チーム天狼院

男が言う「ありのままでいいよ」を女が真に受けてはいけない理由【男子は見ないでください】


わかり合えない

「ありのままの君を受け入れるから、ダメなところも全部見せて良いよ」って言うから、安心して本当の自分でぶつかったのに。ありのままの素の自分を見せたら「なんか違う、ゴメン。重い」って。あいつ、信じらんない!受け入れられないならはじめからダメなところ見せて良いとか言わないでよ!!

なにそれ、最低!!男って本当に嘘つきだよね-。

ねー。

天狼院スタッフ川代です。こういう会話を、つい先日、某居酒屋でききました。となりの席に座っていた女子会で出た話題らしい。
どうやら、1人の大学生くらいの女の子が、彼氏に振られてしまったようす。酒を飲みつつ、愚痴るのを友人達がなだめながらきいていました。
大学生活四年目。こういう女子の会話はどこに行ってもよく聞きます。気の置けない昔からの仲間、サークルの友人などのあいだ、すれ違う女の子たち・・・。実際に私も似たようなことで愚痴をこぼしたことがあります。
「男は嘘をつく生き物」。これが女子会での常識であり、どんなうら若く美しい女の子でも、恋人とのいざこざにぶつかると、口を揃えて言うのです。「どうして男ってあんなにわかり合えない生き物なのかしら」、と。

さて、上の会話にも出てきましたが、「ありのまま」の自分で生きるって、なんて難しいのかと、最近よく思います。「アナと雪の女王」で、Let It Goが大ヒットして、天狼院でも歌詞をすべて暗記してしまうほどにリピートされていて、世間でもみんなが「ありの~ままで~」と歌っているけれど。「ありのまま」ってそんなに簡単なことなのでしょうか?

だって、「素の自分をぶつけてほしい」、と言われてそのとおりにすると、「そういうことじゃなくて」と言われる。もっと親しくなりたいから「ありのまま」の自分でいようと決めて、そう振る舞っているのに、なぜか前よりも距離が開く。彼が求めるからそうしたのに、どういうことよ?失礼でしょ!そんな会話を何度聞いたことでしょう。
どうしてこのようなことが起こるのでしょう。「ありのまま」の自分でいるって、一体どういうことなのでしょうか。「ありのまま」の自分でいるって、本当に良いことなのでしょうか。

たとえば、一組のカップルがいるとして、彼女の方は仕事でストレスが溜まっていて、最近彼氏とのすれ違いが多いとしましょう。すれ違いにイライラして、まわりが見えずにいる彼女を慰めようと、彼氏はこう言います。

「大丈夫だよ、全部受け止めるから。ありのままの自分でいてよ」

こう言われた彼女の方は、心底安心するのです。基本的に、女は「大切にされている」「自分はこんなに大切にしてもらえる価値がある人間なんだ」と感じたい生き物ですから、そのように「どんな君も受け入れるよ」とか、「どんな君も好きだよ」とか、そういう台詞が大好き。傷ついて不安で、自信を失っていたところに、そんな風に優しい言葉をかけてもらった彼女側は、極端に舞い上がります。そして、大切にしてくれる相手に対して、それ以上を求める。「もっともっと愛して!どんな私も愛して!」と。だから、ご丁寧にわざわざ自分のだらしなさをオープンにしたり、わがまま放題になったり、すっぴんでも平気でデートに行くようになったり、裸でも恥じらいがなくなったり。こうして文字におこして冷静になると、なんて厚かましいのだろうと分かるけれど、恋に落ちているときは、冷静な判断が出来ません。「恋は盲目」とはよく言ったもので、困ったことに、「君のすべてを受け入れるよ」という言葉を文字通りそのまま受け取ってしまい、本当に「すべて」をさらけ出し、徐々に「恥じらい」もなくなっていくということに気づいていない場合すらあるのです。

実際のところは、彼氏の方は、「ありのままの君でいてほしい」というのは、「汚いところを含めたありのままの君を見たい」という意味ではなくて、「変に意地張ったり、めんどくさい態度をとらないで、素直でかわいくいてほしい」という意味であることが大半ですし、どんなに好きでも、「平気でおならしたり、げっぷしたり、女らしくない彼女の姿も愛する」というのは無理があるというもの。

「自分に正直」「飾らない自分」という綺麗な言葉で飾り付けて、努力を怠ったり、相手を思いやらないというのは、「ありのまま」ではなく、単純に厚かましいだけではないでしょうか。

美輪明宏さんも言っていました。「『素の自分を愛して』というのは、畑からとってきたばかりの大根を、泥も落とさずにそのまま食べて下さいと言うようなもの。きちんと水で洗って、おいしく料理してはじめて、人様に出せるものです」、と。

「ありのまま」とか「素」っていうのは、あくまでも自分に対して使う言葉であって、他人との関係のなかで使う言葉ではないと、親と、恋人と、友人と、様々な人と喧嘩したりぶつかったり、すれ違ったり、傷ついたりしたなかで、思うようになりました。

「素直な態度で人と接する」のと、「ありのままの自分を見せる」というのは、言葉の感じは似ているけれど、実際の態度はまるで違います。

偏見を持たず、人を見下さず、変な邪心や計算をせず、自分の純粋な意見を人に伝え、また、人の意見にも聞く耳を持つ素直さと、
人が不快に思うような自分の欠点を、直したり隠そうと努力したりもせずに、人に受け入れて欲しいと押しつける態度は違う。もちろんこれが全てではないし、人によっても関係の保ち方は様々ですが。
私は「素直」と「素」は混同しがちであるということを意識するようになると、人間関係で悩むことが格段に減りました。

よくよく考えれば、生まれてからずっと一緒に生活している親とですら、わかり合えないことも多々あるのに、生まれ育った環境も、境遇も、出会った人も、何から何まで全く違う赤の他人に、「完全にありのままの自分」を受け入れて貰えることすら、ほとんど奇跡に近いくらいだと思います。

こうして書くと、エルサのLet It Goを全否定しているようにも聞こえるかもしれませんが、まったくそんなことはありません。むしろ、彼女の「ありのままの自分を受け入れる」という、自分軸での考え方は、幸せな人生の必須項目だと思うのです。

先程から「ありのまま」を他人にぶつける姿勢は失礼な場合がある、と書いてはいますが、それは「素の自分」を受け入れて欲しいという態度が自己中心的でわがままに思えてしまうから。そうではなく、ありのままの「自分」を、自分自身が受け入れる。
つまり、「自分、駄目で嫌いなところもたくさんあるけど、他人は他人、自分は自分。人と自分は違うのだ」、と認められれば、肩の力を抜いて素直に、より楽しく生きていけるような希望を持っています。

人と比較して、羨ましがったり、妬んだり、自分が人より「駄目」とか「できない」ことにむしゃくしゃしたり、世間の目を気にして、自分を良く見せようと見栄を張ったり。自分が一番になりたいから、まわりが下がってくれればいいのに、と人の不幸を願ってしまったり。そんな意地汚い自分に気が付いて、自己嫌悪になって、ますます「ありのままの自分」が認められなくなる。だからこそ、どんな自分も受け入れて、愛してくれる人を求める。

自分自身が「ありのまま」を認めてあげさえすれば、他人と比較することもなくなり、素直に接することが出来るし、純粋に自分の欠点を直そうと努力することができるのに・・・。実際は、他人に「ありのまま」を押しつけるくせに、内心はプライドが邪魔をして、「ありのまま」を認められない。意地を張って真逆の態度をとってしまう、苦しくて他人にも自分にも素直になれない、悪循環が発生します。
どうして、嫌な部分がある自分と、うまく折り合いをつけてつきあって行くというのは、これほど難しいのでしょうか・・・。

いろいろこうして書いてきたことも、すべて自分への戒めであって、書けば書くほど自分の欠点が見つかって・・・と、上にあげた悪循環にしょっちゅう陥ってしまうのですが。でも、私と同じように、なんだか人とわかり合えないモヤモヤ感、自分とわかり合えないモヤモヤ感を抱えている女の子って、意外と多いのではないかなあと思います。「ありのまま」って本当に難しく、こんなに長々と偉そうに語っておきながら、私もまだまだ「ありのままの自分」の扱い方は分からないし、頭でわかっていても実践できないことの方が多いのですが。
ただ、「ありのまま」というのは他人に対してではなく、自分のために使う言葉で、好きな人に「ありのままでいてほしい」と言われたら、素直になれるように心がければ、ちょっと楽に生きられるのかもしれないよー、ということを、こそこそっと、つぶやいておきます。

 

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2014-06-09 | Posted in チーム天狼院, 記事

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