チーム天狼院

憧れの街・ニューヨークに単身で乗り込んだものの、そこで手にしたものは夢というより絶望だった≪弥咲のむしめがね≫


「夢が叶えられる! そして、そのチャンスは今しかない!」

 

決められた時間割に沿って、毎日モノクロの生活をしているわたしにとって、「夢が叶えられるチャンス」が目の前にあったことは、雷に当たるほどの衝撃だったし、そのチャンスを何としても掴みたいと思うのは当然の成り行きだったと思う。

だから、「夢を叶える」と決めた瞬間に、わたしはニューヨーク行きの航空券を取り、旅の予定をたてはじめた。

 

「学校があるじゃないか」

「他人に迷惑をかけるな」

と、何度言われただろう。

ニューヨーク行きを告げるたびに、汚れたものを見る目で叱責の言葉を食らった。言葉には出されなくとも、いかにも迷惑そうな態度を取られた。

まあ、そう思われても仕方がない。

旅行期間は長期休みと重なってはいなかったし、同時期に休む人なんていないから妬む気持ちも分かる。

出発までに他人の3倍働いてタスクを残さないようにしても、心理的迷惑をかけているのは間違いないのだ。

 

でも、わたしにとってそんなのは全く問題じゃなかった。気に留めることもなかった。

長年の夢が叶えられることに勝る出来事ってある?

それを全力で掴みにいかずに、何のために生きているの?

わたしは、それを説明できるほどの理由を残念ながら持ち合わせていなかったので、他人の意見を振り切ってニューヨーク行きを決めた。

 

 

誰だって、幼い日に夢を抱いたことがあるだろう。

「あなたの夢はなぁに?」と聞かれたこともあるだろう。

 

わたしの夢は、ちょっと変わっていた。少なくとも努力型の夢ではない。

けれど、今もわたしの人生に影響を与え続けている、れっきとした夢なのだ。

 

わたしがその夢を抱いたのは、6歳のときだった。

母親に連れられて、ミュージカル『CATS』を観た。猫に扮した俳優が歌って踊り狂う姿、俳優一人ひとりに個性を与えてそれを生き生きと魅せるストーリー、異世界に入り込んでしまったかのような演出、そのすべてに感動した。こんなにも面白くて魅力的な世界が、この世にあるのかと衝撃を受けた。

それからというもの、親に買ってもらったCDを毎日のように聞き、劇場に通った。わたしの頭の中は、『CATS』で染め上げられた。いつでも、どこでも、ずーっと頭の中では猫が歌って踊っていた。

そして、わたしの夢の一つに、「『CATS』を本場・ブロードウェイの舞台で見ること」が加わったのだ。

 

「そんなの、ニューヨークにすぐ行けば済む話じゃないか」と思うだろう。

残念ながら、幼い日のわたしはそんなお金を持ち合わせておらず、親が連れて行ってくれるわけでもなかった。

そして1年後、わたしが7歳になったときに『CATS』のブロードウェイ公演は終了してしまった。それは、「観ることが出来ない」、すなわち「夢が絶たれた」ことを意味する。

ブロードウェイは客入りが良ければロングラン公演されるものの、一度打ち切られるとリバイバルする可能性がとても低い。そもそも、星の数ほどミュージカルが作られているブロードウェイでは、散っていく演目のほうが圧倒的に多い、厳しいビジネス社会なのだ。

 

「一生、夢を叶えられないのか……」

と、小学生のわたしは心底落ちこんだ。

そして、ブロードウェイで『CATS』が復活することもなかった。

とは言うものの、わたしはそんなことでへこたれることもなかった。好きな人に断られてもずっと好きでいるかの如く、わたしは日本各地で『CATS』公演を追っかけたし、ロンドンやパリなどでも公演を見たりした。熱が冷めるということを知らなかった。むしろ、その愛は積もっていくばかりだった。

 

 

そして去年、「『CATS』がブロードウェイで16年ぶりにリバイバル公演する」というニュースが舞い込んだ!!!!

月日を経て、わたしは大学生になっていた。

「これは行くしかない!」とわたしは意気込んだものの、日々の忙しさから「時間がない」「迷惑をかける」と難癖をつけてしまい、ニュースから1年経っても観に行こうとしなかった。

自分の夢のひとつであったはずなのに、目の前にある「やらなくてはいけないこと」を優先してしまって、本当に「やりたいこと」を粗末にしてしまった。

なんとなく過ごしていたら時間が過ぎていく毎日に、自分の素直な感情さえも流されていたのだ。

 

時間は待ってくれない。

気づけば1年半が過ぎ、太平洋を越えて『CATS』リバイバル公演の打ち切りが、わたしの元に舞い込んだ。今年末までの上演だった。

「えっ、これを逃したら、もう夢を叶える機会がないということ……?」

打ち切りを聞いて、わたしは戸惑った。そして、瀬戸際に立たされてはじめて、心の底に眠っていた想いがふつふつと湧いてきた。

「わたしはブロードウェイで『CATS』を観たい」「憧れの地で夢を叶えたい」と、素直に思った。その想いは誰にも左右されることなく、しがらみや立場を超えて、わたしの中から湧き出てきた。

でも、ニューヨークなんて簡単に行けるもんじゃない。時間もお金もかかる。

学生だけれど毎日学校に行かないといけないことに変わりはないし、アルバイトで貯めたお金なんて雀の涙ほどしかない。

無茶してることくらい分かってる、迷惑をかけていることくらい分かってる。

けど、もう夢を掴むチャンスがないんだ、と思えば思うほど、わたしはそのチャンスをつかみにいかないと絶対に後悔すると思った。

それに成人してから、自分の夢なんてむず痒くて考えることを放棄していたけれど、よく考えれば夢の数なんて片手で収まるんじゃないだろうか。たった数個の夢を叶えずして、なぜ生きているのだろう、とさえ思うようになった。

 

 

そうして単身で乗り込んだニューヨーク、ブロードウェイ。

わたしは憧れの地を踏み、短期間ながらも煌びやかな世界の住人になった。

ああ、なんて素敵な場所なんだろう。

様々な人種、様々な言語、様々な文化が行き交い、人々の明るい声が聞こえる。街のどこを見渡してもネオンが輝き、まさに眠らない街だった。

そして、無数にある劇場のどこかで『CATS』が上演している、と思うと胸が高かなる他なかった。わたしは自然と駆け出していた。

 

 

念願の『CATS』公演日。

わたしはチケットを握りしめ、劇場の入口を見上げていた。看板に描かれた猫の目がわたしをじっと見つめる。

「ついに、ついに来たぞ……。ここに来るのがわたしの夢だった」

心の奥から打ち寄せてきた感激は、興奮するというよりもむしろ冷静さを保っていて、現実を受け入れられないような一種の危機感情がわたしを取り巻いていた。

わたしの好きな作家が「歩んだ人生を振り返ったときに、それが夢だったと気づく」と言っていたけれど、まさにその通りで、夢の最中はそれを実感できないのだろうと思った。

 

劇場の中は、ごみ捨て場だった。

わたしは劇場に足を踏み入れて、ようやく正常な感覚が戻ってきた。目前に広がる風景を頭に落とし込めるようになった。

馴染みの風景。変わらない。拡大されたごみの数々が、壁一面に貼ってある。『CATS』の舞台は、猫の目線から見たごみ捨て場なので、舞台セットもごみ箱になっているのだ。

 

席につき、心を落ち着けるや否や、舞台の幕が開いた。

オーケストラが奏でる前奏曲が、わたしを猫の世界に誘ってくれた。シンセサイザーが鳴り響き、不規則なリズムに乗って、猫たちが続々と現れる。捨てられた服の間から、ドラム缶の中から、舞台上のあらゆるところから現れる。

ごみ捨て場に多種多様な猫が揃ったところで、一夜限りの宴が始まる。ストーリーが始まった。

嫌というほど見た舞台だけれど、その新鮮さは全く失われることなく、わたしは幸福感に満たされた。可憐でのびやかな歌声や力強くしなやかなダンスによって、舞台上の表情は目まぐるしく変化し、わたしを虜にした。

 

俳優は一つひとつの役割を全身全霊で遂行していく。誇り高く、妥協を許さない。何者かにとりつかれたように踊り、歌い狂う。

俳優たちの高い志は、4列目で見ていたわたしに、はっきりと伝わった。曲が終わったとき、わたしは辛くて舞台上を見ていられなかった。絶望だった。

わざわざニューヨークに来て夢の舞台を見ているというのに、なぜか全力で楽しめない。心のオモテはめちゃくちゃ感激して、感動しているのだけど、ウラでは悔しがっているのだ。「お前はなにも出来てない」と、猫たちに嘲笑われている感覚に陥るのだ。

俳優たちが発する強烈なエネルギーを、わたしは受け止めきることが出来なかった。舞台と客席にある目に見えない境界線を、まざまざと見せつけられて、わたしは地団駄を踏むことしか出来なかった。

俳優たちの鍛え上げられた身体を見て、その歌声を聞いて、彼らが辿ってきた険しい道が連想された。ストイックに努力した痕が、そこにはあった。

わたしは何かをがむしゃらに努力したことがあっただろうか。出来ない自分を認めて、それを克服しようとしたことがあっただろうか。その努力は継続しているだろうか。

いいえ。わたしは、人に言えるほどの努力なんてしていなかった。吐き気のするような苦しい道も、無意識に避けてきたんだと思う。

鍛錬の成果を舞台上で爆発させている俳優の姿は、なんとなく日々が過ぎていくわたしの姿とは明らかに異なっていた。

彼らこそ夢を叶えた人たちであって、わたしは何も成し遂げていなかった。

 

わたしは、まだまだ夢の途中なのだ。

 

心から舞台を楽しめる人は、きっとそれぞれの場所で胸を張って生きているはずだ。頑張るお互いの姿に共感し、さらなる感動を生んでいるだと思う。

その事実を理解できるから余計に、わたしは自分の弱さが悔しかった。わたしが何も出来ていないという事実を突きつけられる舞台を、これ以上見ていられなかった。

 

カーテンコールでは、客席と舞台が一体となり、感動の渦が巻き起こった。やまない歓声と拍手は、お互いを称えあう意味だろう。少なくともわたしは、舞台上の俳優たちのやり切った笑顔を見て、そう思った。

わたしは、やっぱり辛くて悔しくて、胸が引き裂かれそうだった。

いち早く劇場から逃げたかったけれど、これ以上目の前のことから逃げるのは嫌だった。

わたしは、漠然と舞台を眺めていた。頭の遠くのほうで拍手が鳴り響いていた。

 

終演後、わたしは俳優たちに感謝の言葉を述べたくて、彼らに会いに行った。

公演終わって間違いなく疲れているにも関わらず、にっこりと迎え入れてくれた。わたしの拙い英語にも優しく対応してくれた。

そして、俳優は言った。「あなたも頑張ってね、また会えるのを楽しみにしているわ」と。

 

そうだ、わたしの夢はまだ終わっていないのだ。まだまだ巻き返し可能なのだ。

いつか胸を張って生きられるようになったら、もう一度彼らにお礼を言おう。互いを称えあおう。

わたしはそう心に誓い、帰路についた。

次こそ夢を叶えるのだ。

 

文:飛田弥咲(チーム天狼院)

 

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