しかし、ダメなときは、言われなくても、分かる。
弾きながら、ああこれ、もうダメだなあと思いながら弾いている。弾いているというか、もはや、音符を一音ずつただ追っているだけである。

理由も、分かっている。
まだ、弾き始めの週だったから。
練習がじゅうぶんにできなかったから。

自分が一番分かっているからこそ、先生から発せられる言葉が、私にとって一番怖いものだった。

一連の指導を終えると、先生は、うーんと唸る。

やめてやめてやめてくれ。

私は心で何度も念じる。

分かっているけど、その事実を突きつけて欲しくない。向き合いたくない。
自分ができなかったっていう現実と直面したくない。

私の必死の念も虚しく、先生は、いとも簡単にその事実を口にする。

「もうちょっと、練習が必要だね」

……あー、まったく、本当にね。

言われた瞬間、胸がジジジジッと焼ける音がしていた。いつもいつも。
1週間前に、スラスラと弾ける状態でここに来ようって決心したのに、あまりにも理想とかけ離れた、この失態。

悔しいのだ。心から悔しいのだ。

ぼろっと、涙がこぼれていた。

なんでこんな程度のことで泣いてるんだよ、意味わかんないよ自分、泣くのやめろよ、と思うのだけれど、真っ黒な感情がいちど心を支配すると、涙腺のコントロールが効かなくなった。

やめようとすればやめようとするほど、涙が溢れ出てくるのだから、もう、私は、涙を止めようとするのをやめた。

先生が、次週まではここと、ここの部分を重点的に練習してきてね、と言っているけれど、そんなのも上の空で、いかに泣いたことが他の人にばれないように帰れるかばかりが頭の中を占めていた。

情けなかった。泣き虫なんて、扱いに困るし、第一この程度の失敗で泣くような人なんて、周りにはいなかった。

次回はぜったい泣かないようにしよう、と決心するが、黒マルの「あと一歩」の評価をもらう度に、私は涙を流すのを止められなかった。

ピアノは高校卒業まで続けていた。しかし、けっこう上の年齢になっても、合格できないと、私は目に涙を貯めていたのだ。

もう、こんなの情けなさすぎると思っていた。
あまりにも、簡単に泣きすぎだろうと。
この程度の出来事で泣く人なんていないのに、私だけ、簡単なことで涙を流すのだ。
こんなに簡単に感情に揺さぶられるなんて、このまま大人になったら、正直、やばい、とずっと思っていた。

だから、泣くのを封印した。

感情がマイナスの方に振り切らないように、平常を保つことを決めた。

「悔しい」と思うと、あの、訳のわからない真っ黒なモヤモヤが、心臓のところでぐるぐるして、喉まで込み上がってくるのだった。そのせいでいつも、泣きたいと思わないのに、勝手に涙が出てくるのだった。
私の全ての涙の根源は、いつも「悔しい」にあるのだった。

じゃあ、泣くのを封印するには、「悔しい」と思うのをやめればいい。

それが分かってから、私はここ最近、涙を流すことがなくなった。

何か感情が揺さぶられそうな出来事が起こっても、「ふーん」「まあ、いいや」と思うようにした。
一旦そうすると不思議なことで、感情が左右されなくなってきたのだ。

感情がマイナスに振り切らないことは、すごく楽なことだった。
感情に、自分の行動が邪魔されないからだ。

何があっても、なんでもないことのように、自然に振る舞った。そうすることが大人なんだと思っていたし、精神が落ち着いていることは、何よりもいいことだと私も知っていたからだ。

 

だから、布団の中で、またあの真っ黒い感情が私の心に現れて、ひどく驚いた。

本当に久々に、こうやって涙を流したと思った。
胸をつぶすような痛みの正体は、間違いなく、「悔しさ」だった。

痛みを感じながら、私は、どこか、ほっとしている自分がいることにも気づいていた。

感情が左右されなくなってから、昔はあれだけあったエネルギーまでどこかに行ってしまったような気が、ずっとずっとしていたからだ。
いつの間にか、私が私でなくなっているような気がしていた。それを見ないふりをしていた。

昔の私は、もっともっと、泥臭かったはずだ。

何か少しでもできないと、心から悔しいと思った。
喉の奥まで、ぐぐぐっと、ドス黒い感情がすぐに出てきた。
いちどその感情が出ると、何倍もの馬力が出た。
ぜったいに、完成させてやる、と。

もはやその気持ちは、妙な執着とか、ただの意地っぱりだと言われるかもしれないものだと思う。

けれど、またこうして、布団の中で涙を流せるほどに、私は「悔しい」と思えている。

ぜんぜん、恥ずかしいことなんてなかった。

泣くことを「恥ずかしい」と思っていたそれまでの自分こそが、恥ずかしいことだった。

そうだ、「悔しい」は、いつもいつも、私のエネルギーの根源だった。

ピアノのレッスンも。
勉強も。
走ることも。
ダンスも。

ぜんぶぜんぶ、頑張ろうと思えるパワーの根源は、どう考えても、いつも悔しさなのだ。
何くそっと思う気持ちだけで、ここまで私はやってきたに違いなかった。私にとって、それだけが唯一の持ち味だった。

大人になるにつれて、自分そのままでいいよ、変わらなくていいよ、という考えが、私の中で大きくなっていった。確かに、それも大事な考え方であることに違いないのだと思う。けれど、同時に、それだけじゃ私は何も前に進んでいないことも、頭のどこかで分かっていた。
感情を揺さぶられないようにしていたのは、精神が安定しているのではなく、ただ自分が競争から逃げているだけだった。「平常心」というのは、一見、正義のように見えて、実は努力をを避けるための絶好の隠れ蓑でしかなかったのだ。

「悔しい」は決してマイナスの意味ではなく、それは、バネをためているということだ。そのあとの伸びが、想像を軽く超えるようなものになる前の段階というだけだ。大ジャンプの前に、膝を曲げなければ、大きく跳ぶことはできないのだ。

泣けるほど悔しいなんて、それだけ自分に期待しているという証拠じゃないか。
自分はもっとできると、まだまだやれると、何よりも自分を自分で信じているからこそ、涙が出るんじゃないか。
自分に何も期待していなかったら、そもそも、こんな感情、起こらないのだ。

そう、「悔しさ」こそ、私の武器だ。
人よりすぐ泣けるほど悔しさを感じられることが、私をここまで連れてきてくれた、何よりもの強みなのだ。

もう、泣くのをやめる、なんて、やめよう。
悔しさでも、喜びでも、なんだっていい。心に出てきた感情は、そのままぜんぶ、感じ切ろうと思う。

あの、心臓に出てくるモヤモヤは、本当は、真っ黒い色なんてしていないのだから。

久々に私の中に戻ってきたこの感情に、私は布団のなかで「おかえり」と、声をかける。

真っ黒だったはずの心には、家のリビングから漏れるような、オレンジ色の暖かい光が宿っていたことに、私はやっと気づくことができたのだ。

 

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