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ライティング・ラボ

ミュージック・スタジオがトイレを大切にする理由


 

 

 

記事:楠田誠一(ライティング・ラボ)

 

「あぁ、すっきりした」

誰もが開放感を感じられる瞬間だ。

安堵と言っていいかもしれない。

 

この小さな空間でのたった一人のできごとは誰にも

見られることもない。

 

だから、なおさら気も緩むし、油断もする。

 

もし、あなたが、そのあとにこれを誰かに見られているとしたら、

どう思うだろうか?

 

あなたは、キョロキョロと周りを見渡すかもしれない。

どこかに盗撮用のカメラが仕掛けられてはいないか。

あるいは、壁のどこかにちょうどいい具合の覗き穴が

開けられてはいやしないか、と。

 

しかし、「そのあとに」と私は言った。

その瞬間でなく、あなたが使ったそのあとの話だ。

 

もうお分かりであろう、トイレの話である。

 

時は昔むかし、1987年である。もう30年近く前だ。

私は、高校卒業後、音楽業界に入りたかった。

音楽を創る仕事がしたかった。

 

いくつかの面接を受け、いくつもの面接に落ち、

やがて、一つの録音専門の音楽スタジオの面接に受かった。

 

「未経験なんですが、大丈夫でしょうか?」

「うちはね、未経験大歓迎。むしろ、未経験のほうがいいんだ。」

「えっ? それはまたどうしてでしょうか?」

「なまじっか、少々経験があるとプライドやらが邪魔をする。

そして、素直さもなくなる。こんなのやってられないと思う」

「そういうものでしょうか?」

「よし、決まりだ。じゃぁ、君、明日から出勤だ。9時ね」

 

あっさりとそこに決まった。

数々の面接に落ちまくり、意気消沈していたのはいったい何だったのだろうか。

こうも簡単に決まってしまうことに、すっかり拍子抜けをした。

 

「おはようございます。本日からお世話になります。よろしくお願いいたします」

「あぁ、新人さんね。よろしく」

「よろしくお願いいたします」

「君の仕事だけれど、最優先の仕事は、トイレ掃除だから」

「あ、はい」

「何よりも、トイレ掃除を優先して。その次に灰皿交換、そして、珈琲入れね」

矢継ぎ早に、先輩のアシスタントエンジニアさんから言われた。

 

早速、トイレに向かった。

トイレは、とてもきれいだった。

自分が来る前に、すでに先輩が掃除を済ませたのではないかと思うくらいに、

きれいだった。

念には念をいれて、磨きをかけた。

 

「トイレ掃除、終わりました」

「ん? 終わり? いや、終わりじゃなくてね、終わらないの」

私は先輩の言っていることがよく分からなかった。

「あのね、ここのルールは、ひとり入ったら、掃除。また、次の人が入ったら掃除なの」

「えっ、ひとりが使い終わった度に掃除するんですか?」

「そう、だから言ったでしょ、トイレが最優先の仕事って」

 

私は、びっくりした。

まさか、そこまでトイレにかかりっきりになるとは思ってもみなかった。

勤務時間のうちの約半分の時間は、トイレにいたのではないかと思うくらい、トイレ掃除をしていた。

 

最初のうちは、トイレ掃除が嫌で嫌で仕方なかった。

ひとり入るたびにトイレ掃除をする意味がまったく分からなかった。

早く録音スタジオの仕事がしたかった。

 

ところが、やがてトイレ掃除をしているうちに、分かってきたことがあった。

 

たったひとりしか使っていないトイレではあるが、その後の様子は驚くほど

異なった風景だったのだ。

 

まず、男性の使用後は、決まって、便器の手前にいくつかの水滴があった。

男性は、たいがいが立って用を足すので、ポタポタと下に水滴が落ちるのだ。

 

水滴とは、もちろん小便だ。

 

また、なぜか桜の花びらが散ったように、トイレットペーパーの小さな切れ端がたくさん散っている風景に出くわした。

いったいどうやって使ったらこのようになるのか謎だった。

 

使用後に、水を流さない人も少なからず存在した。そのことも驚きだった。

 

私の働いていたスタジオは、お台場に引っ越す前のフジテレビが近くにあったので、

芸能人と呼ばれる人たちも、お客様の中にいた。

 

秋元康さん率いる今でいうAKB48、当時のおニャン子クラブの人たちも

録音スタジオを利用していた。

時期的にいうと、後期おニャン子クラブの時代なので、工藤静香さんもいたはず

だったのだが、あまり記憶がない。

レコーディングのときは、メイクをしていなかったり、名札をつけているわけではないので、気がつかないことも多いのだ。

 

そんな中、強烈に覚えていることがある。

新人の女性歌手さん。

妖艶な色っぽさと、初々しい清純さを兼ね備えた素敵な女性だった。

彼女だって、トイレは利用する。

彼女は、とてもいい香りの香水も使っていた。薔薇の香りと言えばよいのか、

ふんわりと残り香が残った。

 

ところが、彼女の使用後の風景は、とんでもないものだった。

おもちゃ箱をひっくり返したような散らかりようだった。

どうやってトイレを使ったら、そのように豹変してしまうのか不思議だった。

 

本人の名誉のために、名前は公表しないでおこうと思う。

 

その真逆で、とても丁寧に使う紳士がいた。

アナウンサーとして、有名な方だった。

トイレに入る扉の前で、いつも一礼をしていた。

よろしくお願いしますと挨拶でもするように。

そして、使用後は、後ろ手に扉を閉めるのではなく、トイレの扉にきちんと身体を向け、静かに扉を閉めた。

ありがとうございましたと言っているかのように。

 

もちろん、使った痕跡がまったくないかのように、きれいだったのは言うまでもない。

 

やがて、私は、トイレを使う前に、あたかも占い師のように、

トイレを利用する人がどのように使うかを予想できるようになってしまった。

 

「おはようございます」「ありがとうございます」

そういった挨拶であったり、入口の扉の開け方や閉め方、言葉使いなどから想像できるようになった。

 

きれいに使う人は、すべてが丁寧なのである。どのような行為においても真摯なのだ。

 

一事が万事、そのことを感じた。

 

私は、先輩に聞いた。

「どうして、このスタジオでは、ここまでトイレ掃除にこだわるんですか?」と。

 

「そりゃ、決まってるでしょ、おトイレの神様だからだよ」

「おトイレの神様?」

「そう、トイレの神様ってのは、有名だけど、ここでは違うよ」

「???」

「そんなことも知らないで、音楽業界に入ったの? 出直しな」

「あぁ、おトイレ、おといれ、音入れですか」

「今頃分かったの? レコーディングの神様だよ」

 

後日、オーナーさんにトイレ掃除についての質問をしてみた。

先輩の話とは違っていた。

 

「それはね、そんな駄洒落じゃないんだよ」

「違うんですか」

「有名なシンガーソングライターがいるでしょ、Yっていう」

「Y?」

「彼女が言うにはね、トイレは小さな宇宙だっていうんだ」

「宇宙?」

「トイレの空間は、小さな宇宙ってわけだ。

つまり、空があって、水が出てくるパイプがあるだろ、あれが雲」

「あ、はい」

「雲から雨が降る、受ける部分が山の川、タンクは山だな、山には水が貯まる」

「そうですね、人が水を流すと」

「大きな川となって水が流れるわな、そして、水は海に注ぐ」

「あぁ、海がありますね」

「だろう? トイレの便器を考えたデザイナーはすごいって言ってたな」

「すごいですね!」

「創造の泉なんだよ、トイレは。だから大事にするの」

 

トイレが小さな宇宙と考えたのは、Yさん、つまり松任谷由実さんなのではないかと私は思っている。

けれど、その確証はない。なんとなく、そんな気がするだけだ。

 

「イクシマさま、お電話です」

私は電話を取り次いだ。当時は、携帯電話がまだ普及していない。

外から何か用があれば、電話で呼び出す必要があったのだ。

そのおかげで、アナウンサーの紳士の名前も分かったのだった。

 

2015年、私は池袋駅を降りて、東口をだいぶ歩いていったところにある書店に向かう。

1階がお蕎麦屋さんである。階段を昇った2階がその書店だ。

 

扉を開けると、何やら列が。

「あのー、この列は何の順番待ちなんでしょう?」

「あぁ、トイレの順番待ち」

「トイレに何かあるんですか?」

「トイレには何もないよ。まぁ、水くらいはあるけど」

「何もないのに、なんでまた並ぶのでしょう?」

「何もないのを確かめるために、並んでるのではないかな?」

「何もない・・・」

「何かあったとしたら、何もないようにして出てくるだけさ」

 

 

 

 

***

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2015-05-18 | Posted in ライティング・ラボ, 記事

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