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『世界で一番美しい死体』

2015年3月22日、僕はその日を革命の始まりにすると宣言していた。


「もうすでにお客さんが公会堂の前で待っているそうです」

まだ設営部隊が天狼院にいた際に、先発隊から、すでに入口前でお客様が待っているという情報が入った時、あるいは予想以上に多くの方が来るのではないか、と思わなくもなかった。

けれども、開けてみると、ガラガラだったということもあり得るし、当日券がまるで売れないこともあり得るだろうと思っていた。予想はある程度立てられたが、それはあくまで予想でしかなかった。

ただ、その日の朝、今回、危機管理担当として協力してもらっているOさんとした会話の内容が頭をよぎった。それは、徹夜で最後の編集作業に立ち合って、池袋に変える途中のことだった。

「たしかに前売券は、相当数買ってもらっていますが、実際に何人来るかわかりませんよね」

前回の旗揚げ公演を知っているOさんは、たしかに、と頷いた。なにせ、前回は同じ豊島公会堂でキャパ802に対して結局来てくれたのは70名程度でしかなかった。当初の予想では、当日券で伸びて100名は超えてくるだろうと思っていた。今回はまるで読めなかった。

「結局、来たのは、300名だったということもありえますよね。でも、本当に500名以上の方が来るかも知れない」

それに対して、Oさんはこう言ったのだ。

「危機管理担当として、500名以上だった場合は怖いですね。さばけるかどうか心配です」

 

2015年3月22日。
僕はその日を革命の始まりにすると宣言していた。

 

よせばいいものを、それを有力なWebメディアのひとつ「現代ビジネス」でも記事にしてもらっていて、それが広く拡散されていた。
ある意味、宣戦布告だった。
書店や出版関係者に対しての「書店人に告ぐ」シリーズと同様に、その記事は演劇や芸能関係者に対する天狼院からの挑戦状だった。
小さな書店が豊島公会堂を借り切って舞台をすること自体が、人によっては癪に障る行為だったに違いない。

豊島公会堂のキャパは802名。

堂々たるものである。
そこでの興行に成功すれば、もはや、「小劇団」の範疇にとどまれない。

当日、僕は今回の興行の総責任者として、二階席から全てをみていた。
開場と同時に、お客様が、雪崩のように入ってきた。

普通なら、見やすい席を吟味して、パーソナルスペースを確保して、などとなるだろうけれども、お客様は積極的に前から詰めて座っていった。速やかに座っていった。

気になって見てみると、入り口の外に長蛇の列が出来ていた。
列は、何事かを物語っていた。
ただ、その列が物語っていることを、そのときの僕はまだ考える余裕がなかった。

無事にこの興行を乗り切ることが、目下の目標だった。

僕はあらゆるスタッフからの報告に対応できるよに随時、電話のイヤフォンをつけて、そして、映写の最終調整に立ち合い、同時に、舞台の際に映す画像と映像のテストを行っていた。

次々と報告が入った。

予想以上の人で、時間内にさばききれない。
当日券の購入が、多くて、その行列が伸びている。
閉会時間を気にしているお客様がいる。
喫煙所の案内が不徹底である。
演者が靴を天狼院に忘れて来ている。
映写機につなげるコードがない。

その全てに対応し、受付に一時下りて、スタッフに指示をする。
空いているスタッフは、すべて、滞っている列を助けるように。
急ピッチで巻きで行くように。

その際に、舞台監督さんが僕のところにやってきた。

「15分、上映時間を遅らせるしかありませんね。それでいいですか?」

もちろん、上映時間のスライドは、責任者としては苦渋の決断だが、そうせざるを得なかった。

それでも、スタッフや映画部・劇団天狼院の皆様は全力で頑張ってくれた。持てる精一杯の力を注いでくれたことに間違いない。
そもそも、天狼院では500人以上のイベントをさばいた経験がなかった。
最大でも200人規模だった。オペレーションの勝手が違っていた。

様々な事情があるにせよ、そのスケジュール設定した責任はすべて僕にあった。
当日、御礼とともに、受付の混乱に対する謝罪の意を述べたのは、こういった経緯からだ。

映画が始まるころには、豊島公会堂の一階席、キャパ546名分はほとんど満席となっていた。

満席の光景を上から見て、最初に感じたのは、正直言ってしまうと、恐怖だった。

何かが起きているのは間違いがなかった。
それが何か、わかりかねたので、純粋な恐怖があった。
ただ、無事に終わってくれるようにと、祈るような気持ちだった。

映画ができたのは、3月22日の午前11時だった。

そう、それは上映当日、上映時間の7時間前のことだった。
僕もスタジオで、曲を乗せる作業をしてもらいながら観ていたので、お客様と一緒に完成品を初めてじっくり観ることになった。

少ない予算と様々なトラブル、限られた機材と、何より、限られた時間で撮られたものだったが、観ると、悔しさだけが込み上げてきた。
もちろん、それは奮闘して尽力してくれた出演者や制作陣のせいではない。
みんなは本当によくやってくれた。

作品の責任は、すべて僕にある。

もっといい脚本にできたはずだった。
もっといい演出をできたはずだった。
もっといい映像の使い方ができて、もっといい音の使い方ができたはずだった。
もっといいロケーションがあったはずだった。
もっといい作品にできたはずだった。

静かにスクリーンに向かう、500名以上の一階席のお客様を上から見ていて、僕は申し訳なさと悔しさに、身が割かれる想いをしていた。

もっと踏ん張れたのではないかと思った。
もっと喧嘩してでも、作品を追求してもよかったのではないかと思った。
どこかで、萎縮したのではないかと自問した。

映画が終わろうとしていた。
そして、同タイトルの演劇が始まろうとしていた。

上映開始時間が遅れたので、またオペレーションも変わっていた。

スタッフが来て、指示を仰いだ。

「終了時間をとても気にしているお客様がいる」

おそらく、帰りの新幹線や飛行機の時間にも影響するのだろう。
全国からお客様がいらしていることを、僕も事前に把握していた。

舞台監督さんもやってきて、演劇の上演時間について、打ち合わせした。

休憩時間を短縮して、終演時間を変更しない、ということにした。

劇団天狼院の、これは二回目の公演になる。

旗揚げ公演の際から、メンバーが増えて、まったく違った劇団になった。
彼らの奮闘で、満席のスタンディング・オベーションを実現してくれるのではないかという想いもあった。

実際に、映画の最後には、拍手も頂いていたが、映画だけではすべての謎は解けない仕組みになっていた。

演劇では、映画も少ないメンバーで、深堀りして描こうという狙いがあった。
そして、演劇の方は、すでに3日前に、ある程度行けるとの予想ができていた。

けれども、500名以上がほぼ満席になって広がる光景というのは、異様である。
人の数がただならぬ空気を醸す。

たしかに、多少はセリフを噛んだところもあったが、それは大した問題ではなかった。

完全に空気に呑まれていた。
それは、出演していたキャストだけの問題ではない。

僕をはじめとして、そこにいるスタッフすべてがその場の空気に呑まれていたのだろうと思う。

無難に、無事に終えることが、いつしか、至上命題になっていた。

 

僕らは、得体のしれない何かに恐れた。
すくみ上がったんだと思う。

 

舞台経験の多い、本山だけはそれでも奮闘していた。
前線において、素人が多い劇団で、持てる力をすべて出して、戦っていた。
闘いぬいていた。

最後の場(シーン)、ひかるの「嘘!」から始まる本山の独白に、作者である僕は、すべてをかけていた。
出演者にもそのことを繰り返し伝えていた。
映画も含めて、この作品は、その最後の一点に集中するように組み立てていた。

出演者が多く、素人も多く、その結果、通らなければならない「定点」が多くてストーリー創作の自由を相当に失っていたのだが、その最後の一点に全てを収斂させて、逆転を図っていた。

そのシーンは、精緻に描いた。
うまくはまれば、最大限の感動を引き出せるだろうと考えていた。
舞台の演出も、ここを中心に徹底していた。

そこで、会場にすすり泣きが広がることを想定していた。

すすり泣きの音が響けば、スタンディング・オベーションも起こりうると考えていた。

ところが、想定していたそのシーンで、すすり泣きは起きなかった。
不発であった。

もっとも、泣かせる作品が全ていい作品かと言えば、もちろん、そうではない。
しかし、この作品は、泣き場をクライマックスに持ってきたので、泣かせることができなければ、演出、あるいは脚本の失敗ということになる。

駆け足のように、舞台は、終わり、最後にスタンディング・オベーションが起きたーー。

僕は二階席の手すりにしがみつくようにして、一階席を見た。
祈るような気持ちで見た。
まばらだが、スタンディング・オベーションが起きていた。
徐々に拍手をしながら、人が立っていった。
ステージ上に向かって、拍手を送っていた。

けれども、それは全体までは広がらなかった。

およそ、25%ほどのスタンディング・オベーションだった。

僕はこの瞬間に満席でのスタンディング・オベーションを起こすべく、打ち込んできた。
それが、失敗に終わったことになる。

終演後、本当に多くの皆様に、温かいお言葉を頂いた。
過分な評価を頂いた。

ただし、僕は、明らかに敗軍の将だった。
かたちこそは保ったものの、完全に、負け戦だった。

満身に目に見えない傷を受けて、かろうじて、両足で立っている状況だった。
決定的に、打ちのめされていたーー。

それは、ちょうど、去年の11月13日に、劇団天狼院の旗揚げ公演が終わった時と同じ状況だった。
そのときは、広い豊島公会堂に70名しか来なくて、その空き具合に恐怖した。
家に帰り、ひとり、風呂場で泣いた。

そんな想いはもう二度と味わいたくないと、今回は最初から、満席でのスタンディング・オベーションを目標に掲げていた。
その目標は達成されなかった。

さきほど集計した結果によれば、チケットの販売総数は605名分だった。それは、招待分等を除いた満席実数700席からすれば、達成率において、86.4%になる。
そして、実際に会場に来てくれたのは、520名を超えた。

旗揚げ公演と比べれば、チケット販売実績において、864%に達したことになる。
それは、客観的にみれば、旗揚げ公演から4ヶ月の期間で9倍近くの進化を遂げたことになる。

 

3月22日を経て、あの時感じた、得体のしれないものとはなんだろうかと今、考えている。

 

興行的にみれば、劇団天狼院は、飛躍的な進化を遂げた。
そして、僕は、あの時と同じように、満身創痍となった。
その痛みの中で、次こそは、必ず成功させると、自らに誓っていた。

答えは、明白だった。
あの列が物語っていたもの、得体のしれないものの正体とは、この劇団に対する、未来への大きな期待だった。

 

2015年3月22日。
僕はその日を革命の始まりにすると宣言していた。

 

始まりは、起きたのだ。

 

僕は、劇中、主演の本山にこう言わせている。

「成功したくなったから! このままだと成功してしまいそうで怖かったから! だから、私は殺したの!」

実際に、これは僕の想いを代弁してもらったものだ。

成功や、期待とは、実に怖いものだ。

 

この恐怖を克服した先に、僕が目指すものがある。

余談ではあるが、「世界で一番美しい死体」とは、「成功」のことである。

 

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