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チーム天狼院

ただの男友達が「男」に変わる瞬間の出来事について【「や行」の特等席】《海鈴のアイデアクリップ》


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「お疲れ様でしたー」

スタッフに挨拶をし、事務所を出る。もうとっくに終電時間は過ぎており、歩いて帰るしか交通手段が残っていない。

どうせ今日も、帰ってすぐ布団に倒れるだけになるだろう。パンプスが食い込んで爪先がじんじんと痛くなってきた。

「中学の時のあいつ、結婚するんだってさ」

昨日入ってきたメッセージに、おめでたいね、と返しながら、もうそんな歳かとため息をつく。

記憶を辿る。そんな奴もいたっけ。卒業してから全然会っていない。別のクラスで、中学校ではヒョロヒョロと頼りなかった印象だったけど、結婚するなんて奥さんを支えられるさぞ立派な男性になったんだろう。よかったよかった。

夜の住宅街を歩きながら、懐かしい中学時代に思いを馳せた。桜の花びらが、ひらひら落ちて頭上をかすめていった。
そういえば、彼は今どうしているだろうか。

男友達は男友達で、それ以上になることはない。
たいていの場合、男女というのはそういうものだと思う。けれど、その壁をいとも簡単にぴょんと飛び越えてくる人がまれにいる。

あの時、私はどうすればよかったのだろう。

もっと違った今、なんて綺麗なことは言わない。けれど、あの時にしか味わえない「何か」に私たちはなっていたかもしれない。

カズとは、中学のクラス替えで同じ組になったのだ。

新しい学級に入ると苗字のあいうえお順で席が決まっていた。入り口側前方の席から「あ」で始まり、窓側の最後の人が「わ」行で終わる並びだった。

「山本」の私は、たいてい後ろから2番目か3番目で、新しい年度のはじまりは教室のすみっこからクラスメイトを見渡すのがお決まりだった。

私はこの席がとてもお気に入りだった。無作為に集められたメンバーの後頭部を盾にして、授業中いくら教科書の落書きに興じていても、先生にバレないのだ。

夏には窓の外を眺めると、他のクラスが体育でサッカーをしているのが見えた。
友達がカッコイイと言っていた誰々は、風で乱れる前髪をいちいち直しているアイツのことなんだろうとか、校庭を縦横無尽に走り回っているアイツはもしかして普段は冴えない隣のクラスの誰々なんじゃないかとか、人間観察をしているうちに授業が終わっていく、そんな日々だった。

「規則、規則」できゅうくつな学校の中、何を考えていてもいいし、何をしていてもバレない「自由」を担保されたその席に座れるのは、「や」行の特権だった。

カズは、ちょうど「や」行の隣の席に来る苗字を持っていた。

流行っていたポケモンのゲームを中学生になってもちゃっかりプレイしていた私は、同じくポケモンをかなり真剣にやっていたカズと打ち解けるのに時間はかからなかった。
カズは、サッカーの時に前髪ばかりを気にしていたアイツや、普段やる気がなく気だるげにしている隣のクラスのアイツとは、ちょっと異質な存在だった。

そのころ、周りの男子と話していると、どこか一線引かれているように感じていた。何も気にしていませんよ、という顔をしながら実は女子が気になって気になってしょうがないという空気が教室じゅう、廊下にまで溢れるほど漂っていた。いつも男子は男子だけで固まり、女子は女子だけで固まっていた。中学生の男子と女子は、別の生き物だった。

けれどカズは、女子の私にも男子の友達にも分け隔てなく同じように接する人だった。他の男子に見られるような、少しはにかんだ感じや、目を合わせてくれない様子をまったく見せない人だった。男子同士ではおちゃらけているのに、「女子だから」という色眼鏡だけでよそよそしく接してくるような人と違い、ちゃんと「私」を見てくれていたようだった。それが、すごく居心地がよかった。カズとは、自然と話す回数が多くなっていった。

あいうえおの席順は、新学期だけでなくテストのときにも使われた。普段の席が離れても、テストの席順になるといつも近くにはカズがいた。テストの始まる直前の休み時間、昨夜どちらがいかに遅く布団に入ったか競い、最後の足掻きに問題を掛け合った。

全校集会の時さえも、先頭からあいうえお順で男女それぞれ一列に並んで向かう慣習だったおかげで、列の後方の私たちは遊び放題だった。

理由がなくても近くになってしまうカズには、自然とどうでもいいことまで話せるようになっていた。完全に、気の置けない存在になっていった。

その時私は、別に好きな人がいた。けれどなぜだか、カズとその話はしなかった。しなかったというより、できなかった。カズと私の好きな人は接点もなさそうだったし、カズはそういう話をするタイプの付き合い方をする人ではなかったのだ。

カズもカズで、自分の好きな人が誰だとか、お前の好きな人誰よ、などという話を一切振ってこなかった。暗に、「俺たちは単なる友達」というメッセージを送られているのだと思っていた。
ゲームをネットに繋いで通信しようと提案のあった時には、私は完全に彼にとっての友達のくくりなんだなと確信した。

自分の部屋で一人ベッドに寝転がりながら伝説のポケモンを譲ってもらい、電話機能でたわいもない話をした。なんの生産性もない内容だったけど、机には向かいたくないし、かといってやることもなければ暇だし、話すのは楽だった。

けれどいくらゲームとはいえ、男女が一対一で電話をしていることに違いはなかった。これはまるで恋人同士のようではないかと心のどこかで考えながら、いやいや、とその思いを打ち消した。私には好きな人がいるし、カズは仲の良い友達だし、彼だって私のことは付き合いやすい友達としか思っていないだろうということを知っていた。

次の日も、カズとはいつもどおりに接していた。
その時私たちは、席替えで偶然、前後ろの席になった。カズが前で、私がそのすぐ後ろの席だった。授業中はいつもカズの後頭部が視界に入っていた。

前からプリントが配られる時には、あ・うんの呼吸で受け渡しがおこなわれた。これが他の男子だと、そうはいかなかった。変に意識してしまうせいで、ぎこちなくなったり、どこか緊張した空気が張り詰めてしまう。分かり合っている空気が流れるのは、やはり良い友達だからなのだと思った。窓から入ってくる心地いい風に、彼のてっぺんの髪がそよそよと揺れるのが見えた。カズのすぐ後ろは、とても居心地がよい席だった。

それは、いよいよ、テストの答案が返却された時のことだった。
名前を呼ばれて答案を受け取り、サッと周りに見えないよう隠れて点数を確認した。思ったより良い点数で、ほっとした。

「なに? けっこう点数、よかったの?」

どうやら私はそうとう満足げな顔をしていたようで、席に着くと、カズが後ろを向いてニヤニヤと笑いかけてきた。

「ちょっと点数、見せてよ」
「じゃあカズも見せて」

せーの、で見せ合う。カズの答案用紙に記されていたのは、ほぼ私と変わらない点数だった。彼もどうやら満足のいく点数が取れたようだ。人のを見たいと要求しておきながら、本当は自分の点数を誰かに自慢したかったのだ。

「大会がテスト期間に重なって勉強時間があんまり取れなかったんだけど、いやあ私、よくがんばったわ」

私がほくほくした顔で答えた、その時だった。

カズが右手を伸ばし私の頭の上に添えたかと思うと、

「うん、がんばった」

と2回、ぽんぽんと優しく撫でてきたのである。

突然のことに、私は、え、と硬直した。一瞬のことなのに、指が髪にさらさらと触れる体温があたたかった。あ、意外と大きな手なんだな、と思った。いつもの声がまったく違うように聞こえた。とても優しい音が含まれた声色だった。心臓が、ぐっ、と音を立てて動いたのが分かった。ものの数秒の出来事なのに、何倍にも時間が引き伸ばされたような感覚だった。

そのまま彼はくるっと前を向くと、席を立ち、ぽかーんとしている私を置いて、男子たちがテスト答案を見せ合ってはしゃいでいる集団のもとへ行ってしまった。

一瞬だった。
けれどあの瞬間、たしかに彼は男友達から「男の人」になった。

それからもカズとは席が近くなることが多かった。何事もなかったようにたわいもない話で盛り上がって、適当な感じで接してもお互い気にすることなく、居心地がよい付き合いが続いた。

だけれども、一見そんなことをしてきそうにぜんぜん見えないカズが、他の男子じゃ絶対に恥ずかしくてできないようなことを、堂々としてきたのだ。それも自然な流れで。

私はその時もっと好きな人がいて、その人にぞっこんだったのだけれど、結局うまくいかないで終わってしまった。

もちろんカズには、そのことは一回も言ったことがなかった。
あの行動が、どのような意味だったのか訊くこともなかった。

どこか「男」だと感じつつ、それでもやっぱり私たちは友達なんだろうという思いのまま、「友達」でいつづけた。
お互い別々に恋して、どうやら彼も誰かと付き合ったという話を耳にした。相変わらず、お互いに恋愛事情の話は振らなかった。

私たちはきっと「男女」と「ただの友達」という間の、とても絶妙なラインの上で綱渡りしていた。
今だったらどうにかなったのかもしれない。けれどきっとその時は、どうにもならなかったのだ。

男友達は男友達で、それ以上になることはない。
たいていの場合、男女というのはそういうものだと思う。

けれど彼がそうだったように、その壁をいとも簡単にぴょんと飛び越えてくることがある。

あれほど見事に、友達の枠をするりと超えてきた人を他に私は見たことがない。

帰りの夜道を、桜の花びらが舞う。頭に一枚、ひらりと花びらが落ちるのが感じられた。

頭の上にぽんと置かれたその手は、完全に「男」の人のものだった。その手の温度を、今もときどき、思い出すのだ。

 

Photo©pondography

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