gallery

休日弱者がゆくフォトジェニック・ジャーニー 〜イーハトーヴ編〜


告白してしまえば、僕は「休日弱者」でございます。

好きでやっているからとは言え、自分の会社にスーパーブラックレベルで働かされております。前回休んだのは、確か、去年の12月3日のことで、そうであるなら、およそ150連勤していたことになります。

特に4月は、おかげさまで、原稿に出張にとスケジュールが半端じゃない過密ぶりで、けれどもさすがにこれでは体的にまずいと思い、また、天狼院書店のオープン準備で今逃したらもしかして向こう一年間は休みが取れないかもしれないと思い、思い切って休みを取ることに決めたのでした。

ところが、いざ休みとなっても、休み慣れていないので、何をやっていいのかわからないし、そもそも、自分が休日に何をやりたいのかわかりません。ほぼオンの状態が恒常化してしまい、いつの間にか、僕はオフの素人、つまりは「休日弱者」になっていたのでございます。

 

さて、困った。何をやるべきか。

 

考えても思い浮かばず、途方に暮れました。変な話、休むことがストレスになるかのようでした。

幸い、僕の手元には買ったばかりで、まだ1度しか本格的に使用していないミラーレス一眼カメラのオリンパスPENがありました。

そうだ、これの使い方を覚えるための旅にしようと思いたち、高校時代を過ごした、第二の故郷、岩手県を周遊することにしたのでございます。

とは言うものの、自慢じゃありませんが、僕は休日弱者であると同時に、ペーパーゴールドドライバーでございます。言うまでもなく、交通違反がなければゴールドドライバーにはなれますが、第一、車に乗らないのだから違反のしようがありません。つまり、運転が巧みだからではなく、単に乗らないからのゴールドドライバーでございます。

 

ともあれ、こうして、休日弱者であり、カメラ初心者であり、ペーパーゴールドドライバーである僕のイーハトーヴをめぐる旅が始まりました。

 

1日目、まず訪れたのは、世界遺産、平泉毛越寺でした。

 

 

もちろん、平泉といえば、金色堂などで中尊寺が有名ですが、僕の今回の目的は、寺社は元より、庭園のほうだったので毛越寺を選びました。小さな時より、初詣(元朝参り)は決まって毛越寺と中尊寺だったので、もう数十回と来ていたのですが、オリンパスPENを携えてくると、世界が違って見えました。世界、というよりか、色彩といったほうがより適切かもしれません。

 

 

もちろん、花の色彩の美しさは際立っているのですが、まさに「花は盛りに、月は隈なきを見るものかは(『徒然草』)」で、花の盛りの「くれない」ばかりが色彩ではございません。ともすれば足早に過ぎ去ってしまう、何気ない庭園の片隅が、陽の光の中で際立った彩りを放っていることに気づかされます。

 

 

もちろん、その全ては自然に形成されたものではなく、造成当時、奥州藤原氏の莫大な黄金の力によって、京都から呼び寄せられた当時のアートディレクターの美意識が結晶化され、具現化されたものですが、時を経て、今尚その魂の息吹を感じることができるのです。

世界遺産は、やはり、だてではない。

 

毛越寺を後にした休日弱者は、平泉から北上し、東北自動車道に乗って北を目指します。

その日は、途中で一泊し、盛岡から更に北上して、翌日は久慈市に入りました。

そう、今、NHKの朝ドラ『あまちゃん』で大人気の、「じぇじぇじぇ!」の街でございます。

ウニ丼やまめぶはあったんですけど、結果的に、「じぇじぇじぇ!」とリアルで言っている人には遭遇しませんでした笑。

ちなみに、これは久慈市の神社で撮ったものです。さくらがまだ咲いていました。

 

 

また、『あまちゃん』でも出てきていたように、ここは琥珀の産地として世界的に有名で、琥珀博物館があり、坑道に入ることができました。

 

 

坑道や博物館だけでなく、山間部にあるために、周囲の植物も綺麗でした。

 

 

 

今度は三陸海岸を見るために、久慈市から国道45号線を南下しました。

45号線を南下していくと、ちょうど左手が海になるのですが、特に野田や普代の海は圧巻でした。ところどころに海を眺めるために設けられた休息所があって、車を停めてそこからオリンパスPENで撮影しました。

 

 

更に南下し、国道45号線から外れて、北山崎を目指しました。ここはまるで異空間でした。

絶景でした。

 

 

その日は久慈市に戻り、一泊して、翌日は朝早くから龍泉洞を目指しました。

 

岩泉町の龍泉洞に行く際は、ぜひ、盛岡方面から行くと洞窟の手前になる、町営の第一駐車場(無料)に停めてください。そして、沢に下りて沢沿いを龍泉洞に歩いてください。この沢が、意外なほどに綺麗だったのです。

 

 

沢沿いをしばらく歩くと、龍泉洞の入り口に到達します。

 

 

龍泉洞の一番奥にあるのが第三地底湖です。(ちなみに、地底湖は8つあるそうですが、一般の人が見られるのが第三地底湖までです)

水深は実に、98m。ライトが設えら、世界有数の透明度を誇っているのですが、底は見ることができません。

 

 

以前、NHKが特集で番組を作り、その時に、水深70m付近まで潜ったそうです。その奥底に本当に龍が潜んでいてもおかしくない雰囲気でした。一般人が立ち入ることができない第四地底湖というものもあるらしいのですが、そこの水深は120mで日本一だそうです。

神秘の塊とも言える、龍泉洞。これは一度は「体験」しておいたほうがいいかと思います。

 

さて、休日弱者のフォトジェニック・ジャーニーですが、今度は宮古市の浄土ヶ浜を目指しました。国道45号線を更に南下することになります。

 

 

ここでどうしても見ておきたかったのが、「青の洞窟」。ザッパ船で行くんですが、これが思いの外楽しかったです。

 

 

これはザッパ船の船着場で、こんな感じで船は湾内を回ってくれます。

 

 

それで、僕の番になって乗り込んでスタートすると、ウミネコが舳先に止まりました。

 

 

こうなれば、旅は道連れでございます。ウミネコくんと共に、いざ、青の洞窟へ!

 

 

洞窟に入る前から、この回りの海はすでに青いのがわかると思います。

 

 

中に入ると奥に潮をおもいっきり吹く穴があって、油断するとびしょ濡れになります。

僕も、オリンパスPENをハンカチで何とか防御しました。

それで、後ろの入り口のほうを振り返ると、海が青く見えるんですね。

 

 

浄土ヶ浜には、岬のようになっている第一展望台があって、そこから湾内を眺めると実にいい。

また、そこに行く途中の道も、またいいのです。

 

 

浄土ヶ浜を後にした休日弱者の僕は、更に国道45号線を南下し、大船渡で昼飯をとり、陸前高田市に入りました。

そこで、ふと左手をみてみると、多くの車が停められている場所がありました。そして、警備員もいました。

もう少し行ってみると、促成で作れられた看板にはこう書かれていました。

 

「奇跡の一本松」

 

一度は通り過ぎたのですが、対岸から見ると、その姿があまりに凛として美しかったので、シャッターを切りました。

 

 

こうして、僕の今回の旅は終わりを迎えました。

三日間の走行距離、実に、725キロ。

今回の旅で、大きな疑問が解けたような気がします。

 

僕は、なぜ宮沢賢治や石川啄木といった、ある種の文学的天才を世に送り出せたのか疑問でした。

そして、三陸海岸に住まう人が、数千年前よりなぜ幾多の悲しみを経てもなお、この地に再び住まうのか、疑問でした。

けれども、旅を終えて、その理由がわかったような気がします。

 

この地は、実に美しいのです。

イーハトーヴという言葉がぴったりの、美しい場所なのです。

あるいは、その美しさを日々享受するためには、ある種のリスクを伴うものなのかもしれません。

けれども、ある意味、刹那であるがゆえに、その日々の美しさは、まるで青が濃度を濃くしてより一層の鮮やかさを纏うように、色濃くなっていくものなのかも知れません。

この地に住まう人々は、もしかして、そういった意味での強い美の感受性を、DNA的に古来より受け継いでいるのかも知れません。

 

岩手へ、いや、イーハトーヴへ、皆さんも行ってみてはいかがでしょうか。

きっと、それぞれが、不思議な何かを感得するだろうと思います。


関連記事