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川代ノート(READING LIFE)

さよなら、東京天狼院。《川代ノート》


記事:川代紗生(天狼院書店スタッフ)

本当は、逃げるようにして、ここにたどり着いた。

よく、お客様や、店舗の取材に来られた方なんかに、「どうして天狼院書店で働こうと思ったんですか?」「最初の出合いは何だったんですか?」と聞かれる。そのとき、たいてい私は、「就活の企業研究の一環で。出版業界で働きたくて色々調べていたら、ここが出てきたんですよ」と答えている。

あれは嘘だ。
本当は、そんな綺麗な理由なんかじゃなかった。

2014年の2月、今からちょうど5年前。
私は落ちこぼれの就活生だった。

当時、就活解禁は今より早く、秋には企業説明会がはじまり、12月には怒涛のエントリーシート提出期間があり、みんな年明けには面接を受けまくっていた。
周りの就活生達が次々に内定をもらい、OB 訪問に行き、エントリーシートを書きまくっている頃、私は、ほとんど何もしていなかった。情報あつめもそれほどせず、とりあえずスーツを着て学校に行き、特に何もせず帰ってきては寝ていた。

そのときの私の口癖といったら、

「やりたいことが見つからないんだよね」
「別に自分を偽ってまで大企業に入りたくないし」
「どこに行っても同じだよね。結局自分がどう頑張るかじゃない?」

この三つだった。
同じ大学の、ゼミやサークルやバイト先や、ありとあらゆる別々のコミュニティで、毎回同じ話をしていた。

たいして飲み会なんて好きじゃないくせに、就活期間はやたら友達と飲みに行っていた。

けれども本当は、薄々わかっていた。

ぶつぶつ文句を言いつつ、本音では、大企業に行きたくて仕方がなかった。
自分を否定されるのが嫌だった。エントリーシートなんて書きたくもなかった。自己アピールなんて考えるのすら面倒だった。

だって、私という人間に、アピールできる要素がいったいどこにあるというのだ。

心の奥底では、恐怖に震えていた。自分だけ内定出なかったらどうしよう。面接に落ちたら。「すごい」って言ってもらえなかったら。親に「え、早稲田まで行かせたのにそんなところに行くの?」と思われたら。

何よりも、私自身が許せなかった。
「大企業に内定がもらえない自分」に。

だから、宙ぶらりんになっていた私を救ってくれる「何か」との、「誰か」との偶然の出会いを、私は探していた。

「企業研究」なんか、やっていたわけがない。
ただ、逃げたかった。
逃げ出したかった。
現実から。
「何もできない自分」を、忘れられる場所に行きたかった。

でなければ、「天狼院書店」なんて変な名前の本屋に行こうとは、思わなかっただろう。

おそらくそのとき偶然、私の精神は極限まで弱っていて、
偶然、面接の予定も企業説明会の予定もなくて、
偶然、授業もそれほど忙しくなくて、
偶然、YouTubeの「関連動画」を延々とさかのぼって見ていたら、
偶然、「天狼院書店」という本屋が配信しているイベントの動画が出てきたのだ。

数々の偶然が重なって、私はそこに行くことにした。

「どうせ、やることないし」と言い訳をして、心の中では、まだ見ぬ「天狼院書店」が、ダメ人間の自分を変えてくれることを期待していた。

天狼院のスタッフとして働くようになってから、ちょうど5年になる。

逃げるようにしてたどり着いた場所は、いつしか私にとってかけがえのない居場所になり、そして、人生の軸になっていた。

現実を見たくなくて逃げ込んだ場所で、なんとか役に立ちたいと必死になって働いていたら、気がつけば、5年経っていた。

福岡天狼院ができ、京都天狼院ができ、スタジオ天狼院ができ、池袋駅前店ができ、エソラ 池袋店ができた。

そしてちょうど5年経った今、私が最初に出合った東京天狼院が生まれ変わろうとしている。

東京天狼院は、2月9日にリニューアル・オープンする。

今朝から工事がはじまったのだが、次々に棚が解体され、まっさらな状態に戻っていくのが見えた。

それを見ているとなんだか、涙が出そうになった。
別に悲しいわけじゃないのに、心の中の奥の方で、ぎゅっと熱い塊みたいなものが動いているのがわかった。

そうだ。

私は、変わりたくてここにきた。
生まれ変わりたくて、ここにきた。

「本屋」という場所だからこそ、私は変わることができるんじゃないかと思った。

自分のことが嫌いだった。
どうして自分なんかに生まれたんだろうと思った。
もっと性格がよければ。もっと仕事ができれば。もっとお金があったら。もっと可愛かったら。もっと愛情深い人だったら……。

私のいいところなんて一つも見つからなくて、でもそれを改善するために努力するのも面倒で、ただ自分を受け入れてくれる場所を探していた。

逃げ場を、探していた。

なんてずるい理由だろう。
逃げたくてきただけのくせに、周りの友達には「本当にやりたいことだから」と言い訳をして。

バリバリ、と東京天狼院の棚が剥がされていく音を聞くたびに、ぶるり、と心の奥底が震えた。
これまでの5年間の映像が、頭の中にフラッシュバックする。

たしかにはじめは、本当にずるくて卑怯な理由だったけど。

だけど、私は変われたじゃないか。

ここで、色々なイベントをやった。

雑誌編集部をやった。
手帳ラボをやった。
ファナティック読書会をやった。
映画ラボをやった。
著者の方のトークイベントもやった。
ゼミがはじまった。
書くことに出合った。
書くことがあまりに楽しくて、気がついたら、ライターの仕事もやるようになっていた。
人前に立つのが大嫌いで、しゃべるのも死ぬほど苦手だったのに、今じゃ、ライティング・ゼミの講師をやるようになった。
人生でリーダーをしたことなんて一度もなかったのに、店長業務もやるようになった。

壁際の棚がなくなり、剥がされ、窓があらわれる。
もはや、今までの東京天狼院の面影はない。
壁と窓と床が、むき出しになる。

ここは本当に、ありとあらゆる人たちの、「逃げ場」だったのだと、ふと思った。
私だけじゃない。
逃げたい、と思う人たちが集まる場所だった。現実から逃れられる場所だった。

もしかしたらみんな、わたしと同じように、ずるい言い訳でここにたどり着いたのかもしれなかった。

けれども、店主であり、私の師匠である、三浦さんも、ずっとこう言っていた。

「仕方なく、起業したんだ」と。

ほかに道がなくて、自分の力で生きるしかなかったから、起業したんだ。本屋をつくったんだ。

逃げるように。

誰だって同じだ。

私たちは日々、逃げ続けている。
現実は、私たちに容赦なく襲いかかってくる。
傷つけ、心を打ち砕く。どうしようもなく残酷だ。

けれども私たちは、逃げ続けるからこそ、変わることができる。

逃げたい、と思うからこそ、今の現実を変えようと行動にうつし、自分と向き合い、逃げ続けるうちに少しずつ少しずつ、成長していく。

嫌な自分から必死で逃げてもがいているうちにだんだん、手足が動くようになってくるとか、そんなもんだと思うのだ。人生なんて。

私は「逃げたい」と思うからこそ、変わることができた。ここに出合うことができた。

大嫌いだった自分のことが、少し好きになった。

そんなものだと思う。

東京天狼院は、これからも逃げ場であり続ける

❏ライタープロフィール
川代紗生(Kawashiro Saki)
東京都生まれ。早稲田大学卒。
天狼院書店 池袋駅前店店長。ライター。雑誌『READING LIFE』副編集長。WEB記事「国際教養学部という階級社会で生きるということ」をはじめ、大学時代からWEB天狼院書店で連載中のブログ「川代ノート」が人気を得る。天狼院書店スタッフとして働く傍ら、ブックライター・WEBライターとしても活動中。
メディア出演:雑誌『Hanako』/雑誌『日経おとなのOFF』/2017年1月、福岡天狼院店長時代にNHK Eテレ『人生デザインU-29』に、「書店店長・ライター」の主人公として出演。

この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」土曜コース講師、川代が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2015-02-05 | Posted in 川代ノート(READING LIFE)

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