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『世界で一番美しい死体』

こう書いてしまうと何か恋の始まりのように聞こえるかもしれないが《監督日記》


僕は押しつぶされそうなほどに様々な仕事を抱えているから、店主でありながら天狼院書店にいることはあまりない。
だから、一部のお客様の間では「はぐれメタル」と呼ばれて重宝がられている。
そう、ドラクエに出てくる、例のやつだ。
めったに会えずに、すぐに逃げて、運よく倒せればおびただしい経験値が得られる、やつのようだというのだ。
言われてみれば、たしかにそうである。
僕が「はぐれメタル」だとすれば、あの日、偶然に彼女に出会ったことは僕にとっても、彼女にとっても、あの瞬間は何らかの運命の始まりか、あるいは、翻っていえば運命がその偶然を演出したのやもしれない。

こう書いてしまうと、なにか、恋の始まりのように聞こえるかもしれないが、残念ながらそういった類の話ではない。

もっと未来志向的な、視線がずっと上を向き、焦点が地平線の彼方へと向けられる、そういった話である。

19歳の彼女、岩田ひかるが天狼院書店を訪れたのは、クリスマス商戦によって街が赤く彩られ、冬も本格的に肌で感じられるようになったころのことだった。

僕が店に入ってきたころには、ちょうど、ひかるは帰ろうとしていたときで、スタッフから僕はこう告げられた。

「映画部に興味があるそうなんです」

おそらく、ひかるはレジの前で困ったようにおどおどしながら、伏し目がちに僕を見たんだと思う。そして、おどおどしたままに何とか笑顔を作ろうとして、きっと、それに失敗して、とにかく、肯定の意思表示をしなければと思って、数度、頷いたはずだ。

そう、彼女は人見知りで、言ってしまえば、挙動不審だった。

ただ、僕は一目見て、ほんの数秒後に直感的に決断を終わらせてしまっていた。
僕は彼女にこう言った。

「女優をすることに興味はありませんか?」

「え? 女優ですか・・・・・・」

と、当然のように彼女は戸惑った。

「僕がつくる、今度の映画に出てもらいたい」

そう、僕は控えめに言ったが、実は会った瞬間に彼女を中心として映画を作ろうと決めていた。
たしかに、彼女は挙動不審だった。
けれども、それを補って余りある透明感があった。
それは、決して訓練ではつくりだすことができない、稀有なものだった。

あるいは、それを「華」と言ってもいいのかもしれない。
または、そのつぼみなのかもしれない。

ただ、会った瞬間に、僕の感受性は何らかの予兆を感知したことに間違いはない。

映画部の打ち合わせにおいて、この前、来た子を主演にしようと思うと伝えると、天狼院のスタッフであり、自分の劇団も持っている本山は、また始まった、とでも言うかのように苦笑した。
そして、映画部顧問の檜垣さんは全力で反対した。

「演技ができるかどうかもわからない素人をメインに据えるのは危険すぎる。撮影期間も短いから、メインは舞台や映画で慣れたメンバーで固めて撮るしか手段はない」

檜垣さんの言うとおりだった。至極もっともだった。僕も彼女が演技ができるとは思えなかった。鍛えたとしても、どこまで成長するか、未知数だった。彼女をメインに据えれば、この映画はのっけから大きなリスクを抱えることになると、当然、僕もわかっていた。

しかし、僕はその手の合理性よりも、自分の直感を信じることにした。僕はいつだってそうして生きてきた。

「僕は彼女に、なんというか、圧倒的な透明感を見ました。華があるというか・・・・・・」

檜垣さんは被せるように、そしてどこか嘲るように言った。

「華ですか。芸能界を30年見てきた僕は、それこそ様々な本物の華を見てきました。彼女にそれがあるとは思えません」

そう言われると、僕は押し黙るしかなかった。
たしかに、今をときめく芸能人のような華があるかと言えば、そうではないかもしれない。
けれども、華でなかったとしても、何かのきらめく価値を、僕が感知したことに間違いはなかった。

みんなの反対を押し切って、僕は彼女を主演に据えることにした。
もっとも、この段階で、彼女の了承を得ていたわけではないが。

年が明けて2015年元日の夜、天狼院映画部は本格的に映画の制作に乗り出した。

その場に、彼女も来た。
ところが、困ったことが起きた。

心配した両親まで連れてきてしまったのだ。

「本当にすみません。女優にならないかと誘われたって言ったら、祖母が心配で寝られなくなって、田舎の両親に連絡してしまったんです。それで、心配だから、一緒についていくと言ってきかなくて」

メールでは饒舌な彼女はそう言った。

要するに、こういうことである。

映画に興味があると天狼院という名の怪しげな書店に行った。

スキンヘッドでヒゲの店主が出てきて「女優にならないか」と19歳の少女を誘った。

少女はその気になって、祖母に言った。

祖母はそれはアダルトビデオとかやましい類の話に違いないと思って不眠症になった。

田舎の両親が心配で偵察にやってきた。

やれやれ、である。
苦笑である。
なるほど、たしかに、ふつうに考えればそうなる。
三浦という、直感で生きている生き物のことをしらなければ、僕でもそう心配する。

彼女の両親のゆるやかな監視のもと、打ち合わせは進んだ。

僕は彼女の両親に、身の潔白を説明するのを、放棄した。
それはそうである。
こんな怪しげな風貌の僕が、自己弁護したところで、怪しさが増すばかりである。

本山と大塩さんに任せた。聞いてはいないが、二人はきっとこういうことを言ってくれたに違いない。

怪しい風貌だが、案外、怪しくない。この店の名前も怪しいが、メディアとかでも取り上げられていて、今話題である。
天狼院には部活というものがあって、11月にも舞台をやっている。

その間、彼女は失敗をしでかした犬のようにずっと申し訳なさそうな顔をしていた。

結局、彼女の両親は、映画に出ることを了承した。
僕に対する疑いが解けた彼女のお母さんから、思わぬことを聞くことになった。

「実は、この子、秋の辺りに突然、映画をやりたいと言うようになったんですよ。もう大学をやめて学校に入り直したいという勢いで」

どこかで聞いた話だと思った。
誰だろうと思った。
僕であった。

思い返してみると僕は、『フォレスト・ガンプ』にいたく感動して、両親の猛烈な反対を押し切り、大学を辞めて東京に出てきた。そして、日芸の映画学科に入った。

ただ、これを言うと、話がややこしくなると思って彼女の両親には黙っていた。

彼女のお母さんは続ける。

「でも、親としては、せっかく大学にも受かったのに、不安定な道に進むのは心配で。だから、サークルとかでやればいいじゃないと言ったんです。そんなときに、ちょうどこちらを見つけたようで」

なるほど、そういうことだったのか、と僕は納得した。

彼女は、何気ない気持ちで、天狼院に来たわけではなかったのだ。
黒板に書かれている様々な部活の中から、この中なら、映画が割りと興味があるかなと思って映画部を選んだわけではなかったのだ。

そう、できたばかりの天狼院映画部に、未来を見ていたのだ。

勇気を出して、初めて天狼院に来たときに、ちょうど僕に出会ってしまい、「女優をやってみないか」と言われた。

それはきっと、彼女にとっては物語の世界に足を踏み入れてしまったようなものだったのだろう。

僕はそのとき、ご両親にこう告げた。

「映画やアートで食べていくのは、簡単なことではありません。ご両親が心配されるとおりです。ほとんどの人は食べて行けずに、就職することになる。天狼院の映画部も大学のサークルのようなもので、部活として活動していますから、まずはここで経験させてみるといいでしょう。飽きれば、別の道を模索するだろうし」

このときの僕の優先事項は、いうまでもなく、ご両親を安心させることだった。
それなので、僕らしくない言葉がここに連なった。

これをきいて、彼女は失望したかもしれない。
けれども、その裏で僕は、映画を作ることを通して、彼女の可能性を見出して行こうと考えていた。

そもそも、人生は両親が決めるものではない。
自分の人生は、自分のものだからだ。

映画の制作と平行して、演技のワークショップが進んだ。

芝居の経験が長い本山をつけて、徹底的に彼女を鍛えることにした。
また、芸能の先輩である佐伯くんも、彼女をサポートしてくれているようだった。

ところが、一向に、彼女は伸びなかった。
天狼院では「自分」を演じればいいので、そのまま素の自分を出せばよかったのだが、それにしても演技になっていなかった。
不自然のかたまりだった。

さすがに、僕も焦った。
直感を誤ったかと思った。
彼女を主演に据えていて、本当にいいのだろうかと、正直迷った。

周囲は一貫して、彼女を主演から下ろすように僕に言っていた。

そのころのことだった。

天狼院の映画の可能性をのばそうと、年末に出演依頼を出していた子から連絡があった。

そのシーンが、映画『世界で一番美しい死体〜天狼院殺人事件〜』にも描かれている。
湘南ロケで撮ったシーンである。

14 湘南の海・波防堤(夕)※回想*
オレンジ色に海を眺める本山、ひかるの後ろ姿。
波防堤に座って、二人は海を眺めている。
ペットボトルの飲料を飲み、一息ついている。
本山「ねえ、小学校の卒業文集って何を書いたか覚えてる?」
ひかる、首をひねる。
本山「あたしね、女優になるって書いてたんだよね」
ひかる「小学生のころからですか?」
本山、そう、と頷く。
本山「109のビジョンのところに私が大きく映っている絵も書いたりなんかして」
と、笑う。
ひかる「それ、叶うといいですね!」
本山、悲しそうに微笑む。それにはなんとも答えない。
本山「あたし、中学、高校と、今までずっと演劇をしてきたんだ。というか、25歳になるまで演劇しかしてこなかった」
本山、海を見つめる。
その横顔をひかるが見つめる。
本山、ひかるの方を向いて、
「私が身につけてきた演劇のスキル、すべてひかるちゃんに教えるね。ちゃんと主演ができるようにする」
ひかる「え、でも……」
本山「ひかるちゃんなら、私が果たせなかったこと、叶えてくれると思う」
ひかる「果たせなかったこと……」
本山「ううん、なんでもない! なんだか、いっぱい、動いたら、おなか空いたねー!(海に響き渡るように)」
ひかる、あ、そうだ、とポーチを膝の上に乗せてあける。
本山、その手元を覗きこむ。
ポーチをあけると、ぎっしりにポップコーンが入っている。
本山「ポップコーン!?」
はい、とひかるは満面の笑顔で頷く。
ひかる「ポップコーンがあると、どこでも映画館になるんです」
海を眺めながら、ポップコーンを食べる二人の後ろ姿。
その雰囲気を壊すかのように、携帯の着信音が鳴る。
本山「誰だろ」
と、ポケットからスマホを取り出す。
LINEの画面
本山「あ、三浦さんからだ」
LINEの画面
(三浦)『彼女から連絡があった! 信じられないよ、映画に出てくれるって!』
本山、打ち込む。
(本山)『彼女って、もしかして、出てもらいたいって言ってたあの人ですか?』
(三浦)『そうなんだよ! いやー、面白いことになってきたねー!』
ひかる「どうしたんですか?」
本山「なんだか、映画にすごい人が出てくれることになったって!」
ひかる「え、良かったじゃないですか!」
本山、素直には喜べない様子。
また、着信音が鳴る。
(三浦)『あ、そうだ、脚本全部書き換えることにした。彼女中心に書き直すよ。今までのストーリーは全部白紙に戻す。主演も変える』
それを見て、固まる本山。
本山、つぶやくように、
「あ、そうだって、あいつ……」
と、忌々しげに。
ひかる「どうかしました?」
本山、首を横に振って、
「ううん、大丈夫! 成長して、三浦さんをギャフンと言わせてやろう!」
ひかる「(笑顔で)はい!」
その膝の上には、ポップコーンが入ったポーチが置かれている。(オーバラップ)

その子こそが、御伽ねこむだった。
ねこむの加入によって、脚本が大きく書き換えられることになった。
フォロワー60,000人、日本一かわいいコスプレイヤーとして人気急上昇だった彼女の存在は、天狼院映画部に大きなインパクトを与えた。

有り体に言ってしまえば、御伽ねこむの加入は、僕にとって懸案事項の解消にもつながった。
すなわち、御伽ねこむを主人公として、これまで主演だった岩田ひかるを「主演」役にするという大義名分が立ったということだ。

もしかして、彼女はこれでくさるかも知れないと思った。
女優をさせておいて、主演に据えておいて、他の人が来たら主演から下ろす。
そんな仕打ちをされれば、誰だって、怒るだろう。

けれども、ひかるはへこたれなかった。
いや、むしろ、ここから本領発揮した。

その前後に、Facebookの映画部の実戦グループに思いの丈をぶつけた投稿を寄せた。
僕は、ほとんどそのままその投稿を映画のひかる自身のセリフとして採用した。

15 天狼院書店・店内(夜)
ひかる、ポーチを胸の辺りで抱く。
ひかる「今では、いい夢を見させてもらったと思ってるんです」
と、ポーチをねこを撫でるように撫でながら、
ひかる「だって、おかしいですよね。演技をしたこともない私が映画の主演だなんて」
と、悲しそうな笑みを浮かべる。
井上「そうだったんだ……」
石坂「でも、よくあることだよ、三浦さんにはみんなが振り回される」
ひかる、わかっています、と立ち上がる。ポーチのジッパーを開ける。
溢れんばかりにポップコーンが詰め込まれている。
そこにいる人々の視線は、ポップコーンに吸い寄せられる。
こたつに座るねこむの側にポップコーンがひとつ転がってくる。
拾ってテーブルの上に置く。ひかるの方を見る。
ひかる「みなさん、ポップコーンは好きですか?」
井上、驚いた顔をして、佐伯を見る。
佐伯「それは、まあ、考えたこともなかったけど」
ひかる「私は好きです。でも、三浦さんが脚本を書いてくれた映画の中の『岩田ひかる』はもっとポップコーンが好きで、もっと映画に熱くなってて、羨ましくなっちゃいました。それと同時に、負けたくないと思いました。私は、映画の中の自分に負けたくなんです」
井上「映画の中の、自分?」
ひかる、大きく頷く。
ひかる「井上さんは女優さんならわかりますよね」
と、井上に言う。
ひかる「脚本に書かれている自分は、自分であって、自分じゃない。自分よりもはるかに素敵に描かれる描かれる場合もあったり、その逆の場合もあると思います。井上さんは映画の中の自分に勝っていますか? 映画の中よりも現実が輝いている自信はありますか?」
井上、興味深そうに聞いている。
ひかる「もし、確信を持てないのなら、一緒に勝負しませんか? 勝負して勝ってやりましょう! 
出演者が変われば、現実よりおもしろくしたい、と三浦さんは脚本を変えてくるでしょう」
井上「映画の中の自分と勝負する……。それ、面白い」
と、笑顔で言う。
そうです、とひかるも笑顔で頷く。
ひかる「こんなことができるのも、映画と現実がリンクしているからなんです。私たちが映画の中の自分に勝てば、私たちが勝負すべき映画の中の自分はさらに強くなるでしょう。そこで、新たな勝負に余裕で勝てば、また脚本がレベルアップされていきます。そうして全ての人が挑戦すれば、映画自体が細部まで向上していきますよね。それを繰り返していたら――」
井上「最高の映画ができる……」
ひかる「気付いた頃には満席スタンディングオベーションです」
と、笑顔で言う。
×     ×     ×
(インサート)様々なシーンでのスタンディングオベーション。小さなシーンから、大きな劇場へ。(*喝采屋の仕事説明のシーンと連携で撮る)
×     ×     ×
ひかる「私、みんな無責任だと思うんです」
佐伯「無責任?」
ひかる、頷く。
ひかる「みんな自分のことばかり考えて、できない理由ばかり探している」
井上、微笑んで頷く。
ひかる「もう他人任せで夢を見るのは、もうやめましょう。与えられた希望を信じるのも、終わりにしましょう。だって、今は現実です。天狼院書店を見つけたのも、映画部のみなさんと出会えたのも、映画制作というチャンスをいただけたのも、全部現実です。だから、最高な映画が完成するし、802席満席になってスタンディングオベーションが起こるのは当たり前だと私は思うんです。勝手に無謀な夢にしないでください」
いつしか、店内の全ての人が、ひかるの話に耳を傾けている。
ひかる「私は勝ちます。三浦さんがどんなに良い脚本を作っても、どんなに最高な映画になっても、私は映画の中の自分に勝ちます。映画部のみなさんと一緒に、私は勝ちます」
ソファー席のカップルの方から、拍手が巻き起こった。
まずはカップルの有岡徹(39)とイナハシナツミがひかるに立ち上がって温かい拍手を送る。それに引きずられるようにして、コタツ席の客、窓際カウンター席の客、ゴッドファーザーチェアーに座る大塩大(34)がひかるに拍手を送る。

このシーン、ぜひ、映画で見て欲しい。
僕は監督していて、あるまじきことだが、正直、泣きそうになった。
実際に、そのシーンで泣いている人もいた。

「はい、OKです!」

と、僕はOKを出した瞬間に、その撮影現場は本当に拍手に包まれた。
スタンディング・オベーションが起きた。

そこから、彼女の予測不可能な早さでの進化が始まった。
あれだけおどおどしていたのに、言ってしまえば、挙動不審だったのに、誰よりも自然な演技をするようになった。
安定するようになった。
いい表情をするようになった。
経験のある俳優陣を、その演技で実質的にリードするようになった。

あれだけ、ひかるの起用に反対だった檜垣さんも、徐々にひかるを認めるようになった。
その進化にうなるようになった。

彼女は誰よりも、練習していた。
撮影に入る前に、池袋のカラオケルームで、毎日自分だけで練習していた。
誰よりも、この映画の脚本を読んでいた。

急な降板や役の変更などがあり、何度もこの映画の脚本は書き換えられたのだが、僕は書き換えるときに自分でも気づかないうちに、彼女の姿を探すようになった。

「ひかる。このシーン、こう変えようと思うんだけど、他のシーンで破綻する箇所が出てくるかな?」

彼女は、それを聞くと、まるで本当の探偵みたいにあごのところに手をやって、しばらく、考えた。
そして、たとえば、こう的確に答えた。

「それだと、シーン51のセリフがおかしいことになります」

確かめてみると、彼女が言うとおりだった。
書き換えるときには、彼女を側におくようになった。

撮影が進む中、元々超多忙な御伽ねこむは、セリフを入れるのに苦慮していた。
僕や撮影をしていた檜垣さんがねこむに甘いものだから、ねこむは僕らに甘えて撮影が進まないことがあった。

そこで、僕は試しにねこむのシーンだけ、ねこむと同い年の彼女を監督に据えることにした。

とりあえず、「ようい、はい!」だけ言ってもらえればいいと思っていた。

ところが、彼女はそれだけでは済ませなかった。
すぐに、ねこむのセリフも頭に入れて、間違ったところをすぐに教えるようになった。

「ひかる、すぐにセリフ覚えたの?」

と、聞くと、彼女は笑顔でこう答えた。

「はい。台本をめくる音がマイクに入るといけないので、覚えました」

もちろん、ねこむがこれに感化されないわけがない。
ひかるを監督に据えると、撮影が順調に進んだ。

ひかるの演技は、日に日に安定感を増すようになってきた。
いい自然な演技をするようになってきた。
この本の世界観も、誰よりもよく理解していた。

最終的な脚本では、彼女の出番とセリフを増やすことにした。
増やしたいと思った。
実質的に、映画『世界で一番美しい死体〜天狼院殺人事件〜』を引っ張ったのは、間違いなく、主演を下ろされたはずの彼女だった。

ふと、彼女を見ると、高い確率で微笑んでいた。
別に、誰と絡んでいるわけでもなく、誰が面白い話をしたわけでもなかった。

「ひかる、どうした?」

と、聞くと、彼女はいつも笑顔で決まってこう答えた。

「楽しいんです。本当に楽しいんです」

一昨日のことである。
映画の撮影が終わって間もなく、本格的に舞台の稽古が始まっていた。
雑司が谷集会所でやった、通し稽古は、正直言って、ボロボロだった。
全体的にセリフが入っていなく、演出をつけるどころの話ではなかった。

特に、御伽ねこむはほとんどセリフが入っていなかった。
映画ではセリフが入っていなくとも、カット割りである程度逃げることができるが舞台ではそうはいかない。

本番まで、残りわずか。
セリフが入るとはとても思えなかった。

ところが、昨日のことである。

御伽ねこむは、見違えるようによくなった。
ほとんど、セリフをとちらなかった。
とちらなかったどころか、いい演技をした。
魅せる演技をしようとしていた。

誰もが、その変化に驚いた。

駅に送って行くとき、ねこむに聞いた。

「どうして急によくなった? 本山にはっぱをかけられた? それとも井上さん?」

ねこむは笑いながら、違いますよ、と首を横に振った。

「ひかるちゃんです。とてもいい演技をしていたから」

彼女たちは同い年で、とてもいい関係を築いていた。
ひかるはねこむに対して「一緒の空間にいられるだけで光栄です」と言っている一方で、ねこむもちゃんとひかるを認めていたのだ。そして、ライバルというよりか、お互いがお互いを好きらしかった。

映画の撮影が終わり、まもなく、舞台も本番も終えようとしている。

気づけば、『世界で一番美しい死体〜天狼院殺人事件〜』の映画と舞台は本当にいい作品に仕上がっていた。
そして、最後まで喰らいついて来てくれた、俳優陣やスタッフたちは、本当に一丸となって、いいチームになった。

昨日のリハーサルのときの舞台が、あまりによかった。
そこにいる誰もが、本番の成功を確信しただろうと思う。
作品として、仕上がってきた。
中には、本当に泣きながら演技をしている役者もいた。それも、一人や二人ではない。

ねこむを褒めた一方で、僕はひかるにだけ注文をつけた。

「ひかる、セリフの入りがほんの少しだけ早かった」

ひかるは、直ぐにこう言った。

「わかってます、0.5秒だけ早かったですよね」

驚いた。僕の頭のなかでは1拍早いと思ったが、それはちょうど0.5秒くらいだった。
笑わざるを得なかった。
彼女に高度な注文をつけるのは、彼女なら理解できるだろうと思ったからだ。

翻って考えるに、彼女に初めて会ったときに、彼女に感じたきらめきとはなんだったのだろう。
御伽ねこむが主演として表に立っているが、彼女もやはり、気づけば主演になっていた。

そのとき僕が感知したのは、「華」だったのか、つぼみだったのか、はたまた別のまだ知れない何かなのかもしれないが、未だ僕はその正体がわからない。

数日前、彼女に僕はこう言った。

「ひかる、天狼院でインターンをしてみないか。映画部のマネージャーをすればいい」

ひかるは、おそらく、戸惑ったり、悩んだりするふうを装いたかったに違いない。
けれども、ダメだった。顔がすでに微笑んでいた。
そこには、やりたい、と明確に書いてあった。

 

 

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『世界で一番美しい死体〜天狼院殺人事件〜』特設サイト

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