チーム天狼院

アスペルガー気質の私が思う組織論。こんな組織が増えればいいのに。≪弥咲のむしめがね≫


空気が読めない。思っていることを相手に伝えられない。人の話を正しく聞けない。想像力が低い。こだわりが強い。

 

これって、すべてアスペルガーの特徴らしい。そして、多かれ少なかれ私も当てはまる。

私は軽度のアスペルガーだと思う。協調性は低くて、コミュニケーション能力も低い。ひとつのことを始めたら、それが終わるまで気が済まなくて、熱中してしまう。別にそれが悪いことと思ってないあたりも、アスペルガーっぽいかもしれない。

周りの人からしたら、私は面倒この上ないだろう。特に仕事仲間ならなおさらだ。友達ならばうまくいかないことも、その人の個性だと受けとめてくれるけれど、仕事は収益が伴うので、仕事が出来る人が好まれるのは間違いない。

 

指示をしてもそれを遂行することは出来ず、相手の思うようには動けないなんて人、誰が一緒に仕事したい?

客観的にみたら、私だって嫌だ。「これやっときましたよー」と涼しい顔して、数歩先に先回りして仕事をしてくれる人と一緒に仕事がしたい。疲れた時にちょっと気の利いた話なんかが振れたら、もう最高だ。

私はそんな人に憧れていたけれど、そんな人は姿形が見えないほどずっと先を歩いていて、私はただ、先輩や上司に怒られやしないかビクビクしながら仕事をしていた。仕事といっても、大学生の身分なので、アルバイトだ。責任は軽いかもしれない。しかし、私は誰かが嫌がる顔を見るのが嫌で、必死に喰らいついて仕事をしていた。

 

私にとって、バイト先を探すだけでも、めちゃくちゃ大変だった。慣れない環境で慣れないことをするっていうのが、私にとっては大きなストレスだったから。接客業よりも、裏でコソコソ仕事しているほうが自分に合っていると思って、そういうバイトばっかりしていました。かといって、それで安心できるというわけではなく、お客様に接しないバイトというだけで、仕事仲間には必ず接する。だから、人との関係性を掴むのには相変わらず苦労した。人と話すのがしんどくなると一人になれるところを探したし、時にはウマが合わずに辞めてしまったこともあった。

 

当時を振り返ると、仕事内容や対人関係で無理をしていたわりには、「それを乗り越えた」とか「あの時の自分は頑張っていた」といった感想は湧いてこず、「しんどかったなあ」という思いしか、記憶には残っていなかった。

だから、大学の卒業を1年後に控えたときに、わざわざ京都天狼院という本屋でバイトを始めると自分で決めたのは、さすがにバカとしか言いようがない。1年なんてあっという間で、辛い思いをしてまで新しい環境に飛び込むとはどう考えても無茶している。よりによって、苦手な接客業だし。

でも、京都天狼院でバイトを1年して思うことは、「やってよかった」という充足感、それだけだ。

 

 

では、天狼院のなにが良かったのか。どこがいままで経験したバイトと違ったのか。

 

「良かった」というのは、総合的にみて「良かった」というのであって、お客様に接するとか、様々な作業内容があるとかは、私にとっては「つらい」ことだった。

本を売る、コーヒーを売る。たったそれだけのことなのに、内心すごく怯えていたし、お客様の目を見て話すのも一向に慣れなかった。それに、小さな店舗でスタッフが少数ということもあり、商品の発注や仕込み、店舗のレイアウトや掃除といった細々とした仕事がたくさんあった。それらを覚えることだけでも一苦労だったし、完璧にこなすのにもとても時間がかかった。それに、1年経ったからといって、それらを克服できたわけでもない。

でも、その苦痛だけれど楽しいと思えたのが、天狼院だったのだ

 

 

シフト中にひとりでやらなきゃいけない作業はとても多いのだけど、それ以外のことでも「やりたい」と言ったら挑戦させてくれる環境だった。

天狼院では様々な本と関連したイベントを開催しているのだが、アルバイトの分際でもイベントの企画をさせてくれる。しかも、「やらせてあげるわ」みたいな上から思考じゃなくて、「やってみて! うん、いいと思う!」みたいな超プラス思考で受け止めてもらえる。特に女将(店長のようなもの)のなつさんなんて、「いいよ、絶対いい!」っていつも励ましてくれたし、私の考えが足りないときは、そっと「こうしたほうがいいんじゃないかなー」って頼もしい助言をしてくれた。

これは本当に有難かった。世間って出る杭は打たれる風潮があるし、私のこだわりは割と悪い方向で認識されることが多かったから、頭ごなしに否定するんじゃなくて、挑戦を許可してもらえる雰囲気というのが心地よかった。

そして、その雰囲気は、他人を認めるということにつながると思う。

誰かがバックスペースを綺麗にしたら「使いやすかったです。ありがとうございます」とお礼を言ったり、スタッフが書いた記事に目を通して感想を言ったり。それが、スタッフみんな当たり前のようにできるということは、相手のことを適切に認めているということだ。

相手を尊重して、考えていることを認めること。批判や否定は必要なくて、結果が出なければ本人が気づくと考えること。他者を認めることは、簡単そうでとても難しくて、どうしても意地っ張りな性格が出てしまう人が多いと思う。でも、天狼院のスタッフはそれが平然と出来ていて、私みたいな難ありな人でも、すぅーっと溶け込めた。私は幸せだった。

 

スタッフに「認める」雰囲気が流れているからこそ、お客様を認める、尊重する雰囲気も自然と出てくる

お客様の要望は少し無理をしてでも叶えたいという思いでスタッフは動いているし、本を並べたりポップを書いたりする本屋業務をするときだって、お客様がどう思うか考えながら動いていると思う。

私は、他人の気持ちを考えるのが苦手で、話しかけるのも苦手だったのだけれど、自分が認められて、自分の居場所を見つけて安心できるようになると、見知らぬ人が怖いなんて思わなくなった。与えられて充足しているからこそ、誰かになにかを与えるということが出来るのだと思う。

 

認めるのは、なにも人だけじゃない。私は、ファナティック読書会や天狼院フェスタ(いわば本屋の飲み会)などを自分の好きなように企画して、お客様を募ったけれど、すべてが上手くいくわけではなかった。中には、お客様が来ない! なんてときもあった。

そんなときでも、「残念だったねー、でも一回0人を経験したら強いよー」と上司は言ってくれた。自分の失敗に対して、こんな優しいけれど厳しさもある言葉を掛けてもらえるとは思わなかった。天狼院では、結果も素直に認めるのだ。「起きたことは仕方ない。それなら次に取り返せばよい」と言っているかのように、ただ事実だけを受け止め、将来につなげていくのだ。

 

 

様々なことを「認める」環境。それは蝶を掴むようなもので、一筋縄ではいかない。でも、「認める」環境があることで、自分の存在意義のようなものが認識できたし、それが接客とか協調性だとか私の苦手なものを凌駕し、あたたかみや心地よさに変わったのだ。

「誰かに認められることが全て」とは思わないけれど、少しだけでいいからお互いの考えや行動に自由を持たせる組織がもっと増えればいいのになあ、と思わないではいられない。そして、自由に動けるような環境を自分で作っていきたいと思うばかりである。

 

 

記事:飛田弥咲(京都天狼院スタッフ)

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