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映画ラボ

人類が手にした最も危険なものは原子力でも人工知能でもなく「インターネット」なのかも知れない。《映画『トランセンデンス』:天狼院映画ラボ》


*ネタバレ注意

天狼院書店店主の三浦でございます。

本とはなんだろうと考えることがございます。
恐らくは、過去でしかない。
もっと言えば、誰かが過去に思考した軌跡でしかない。

本はその人ではないし、執筆時はそう考えていたとしても、今現在そう考えているとも限らない。
生きていたとしても、という話ではありますが。

たとえば、夏目漱石や森鴎外といった文豪が作品を本として残したとしても、その本はやはり、過去の創作の軌跡でしかなく、その本自体として能動的に未来を生み出すわけではありませんし、ニュートンやアインシュタインが自ら発見した理論を本にまとめたとしても、彼らの「意識」は決して蘇りはしません。

なぜなら、そこに「意識」を持続させるための大前提である、「生命の維持」が決定的に不足しているからです。

しかし、もし、「生命の維持」が「意識」を持続させるための大前提でなくなったとしたらどうでしょうか?

映画『トランセンデンス』のコアには、この仮説があります。
つまり、この映画では天才科学者が「死」に直面した際に、自分の「意識」を人工知能にアップロードすることができたらどうなるだろうかという壮大な思考実験をしているのです。

映画のトレーラーを観てみましょう。


これを観る限りは、そんな壮大な思考実験をしているとは到底思えない。
すなわち、資金をジャブジャブつぎ込んで、最新鋭のビジュアル・エフェクトを駆使した、いわゆるハリウッド得意の超大作だろうと思ってしまうところですが、それでも僕は出演者にジョニー・デップがいることに引っかかりました。
彼は、自信が出演する作品を、とことん選ぶということが知られていて、妥協を許すはずがなく、そうであれば見るべきところがあるのではないかと観たのでした。

それで観てみると、完全な当たり映画でございました。

最初から、引きこまれて、考えこまされる。
あたかも、脳がインターネットを通じて量子コンピュータに接続したかのように、この映画の鑑賞中、考えこまされます。
インスピレーションとして新しい思考の発芽があり、それが過去のインスピレーションとコラボして、新たなる発芽を連続的に芽生えさせるという体験をすることでしょう。
事実、僕は思弁がとどまるところをしらなかった。

タイトル「トランセンデンス〔TRANCENDENCE〕」は「超越」という意味です。

僕は人間が触れてはならない領域があるのではないかと考えてきました。人間ごときの制御が効かなくなる領域があるのだろうと。
それが、以下の3つです。

原子力
DNA
人工知能

今回は、その中のひとつ、「人工知能」に正面から切り込んでいます。
「人工知能」の危険性を描いた作品は、もちろん、これが初めてではありません。
映画でも、『AI』という映画で描かれていますし、実は傑作『ターミネーター』シリーズも人工知能の発達によって、人間が機械に支配されるという話でした。
ハリウッド映画ばかりではなく、日本の本にもそういった作品があります。
天才手塚治虫の作品『火の鳥〔未来編〕』がそうです。
人工知能ハレルヤが実質的に統治する未来の日本とロシアが、人工知能戦争を繰り広げ、それが人類の滅亡を招くという話です。

こういった、警告的な映画やその他の作品に慣れ親しんできた我々にとって、「人工知能=悪」という図式が染み付いてしまっている。

この映画は、その思い込みをついた傑作です。
そう、紛れもない傑作です。

たとえば、イーサン・ホークとジュード・ロウが出演していた『ガタカ』は「DNA」の本質に迫った単館上映系の揺ぎない名作ですが、この作品は単館上映系の映画の良さをしっかりと入れ込みつつも、ハリウッド超大作のかたちをとったという稀有な存在です。

つまり、暇つぶしの人も、しっかりと考えたい人も同時に欲求が満たされるという奇跡の交点に位置する作品といっていい。

我々は、この映画を観ている最中、とことん、考えさせられます。
そうして行くうちに、知的興奮が、高まっていきます。様々な想いや恐れが喚起され、まるで「思考のジェットコースター」に乗せられているような気分になります。

ところが、クライマックスのほんの数分に、我々は驚嘆することになる。

ああ、と呻くような声が上がりそうになる。
そして、涙の衝動がどうしようもなく抑えられなくなる。

映画には約2時間というリミットがあって、映画は商業的に成功しなければならないという宿命を帯びて世に生まれ落ちます。ハリウッド映画ならばなおさらのことでしょう。
その映画というコンテンツにおいて、「トランセンデンス〔TRANCENDENCE〕」ということを究極に考えさせ、しかもエンターテイメントとして楽しませるという、本来ならば相反する2つのことをこの映画は同時に成し遂げてしまっている。

ジョニー・デップが出演した所以がここにあるのでしょう。

この映画において、人工知能の可能性が描かれましたが、同時に事実は描かれていたのが、インターネットの危険性でした。実は、『ターミネーター』シリーズでも3でその点がポイントとなっているのですが、もし、さきほど上げた3つの「トランセンデンス(超越)」だけでなく、この「インターネット」も同様に、いや、それ以上に「トランセンデンス」だとすれば、我々はもはや取り返しのつかないところまで来ているのではないかと思います。

たとえば、人工知能やDNA、原子力ならば、その危険性が容易にそして、ダイヤミックに想像ができる。けれども、インターネットの危険性が言われてはいますが、人工知能のように支配が始まるわけでもないですし、遺伝子操作でクローンや人造人間ができるわけでもないですし、原子力な大きな危険を体験したことがあるわけでもありません。

いわば、インターネットとは「遅効性」のトランセンデンスなのかも知れません。

この映画でも、その兆しは描かれていました。
実は、人工知能は世界を破壊したわけではなかった。
皮肉なことに、人工知能を止めて世界の破壊を食い止めようと投入したコンピュータ・ヴィルスこそが、世界を滅亡に向かわせてしまった。

5年後として穏やかに描かれていますが、映画で描かれたように、世界中に強力なヴィルスがまき散らさせて電力が泊まり、金融、防衛、ライフラインの全てが遮断したとしたら、いったい、何が起きるでしょうか。

直ちに、世界恐慌が起きるでしょう。そして、残されたわずかな富や食料を巡って、破滅的な戦争が起きる。

そう考えると、我々はあることに気付かされることになります。

原子力でも、
DNA操作でも、
人工知能でもなく、

人類が手にした最も危険なものは「インターネット」なのかも知れない、と。

 

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2014-07-03 | Posted in 映画ラボ

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