チーム天狼院

女子大生三宅香帆、「京都天狼院」店長に就任しました。~『枕草子』編~《三宅のはんなり妄想記》


 

「頼む、オンナゴコロを、教えてくれ……」
私の目の前にいる、疲れきった顔をしたそのお方は、血走った目でそうおっしゃいました。

初めましてあるいはお久しぶりです、わたくし女子大生ながら京都天狼院の店長をしている者でございます。

私は相も変わらず、好きなものは本とお酒と甘いもの。
本を片手に、お酒をくいいっと飲みながら、ふうふうとおつまみの入ったお椀に息を吹きかけておりました。どうかお行儀が悪いぞきみ、と怒らないでくださいませ。このさむむむい冬に、蕩けそうにあったかいおこたに入りながら、お酒と甘いものと文庫本を手にすることの幸せと言ったら!  もう! ちくしょう! こんちくしょう! それらに人生の敗北を賭けてよいくらい、私は幸せになってしまうのです。

本日のお酒は、「榊の雫」。三重の日本酒なのですが、地元の温泉の源泉を割水として使われているよう。
おつまみは、あずき缶をとろろろっとなるまで煮込み、ぷりっと小ぶりの白玉をつくり、そして自らいただくという自家製かんたん善哉でございます。自分でつくりますと白玉を贅沢にいくつも落とすことができて、チアワセ。

そして読んでいたのは『枕草子』。言わずと知れた古典作品ですけれども、教科書でしか読んだことのない方に対して私は、ほんとうの面白さをアナタはまだ知らないぞよ! っと、指を突きつけたくなります。今の時代のものもそうですが、エッセイというのは「ここが特別オモシロイ」という類のものは、まだ二流。一流のエッセイは、全編通して読者が感じる、その作者のまなざしこそがオモシロイし素敵なのです。

さて、とある段を読んでいる最中、お酒を飲みすぎたのでしょうか、私は、ねむねむと夢の世界に入ってしまいました。善哉とおこたとお酒にとりかこまれ、あたたかな幸せのなかにいた……の、ですけれども………

気がつくと、「さむっ!?!?」 私は思わずそう叫んでしまいました。さっきまであんなあったか~いとこにいたのに!?

うあ? ここは? どうやら現代ではございません。

もしかして、私またお酒の入口から時間飛行なるものを!?
なんだか見覚えのある展開を予測し、私が周りを見渡すと、目の前に、きららん平安貴族な男の人がいることに気づきました。

そして彼はがしっと私の肩をつかみ、「オンナゴコロが分かる本を、教えてくれ……」そうおっしゃったのです。

ちなみに、私にはじめてお会いする方のためにご説明いたします。
なにやら京都というのは時空の裂け目が多様にある街でして、本とお酒の引力そして陰陽道の手法をお借りすると「呼ばれた場所、時間にトリップできる」という摩訶不思議な行為が可能になるのでございます。陰陽道が深く関係するこの理屈ですが、私もその原理を理解できたのは戦国時代に行った最近でして、詳しくはあちらの天狼院書店が発行した『READING LIFE』という雑誌にてお話しましたので、そちらをお読みになって頂けましたら……っとスミマセン、なんだか宣伝になってしまいましたわね、ほほほ。
わたくし、こう見えても本屋ですから。

私の肩をがしっとつかんだ後、彼は私の服をじろじろと怪訝な目で見て、「しかし……頼んでおいてなんだが、君は何なんだね……、なんだその変な格好は」そうおっしゃいます。
そら変でしょうとも。私は未来から来たんですから。いつものことながら、苦笑してしまいます。

「私は……単にお酒の入口から参って、あなたを助けるだけですわ、お気になさらず」
まずは、お話を聞くより先に、ご依頼を引き受けたほうが早そうです。

「分かりました、女心が分かる本、持ってきて差し上げます」
ですので、と私は指を合わせました。
「お酒を一杯、頂けますか?」

さあてさああて、お酒を飲んで現代に戻り、「女心の分かる本」の選書でございます。
オンナゴコロ……オンナゴコロ……正直ね、女からしても女心って分からないのですよね!
だってほんとは、「これが女心だ」って認めたくないんですもの。女心なんて、大抵は自己愛と曖昧さの溶け合ったどろりとするナニカでしかありません。

しかし敢えて「これならば」と言いますと……、

まず、本谷有希子さんの『生きてるだけで、愛。』(新潮文庫)。
はじめて読んだ時、女の人の自意識や自己愛をそのまま取り出して作品にすると、こんなキュートでグロくなるのか、と感嘆いたしました。女のめんどくささを描ききった物語。
そして次は、ジェーン・オースティンさんの『高慢と偏見』(ちくま学芸文庫)。
国も違えば時代も違うイギリス文学の古典ですが、描かれているのは、現代日本に住む私たちも「いるいるこういう女の人~」と笑い転げてしまうキャラクターたち。女なぞ、どの時代でもどの国でも大した違いはございません。
もう一冊、イロモノいっときましょう、日本女性言語学会編の『オンナの建前?本音翻訳辞典』(扶桑社)。
タイトル通り、女性の建前と本音を少々過激にのっけております。はははと笑いながら、「お、女って一体」と冷や汗をかけるこの本も、読んでおくと女心対処に役立つかもしれません。

このあたりの本を持ちまして、お酒をぷはーっと飲み、平安時代へ戻ります。
平安時代にゆくと、書物もきちんと巻物に。便利なものです。はてさて。
彼は、「おお、これが……」とまじまじ巻物を見るのですが、どこかすっきりされないお顔。

その時です。
「行成、ここにいるのー!?」
大きな声で、女の人がそう言って御簾を上げられました。

平安時代の女房装束に身をつつんだその方は、私をぱっと見るなり「あんた誰!?」とこれまた大きな声をあげられます。
「え、えーと」私がしどろもどろになりますと、
「えらいぼーっとした娘ね!? ていうか変な服着てるわね! もしかして、田舎のほうから新しく入った女房!?」
と、いきなりのマシンガントーク。

すると、行成と呼ばれた殿方と彼女のマシンガン会話が始まりました。
「いや、俺がお前の言う『女心』を分かるため、まじないで呼び出したんだ」
「はああーー!? あの女心ってやつ、あんた本気にしたの!? まーーーじで!?」
「おっお前が呼べって言ってたじゃないか」
平安言葉に「まじ」なんて言葉はないでしょう。この陰陽道式タイムトリップの言語変換機能ってどうなっているのかなぁ……なんて私がぼんやり思うあいだ、喧々諤々とおふたりはお喋りになりました。

そして、私に事情を説明することが決まったのか、女性の方がいきなり私の方を振り向き、「話を聞いてちょうだい」と言いました。な、なんて強引なお方。私がこくこくと頷くと、実はね、とマシンガントークで彼女が話し始めました。

「実は、とある、お隠れになった方の『扇』を、探してるの」

そのお話を、要約いたしますと。
――最近、とあるお后様が、ご出産に際して、突然お亡くなりになってしまった。
まさか出産でお后様が死ぬと思っていなかった帝は、悲しみにくれた。
そしてせめて形見に、と亡くなったお后様の扇を欲したのだけど、なぜかその扇は見つからない。お后様の扇なんてどこかに捨てるはずもないのだけど、どこにもない。扇を探せ、とのお達しが帝からくだった。しかし、男は皆目見当がつかない。
その旨をお后様に仕えていた女房に相談すると、「そもそも女心の分かってない人に、扇を探そうなんて無駄だ」と一蹴される。女房は冗談のつもりで言ったのに、その言葉を額面通り受け取った男は、まじないで、「女心のわかる方法」を求めることとなった――
とまぁ、こんなところでございます。

「扇、ですか……」
たしかに、平安時代の女性にとって、扇はなにより必須の持ち物。それがなくなるなんて、あんまり考えられません。
「君も、一緒に探してくれないか!」彼が、必至の形相で私にそうおっしゃいます。帝からのお達しということで、よほど切羽詰っているのか、彼の気迫に押され、私も「はぁ……」と頷いてしまいました。

そして頭を整理すると、ぴん、と気づいたことがありました。
「もしかして、あなた、『枕草子』っていう随筆書かれてたりしません!?」私が彼女につかみかかり、そう叫ぶと、「か、書いてるけど、なんなの」と、少し強引な彼女が初めて後ろにのけぞったのです。

実はやっぱり、私に説明をしてくださった彼女、『枕草子』の清少納言さんでございました! なんとまあ、こんなところで憧れの作者さんに出会えるなんて! 胸のときめきが止まらないったらありゃしません。
そして、先ほど「行成」と呼ばれていた、私を呼んだ殿方のうちのおひとりが、藤原行成さま。彼の『権記』という日記が大変有名なお方。『枕草子』では清少納言さまとのやりとりが綴られておりますが、こうして見てみると、実際におふたりは仲の良い同士だったのでしょう。

しかしなんでこれが分かったかと言いますと、先ほど出てきたお后様と、帝の話でございます。
帝は、おそらく一条天皇。そしてそのお后様が、藤原定子さまのこと。
一条天皇と定子さまは仲がよろしく、そして定子さまが出産したところでお亡くなりになった……という話は、有名な逸話でございます。

そして、この定子さま。
清少納言が仕えたお姫様だったのですが、この方、実は、14歳で入内した後、悲劇の人生を送られております。
若い頃、これからという時期に後ろ盾を亡くし、政治の抗争に巻き込まれ、自ら髪を下ろし、出家。その後もう一度宮中に上がるも、帝は新しい正妻を迎え入れ、第三子を産んだところで亡くなる……という、藤原道長の栄える時勢前夜の、悲劇のお后さま。
明るくて楽しい『枕草子』を読んでいると、そんな悲劇をみじんも感じません。が、史実を追うと、定子さまの悲痛が見えてくるのでございます。

さてそんな登場人物紹介も終わったところで、話を扇の事件に戻しましょう。

三人で話したところ分かったのが、まず定子さまの扇は、ご出産に入られる前は肌身離さず使っていたとのこと。そして出産後、気がついたら扇がなくなっていたといいます。
「ということは、ご出産の前、部屋に入れたやつが持っていったのがあやしい、と考えるべきか……?」
行成さまが、眉間を指で押さえながら、そう言います。
「入ったとなると、私たち女房と、出産のためにやって来てた姫様のお兄様方と……」
指を折りながら清少納言さんは数え、突然「あっ、邸の主人が出入りできるわね!」と大きな声で言いました。

実はこの時代、出産は「穢れ」だと思われており、出産となるとお姫様は宮中を出て実家に帰るものでした。しかし定子さまの場合は色んな政治意図が交じり、実家ではなく、平生昌さんという身分の低い方の家に下ることとなったのです(この様子は、『枕草子』にも、皮肉混じりで描かれておりますっ)

「話、聞きに行くか」
そう言って、行成さまと清少納言さんと私(不審に思われないよう、女房装束を貸して頂きました)は、生昌邸にお邪魔することになりました。

邸の前には誰もおらず、夕暮れ時でしたが、こっそりと三人で入ることに
あまりきれいな手入れはされておらず、庭の草はよく伸びております。がさがさと草を鳴らしながら入ったのですが、邸の中はよく見えず。やっぱり正面から出直そうか、と言った時のことでした。

足下を、がささっと何かが歩きました。

「ひええ!?」と私が叫ぶと、
にゃおん、と鳴く声が聞こえたのです。
「あ、猫」
草の影から、黒い猫さんが飛び出して参りました。あー平安時代って普通に猫飼ってたものねぇ、と私は頭の中で教科書をめくります。

すると、くしゅんっ、と行成さまがくしゃみをなさいました。
「あれ、行成さま、お風邪ですか?」私がそう聞くと、「風邪?」と首をひねられます。そうか、この時代ってくしゃみをしても風邪って概念がないのです。
「いや、おそらく私は猫と前世で悪い関係だったのだろう」
猫と前世で? 私が首を傾げると、行成さまが鼻をすすりながら顔をしかめます。
「帝も猫がお好きなのだが、どうも私の場合、猫が近づくと、鼻の調子が悪くなってな……肌も赤くなる」
えっそれ完全に猫アレルギーですよ! ……とツッコミそうになったところで、気づきました。そうか、動物アレルギーって概念もここにはないんだ、と。
「そういえば、姫様も猫お好きだったけれど、よく猫が近づくと体調悪くなられてたわ。鼻だけではなくて、息が苦しいとおっしゃるほどだった」
清少納言さんが、思い出したかのようにそうおっしゃいます。私は、それ妊婦にはだめなやつじゃ……と心の中でツッコミ。
お医者様とか、経験則的にアレルギーってわからなかったのかなぁ。そう思ったと同時に――あっ。閃くものがございました。

「お医者さん、ですよ! ずっと定子さまの部屋を離れなかったの!」

お医者様ならば、きっと妊婦さんのそばを離れないはずです。話を聞いたら、何か、分かるかもしれません!

その後、邸の主人にも話を聞こうという話になり、私がお医者様(主人の方に呼んでいただきました)、清少納言さんと行成さまが邸の主人、と二手に別れてお話することになりました。

私の向かいに座ったお医者さまは、「はぁ、あの時のことですか……」と眉を下げられます。
自分が見た妊婦、しかもお后様を死なせてしまった経験など、思い出したくないのが普通でしょう。
「扇なんぞのことは……覚えとりませんなぁ……」
困ったように、そうおっしゃいます。
うーん。そこをなんとか。私はねばねばとねばります。

すると、ゆっくりお医者様は口を開かれました。
「あの時は……扇なんぞ見る余裕もないくらい、本当に、お后様の容態が急変されて。ご出産の時まではお身体も、もっていたんですよ。それがその後が急に……」
お医者様は、そこで言葉を詰まらせます。
「後で聞いたら、ご出産の前に、お后様は既に遺詠を残されていたと言いますし……やはり、生きる気力がもたんかったんじゃろか」
遺詠とは、遺書のような歌のこと。
「それは……定子さまが自分で死ぬことを、お産の前に、予測してらしたということですか……?」
じゃないと遺書なんて書きません。私がそう聞くと、
「三首、ご出産の前に既に歌われてたようですぞ。確かに、どこか死を予感してらしたのかもしれん……」
お医者様は、ますます肩を落とされます。
「わしも、あんな風になるとは全く予想できなんだ。何か悪いものでも食べてしまったんじゃろか、と思ってしまいます」
「そ、そんな急に悪くなられたんですか?」
「そうですな……もちろん出産というのはいつだって急に悪くなることはありますが、あんなんは初めてじゃった。本当に、急に悪くなられた」
急に悪くなる……お医者様がここまで言うのなら、きっとよほどのものだったのでしょう。

その時、あ、と先ほどの風景が思い当たりました。

私は、もしかしたら、定子さまの容態が急に悪くなったのは……と、思い当たることがあったのです。
現代の、医療知識からすると。

「あの……薬師さま」
ん? と、お医者様は顔をあげられました。
「部屋に、猫はおられませんでしたか?」
私がそう聞くと、お医者様は、ああ、と頷かれました。
「猫のう、おったおった。
帝が猫をお好きじゃからのう。お后様は、猫を見ると、帝を思い出せて、うれしくなるとおっしゃっとったぞ」

――――これは、もしかして。

ひとつ思いついた私をよそ目に、ふっと思い出したかのように、お医者様は顔をあげられました。

「そういえば、定子様の容態が変わる前に、一度清少納言さんが部屋に来られて、二人っきりで話をされていたの」
お医者さんは、その時の様子を何気なく付け加えられたのですが、他のことで頭がいっぱいの私には、それほど耳に入りませんでした。

「ねえ、そっちは庭よ!?」
邸の主人と話しておられたお二人を引っ張って、私は庭のほうへ行きました。
きっとここに扇はある。私はそう思ったからです。

そして、庭に出たところ。
にゃおん、と黒猫が鳴いております。私は、あわててその猫を追いかけました。二人も「ちょ、ちょっと」と言いながらも、追いかけます。

そして、猫が草むらの中で、ごそごそと何かをし始めたとき。
私は、振り返って、二人に言いました。

「猫です」

へ? 二人とも同時に、すっとんきょうな声をあげられます。
私は、その猫を抱き上げ、清少納言さんに預けました。
「猫の中には、収集癖がある猫がいるんです。そして扇も……ほら!」

猫をどけた下には、猫が収集したであろう色んなものと、

土に汚れた扇が、置かれておりました!

そして私は、推測ですけど、と続けます。

――定子さまは、おそらく猫アレルギーだった。
猫アレルギーは、妊婦にひどい時には致命的な影響を与えることがある。だけど帝の思い出だから、と定子さまはそのまま猫を置き、逆に悪化させてしまった。
一方、猫は邸のものを収集する癖があった。その中でも、光る扇は猫の気に入るものだったらしい。いつもは定子さまの手にある扇も、この時ばかりはほったらかしにされていた。それを猫が、持っていったのではないか――

「お后様にお隠れになった原因すらも……猫、だったのか……」
行成さまは、呆然と、呟かれました。当然です、帝の溺愛していた猫が、お后様の死因に関わっていたなんて、誰が思ったことでしょう。
清少納言さんのほうはしゃがみこみ、猫を放ち、扇を丁寧に、そして重たそうに持ち上げました。丁寧に丁寧に、何度も何度も土を払います。そして、両手で、ぎゅっと大事そうに胸に当てられました。
そのお顔は、下を向いているので、私から見えません。

帝と、猫と、お后様。猫アレルギーと、持ってかれてしまった扇。
……一条天皇と中宮定子さまの愛が生んでしまった、これもまた、ひとつの悲劇だったのでしょうか。私はそんなことを考えて切なくなってしまって、下を向きました。

―――その時、清少納言さんの足もとに、黒猫がにじり寄るのが見えました。
すると清少納言さんは、黒猫をゆっくり撫でます。片手には、お后様の扇をしっかり抱いて。

その時「あれ?」と、感じた違和感が、私には、どうしても――――――――

それは、行成さまが帰ってしまわれて、私と清少納言さんが、宮中の門の前に立ったときのことでした。
もうとっぷり夜になり、さいわい月が明るいから顔は見えるものの、足元はよく見えない頃です。
「さて、私も、田舎に帰るかしらね」清少納言さんが、ぽつりとそう呟かれました。
「田舎に……帰られるんですか?」私がそう聞くと、清少納言さんが、顔を歪めながら微笑んで、「あの方のいない宮中にいても……すること、ないし」そうおっしゃいます。

じゃあこれが最後か、と思ったら、「そういえば」という言葉が私の口から出てきました。
ん? と顔をあげられた彼女に、私は、いやっと手を振ります。
「いや大したことじゃないんですが、薬師の方がおっしゃってたんです」

定子さまの容態が悪くなる前、人払いをして、定子さまと清少納言さんが、ふたりっきりで何かお話してた、って。

「どんなこと話されたのかなぁっと思ったり……」と、私が笑いながら言ってるうちに、夜の闇の中でもわかるほど、彼女の目がみるみる見開かれてゆきました。
え、どうしたんだ……? と私が戸惑ってるうち、

「……それ、誰にも言ってないわよね」
感情のない声で、彼女はそう言います。

そして彼女は、その手に持っていた扇を両手で持ち替え、ぎゅうっと手に力を入れられました。扇が、手に、食い込むくらい。
――その重そうな扇を見ると、私は、どこか頭の中で違和感がわきおこるのを止められませんでした。

ふたりっきりの部屋。重そうな金色の扇。部屋にいた黒猫。

―――その時です。
私が顔をあげると、そこにいたのは、

―――――――月明かりに照らされ、鬼のような冷たい、微笑みを、浮かべる女。

 

「ねえ、気づいた?」

 

――――――――――――――――――――――――え?

にゃおん。
黒猫が、どこからか忍び寄り、闇夜に鳴きます。

猫が、あんな重い扇を持ってゆけるだろうか?
妊婦を見ていた医者が、猫がくるとくしゃみするということを一言も話さないなんてことがあるだろうか?
――――そんな私の違和感が、風のごうごうとした音とともに、頭の中を駆け巡ります。

不自然な扇の在り処。定子さまの急な死。黒猫というカモフラージュ。

それは、それはそれはそれはそれはそれはそれは、もしかしてもしかしてもしかして、

猫を犯人に仕立て上げ、みずから扇を隠し、アレルギーという嘘を吐いた人がいて―――

 

「もしかして、ほんとうは――――定子さまを――――殺したのは――――」

 

黒猫では、なくて。
震える声で私がそう言いかけた時、
にこっと笑って私に近づき、その指を伸ばし、私の口に触れます。

 

「あの唇に、ふれたかったの」

 

そう言って―――――――清少納言さんが微笑み、ぞっとするほど冷たい息が、私の頬にかかります。

ひんやりとした闇夜で、扇を広げる、都の鬼。
扇が隠した、その、微笑みの、下には―――――

 

「私が、やったのよ」

ほんとうは、その扇の騒動の下に、隠したいものが、あったから―――――――。

鬼は、ほう、と恍惚とした表情を浮かべて、呟きました。

「あの方のやわらかな口に、私が薬を入れて差し上げたの」

ああ美しい。今日の月夜は、美しいわね。あの晩みたいに。

 

――――、一度髪を切り出家した身で、戻ってきた宮中。愛する一条帝はいるものの、その方ですら、他に后を持つこの世。零落した実家。それでも、出家すら、もはやできない身だったから、あの方は。
これ以上、美しい光が翳っていくなんて、あってはならないから。

 

ねえ。
なんですか、姫様?
怒らないで聞いてね。
怒ったりなんかしませんわ。
ねえ、この子を産んだら、私は楽になっていい?
―――私は微笑む。この光が、翳らないように。
いいですよ。私がきっと、楽にしてあげますからね。
―――光が明るく咲う。
ありがとう。好きよ。
私も、ですよ。

 

 

その先のことは、よく覚えていません。取り乱した清少納言さんが私に掴みかかり、やっばいと思った矢先、意識が遠のいて、気がついたら京都天狼院に、いたのですから……。

気がついたらこたつにいた私の手元には、『枕草子』があります。
結局あの後、清少納言さんがどうされたのかは、分かりません。
ですが、この本を読むと、端々に、清少納言さんと中宮定子さまの、明るくてきらきらした光あふるる日常が、見えるのです。
それはおふたりの、狂った恋情に反射されたプリズムだったのでしょうか。

「煙とも 雲ともならぬ 身なれども 草葉の露を それとながめよ(火葬はされないので、煙にも雲にもなることができないわが身ですが、草葉の露を私と思って眺めてください)」――そう歌う定子さまは、もしかしたら、清少納言さんに「私はあなたと地上にいるわ」と言っていたのかも、しれません。

だとしたら、定子さまの光は、この『枕草子』という随筆によって、ずうっと残されることになった。―――清少納言さんの望みは、果たされたのでしょうか。
私は、あの冷えた月夜を思い出して、空を見上げます。
窓からは、陽の光がふんわり差していました。

どうか、いつまでも、この美しい随筆が、たくさんの人に光を与え続けますよう。

そう思いながら私は、人のいない店内に差し込む陽の光を、ぼんやり見ていたのでした。

ここは天狼院書店「京都天狼院」。
なかなかお客様もいらっしゃいませんし、お酒と本と甘いものを堪能する、という秘密の贅沢を味わいたくなったら、一度立ち寄って頂ければ、私はとてもとても嬉しく思います。
もちろんいつの時代の方でも。

それではまた、ごめんやす。

 

※このお話は妄想フィクションです!でも京都天狼院は本当にできます!

 


2016-03-07 | Posted in チーム天狼院, 京都天狼院, 記事

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