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川代ノート(READING LIFE)

女が女に甘える「かりそめGL(ガールズ・ラブ)」がなぜ発生してしまうのかと、だから飲み会に行きたくないのだ論《川代ノート》


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記事:川代紗生(天狼院スタッフ)

みなさまこんにちは。川代です。

今日は大人数の飲み会になると一定の確率で生まれる「かりそめGL(ガールズ・ラブ)」がなぜ生まれてしまうのかについて、考察していきたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。
「かりそめGL」とは、飲み会がだんだん盛り上がってくると「いや~酔っちゃった~」などと言い、なぜか男子ではなく女子にベタベタしまくる女子のことです。その名の通り、「かりそめ=その場限りのガールズ・ラブ」。彼氏がいるのに、男が好きなのに、なぜか飲み会になると急に女子に「〇〇かわいい♡」などと言って腕を組んだり肩にもたれたり、ときにはキスをしたりする人のことです。

不思議なことに、こういう人種はある程度大きなコミュニティになると必ずと言っていいほど存在します。派手、地味問わず。リア充、オタク問わず。学生、社会人問わず。別に本人は女子が好きなわけじゃないのに。これはどういうことなのでしょうか。

そして私はどういうわけか、そういう「かりそめGL女子」に肩を組まれたり抱きしめられたりする確率が非常に高いです。そのたびに、「早くこの時間が終わってくれ」とドキドキしながら願います。甘い香りのする女子がくっつき飽きるのをひたすらに待つのです。彼女に言うことがとくに見当たらないので「あ~、よしよし、〇〇は本当にかわいいねぇ」などと言ってその場をしのごうとします。かわいい女の子にくっつかれるのは男子であれば非常に嬉しいかもしれませんが、女子に性欲が湧かない私にとっては苦行の時間です。ときどき組まれた腕に彼女の胸が当たると、この世のすべてがどうでもよくなったりします。なぜ私がこんな目にあわないといけないんだ。隣の彼女のゆたかな胸が当たり、ニットの隙間から谷間が見えたりするとはあとため息をつきたくなります。私の貧乳コンプレックスまで刺激しないでくださいと懇願したくなります。
そしてそういう状況になると必ず、周りの人間はこう言います。
「うわあ〜、さき、いいな〜」
「あー、この子やばい子だわ! もうこれ以上飲むなって」
「羨ましい! ちょっと、俺にも俺にも!」
くっつかれていいなと言う男子たち。そしてそう言われてだめ〜さきちゃんがいいの〜などと言いにゃんにゃんする彼女。固まる私。
周りからの歓声をよそに、私は一人ぼうっと思考をめぐらせます。ああ、嫌だ、嫌だ。でも、嫌だけど、この子の気持ちもわかる。なんでこんな行動を取ってしまうの、だいたい想像がつく。なぜなら、私も以前「かりそめレズ」をやっていたことがあるからです。

私は飲み会が嫌いです。いや、というよりも苦手です。心の淀みがひとつもなく終えられた飲み会をこれまでに一度も経験したことがありません。
「気のおけない仲間うちでの遊びの一環」としての飲み会は好きなのですが、「サークル、職場などのコミュニティの親睦を深めることが目的の大人数の交流会」は本当に苦手なのです。

マジで自慢じゃないですが、私は自他共に認める「友達が少ない人」です。仲の良い友人は一応いますが、片手で数えられる程度。離婚する前に元夫と結婚式の計画を立てていたときなんて、夫に比べて呼ぶ人があまりに少ないのでこの友達格差をどう埋めようかとヒヤヒヤしたほどです(結局結婚式はやらずに別れましたが)。

その代わり、仲の良い友人たちとは本当に仲が良いので、ちゃんと「友達」枠に入った人と話すのは好き。
色々と近況報告をしたり、恋愛話をしたり、彼氏彼女と結婚どーすんのとか、何年前にやったあれめっちゃ楽しかったよねとか、またみんなで旅行行きたいね、とか。ぐだぐだと、身にならない話をしているとほっとします。翌日になったら「あれ? 何話してたんだっけ?」みたいに何も記憶に残らないような、「無駄」な時間が大好き。今は仕事をしているのでなかなか会えなくなったけれど、仲の良い友達たちと飲む時間はとても大切なのです。

けれども、大人数で集まってワイワイガヤガヤやる飲み会は本当に苦手で、よっぽどのことがない限り行かないようにしています。

これは、なぜなのか?
どうして私はここまで飲み会が苦手になってしまったんでしょうか?

思えば、私は大学生の頃から飲み会に行くとひどく緊張するタイプでした。

最初の飲み始めはみんなたわいもない話をしているのに、盛り上がってくるとざっくりとした3人や4人のグループに別れて話し出すあの感じ。
最初隣に座っていた仲の良い友達がトイレに行ったついでに別のグループに捕まって戻って来なくなり、ポツンと一人になるあの感じ。
で、「あの子一人になってるな」と先輩があれこれと気を遣ってくれるあの感じ。
めっちゃ飲むグループとゆったり飲むグループと、どこにも入れずあぶれた人たちがふわ~っと盛り上がるでも盛り下がるでもなく余ったたこわさやら冷えてしけったポテトやらをつついて時間を潰す、あの感じ!!

そう、なんかもう飲み会って何をしていいのかわからないんです。
仲の良い友達同士なら「話す」ということに重きがおかれていて、お酒はあくまでもより楽しく話すための「道具」にすぎないのに、飲み会になるととにかく「飲む」が主体になって自分がどっかにいってしまうあの感じがもう……!! もう……!! ってなる。なんつーか、自分の居場所のなさを真正面からつきつけられる感じが嫌というか。

なぜみんなが問題なく楽しそうに飲めるのかが、全くわかりませんでした。
大学生で、まだ飲み会に行きなれていない頃、私は絶望しました。
「飲み会の正解がわからない!」
しゃべることがなくてずっと黙っていると「コミュ障」扱いされるし、かといってガバガバ飲みまくると「飲めるやつ」扱いされる。お酒はそこまで強くないし、吐いたり二日酔いになったりしたくないので飲んでやり過ごすような方法はしたくない。かといって、「飲み会には絶対行きません!」となると「レアキャラ」扱いされ、その分さらに居場所がなくなっていく。

「飲みキャラ」になるでもなく、「コミュ障」になるでもなく、なんとか無難にやり過ごす方法はないのか。

悶々としていた頃、ある飲み会で、転機が訪れました。

「あ〜酔ったかもしれない」

ふと酔っ払って隣の女子の肩にもたれたとき、その子が言ったのです。

「え〜、何この子。かわいい!」

!?

私はびっくりしました。
かわいい!?
……
……
かわいい!?

そうか、その手があったのか!

気がつけば、周囲の目は私たちに注がれています。
ベタベタする女子に耐性があったその相手のコミュニケーション能力のおかげか、私は彼女に甘えることを許されました。

アルコールが入っていたということもあり、味をしめた私はさらに彼女の腕を組んで「ねむ〜い」と言いました。

ワーッと、歓声があがりました。

「やばいこの子酔ったら豹変するタイプだわ!」
「大丈夫〜? お水飲む?」
「なんかあれだよね、いけないものを見ている感じでいいよね」

こ れ か!!

ついに、私は飲み会の正解を見つけました。
「酔ったら女子に甘えたくなっちゃう女子」に豹変すればいい!
泣き上戸とか笑い上戸とか色々ありますが、ちょっとそれはレベルの高い演技力を求められます。
けれども女子にベタベタするというのはベタベタするだけでOK! 「豹変したやばいやつ」という扱いだから、それ以上飲まされることがない! 男子にベタベタしたら「あざとい」って言われて女子に省かれるけど、女子にベタベタするなら文句ないでしょ!

おまけになんかちやほやしてもらえる! かわいいと言ってもらえる! めっちゃおいしい!

一石二鳥!!!

こうして私の中に、「酔ったら女子に甘えたくなるやつ」というキャラクターが爆誕しました。

あとは、簡単でした。
私はさまざまな飲み会でそのキャラクターを炸裂させました。
すると飲み会に行くのが楽しくなりました。いざとなったときの対処法がわかっているから。

おかげで、私は「あいつは飲むと豹変する」という立ち位置を手にいれることができました。

けれども徐々に、ほころびが生まれてきました。

私は違和感を覚え始めました。
なんか、前と違うな。

しだいに、私は甘えるキャラをやらなくなりました。やりたいと思わなくなりました。やっても「飲み会が楽しい」という満足感を得られなくなりました。

なぜか。

ちやほやされなくなったからです。
私はそのとき気がつきました。私は注目されたくてそのキャラクターを演じていたのだと。
「女子に甘える」という行為をすることで、男子の目を引きつけようとしていた自分の下心に気がつきました。「モテたい」という気持ちに蓋をして、でもわざとらしく男子にアピールするのは嫌だから、女子に甘えることで間接的に妄想させようとしていたのだと思います。

注目されたい。

その気持ちは、強すぎる私の飲み会コンプレックスが、歪んだ形であらわれてしまったのかもしれません。

飲み会は、椅子取りゲームに似ているな、とよく思います。

飲み会を仕切るキャラ。
盛り上げキャラ。
サポートするキャラ。
飲まされるキャラ。
飲ませるキャラ。
いじられキャラ。
ちやほやされるキャラ。

それぞれの椅子が一つずつあって、その椅子を誰が最初にとるか、勝負をしているみたいに。

「酔うと甘えちゃう」ポジションは、私が唯一見つけた飲み会における居場所でした。
女子に甘えたい女子というキャラになりきることでしか、私は飲み会という空間に、居場所を見つけることができませんでした。そして、ちやほやされるというその椅子を、誰にも譲りたくなかった。私が一番がよかった。私が誰よりも愛される人間でいたかったのです。

キャラクターを必死で探す虚しさに気がついてからは、もう、無理に自分の椅子を探そうとすることもありません。そもそも、椅子を奪いに行かなければならないような飲み会には、そもそも行く必要がないのだと思うようになりました。

ただ淡々と自分の好きなお酒を飲み続け、テンションが上がるでもなく下がるでもなく、誰かに甘えたくなるでもない、思えばつまらないキャラになっちゃったなあと思いますが、もうこれでいいのだと思います。

「さき〜」とくっついてくる彼女も、もしかすると、私と同じように飲み会が苦手なのかもしれない。自分の椅子を、居場所を模索した結果が、そうなってしまっただけなのかもしれない。

「私の居場所はここ」と必死になって主張している結果が今だとしたら、私は彼女を責めることなどできません。

人間は日々、さまざまな仮面をかぶって生きています。
居場所を求め、椅子を求め、奪い合い、私はここにいる、と主張し合う。
「飲み会」というのはある種、社会の縮図のようなもので、普段不安を抱えているからこそ、別の立場の人間になりきりたくなってしまうのかもしれません。

今はもう、ほとんど飲み会に参加することはなくなりましたが、それでもときどき、思い出すことがあります。

あのときの、寂しさを。
ぽつんと取り残されたときの、虚無感を。
私を見つけて、私を認めて、私を仲間に、入れてくれない?
そんな風に、必死に自分の居場所を探していたときのことを。

はたから見れば、滑稽だったかもしれません。
迷惑がられていたかもしれない。「痛いやつ」と思われていたかもしれない。

けれども、あの頃の私を、私は嗤う気にはならないし、「消したい過去」だと思うことも、「黒歴史」だと思うこともありません。
だって人間には誰にでも、必死になる時期が必要なのです。

前が見えなくて辛くて、がむしゃらに椅子を取り合うような期間が、あってもいい。

「飲み会コンプレックス」は、今も私の中から消えることはありません。
たくさんのコンプレックスは、日々、増えては消え、消えては増えていく。

けれどもその繰り返しが、たしかに私の肥やしになってくれているような。
「大人」に少しずつなりかけている25歳の今、そんなことを考えています。

 

❏ライタープロフィール
川代紗生(Kawashiro Saki)
東京都生まれ。早稲田大学卒。
天狼院書店 池袋駅前店店長。ライター。雑誌『READING LIFE』副編集長。WEB記事「国際教養学部という階級社会で生きるということ」をはじめ、大学時代からWEB天狼院書店で連載中のブログ「川代ノート」が人気を得る。天狼院書店スタッフとして働く傍ら、ブックライター・WEBライターとしても活動中。
メディア出演:雑誌『Hanako』/雑誌『日経おとなのOFF』/2017年1月、福岡天狼院店長時代にNHK Eテレ『人生デザインU-29』に、「書店店長・ライター」の主人公として出演。

 

この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」木曜コース講師、川代が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2018-10-22 | Posted in 川代ノート(READING LIFE)

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