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ライティング・ラボ

【身長158cmとかけて、ネクタイと解く、その心は?《陸奥亭日記》】


道奥亭日記

記事:野田賀一(ライティングラボ)

私は今30歳。
同い年の妻と2歳になる一人娘と決して裕福なわけではないが、つつましく暮らしている。

人生30年もあれば人生色々な変化が訪れるものだ。
皆さんも経験をする、学校の卒業や就職、結婚、出産などである。
もちろん私も同じ変化を体験しているうちの一人ではあるが、中学生の頃から変わらないものがある。
158cmの身長である。

必ず人には成長期があると聞いていたのだが、どうやらやつは私の所に来るのをうっかり忘れてしまったようだ。
同級生が膝が痛いだの、服が小さくなっただのと騒いでいるのを羨ましく、時に疎ましく思ったものだ。

言っておくが、努力は人一倍したという自負はある。
例えば、牛乳を毎日1ℓ飲めば背が伸びると聞けば毎朝欠かさず飲んでいたし、ジャンプをすると膝に刺激が来るようだと聞けば昼の休み時間に体育館の外れでひたすら飛び上がっていたし、猫背にならないように背伸びも日課にしていた。
けれど、結局は骨が太くなって、膝に怪我をして、姿勢が良くなっただけだった。

そして、少年の心に身長158cmというコンプレックスが根付くことになる。
まず、身体測定が嫌で嫌でしょうがなかった。数mmでも伸びていて欲しいという、ささやかな期待ですら毎回脆くも崩れるからだ。
また、決まって好きになる女の子は私より背が高く、告白する度のフラれ文句は「背が低いから」だった。

この背が低いからという理由は、正直かなり堪えた。
背が低いというのは、この世の中で変えることが出来ない大自然や天変地異のごとく、もはや受け入れるしかないものだ。
「背が低い」ということに勝てないのであれば、背が高い人よりも魅力を持てばよい。
とは、”チビ界”の格言である。
だが、信じられなかった。どのようにすれば魅力や自信を持てるのか。
この僕には何が残っているというのか。

そんな時だった。あの運命の日が訪れる。

忘れもしない、吉本新喜劇をテレビで初めて見た時である。
吉本新喜劇といえば、あごが出ていたり、おかまだったり、アホだったりと、インパクトの強い芸人ばっかり出ている、あの番組である。
そのインパクトある人間の中の一人。池乃めだかがおもむろに付けていたネクタイを解きはじめ、自分の身長と同じだというギャグで会場を賑わせていた。

その瞬間、頭から背中にかけて、稲妻が走った。
ヤクザの親分の格好をしていたのが余計にギャップを生んでいたのかもしれない。

「こんな低い身長でも笑わせられるんだ!」
と池乃めだかが少しだけ大っきく見えたのを覚えている。
ヤクザの子分にツッコまれてすぐに小さくはなったが。
時に、何気ないことほど勇気をくれるものだ。それだけ、低い身長ということが嫌で嫌で仕方がなかったという証しでもある。

笑わせるということは簡単なようで難しい。
この池乃めだかの場合は、『身長がネクタイと同じ訳がない』という常識のようなイメージを覆している。
「ああ、ホントだ!ネクタイと一緒だ!」
という、一本取られた系の笑い。
誰も傷つけない。しかも、低い身長を武器にしている。
小さいということを武器に。

どうやら、神は私を見捨ててはいなかった。
小さな希望がある事を、池乃めだかを通じて見せてくれたのだ。

そして、この時から、身長を伸ばす努力や、身長が高い人間への妬み恨みを止めた。
どうやったら身長が低いことを武器に出来るか考えるようになった。
そして、色んなことにチャレンジ出来るようになった。

小学校ではじいちゃんの影響で相撲をやってみた。まわしが恥ずかしかったが、小さい体で大きな相手に勝つと観客のお年寄りに褒められた。
中学生は、幾つかの小学校に通っていた生徒が合流するので、背が低いイジメられると思って柔道を始めた。背が低いから背負い投げが上手いと褒められた。

「なんだ、背が低いことでも良いことがあるんだ。今まで、マイナスの部分しか見えていなかった。今度からはプラスの部分だけ見ていけばいいんだ。」
少年は小さな心に大きな勇気を持った。

そこからは、もうホントに背が高くてカッコいいひとを見ても、自分は自分と言い聞かせてきた。
時には羨ましくなることもあるけれど、自分にはありえないこと。
そんなことは思ってもしょうがない。
そんなことを思っているぐらいなら、自分の良い所を見つけて伸ばせばいい。
そう、身長が伸びなければ、長所を伸ばせばよいのだ。

そして、現在。
私は陸奥亭鈴五(みちのくていりんご)という高座名兼ペンネームで芸人にもチャレンジしている。
これが長所かどうかは分からない。
どちらかというと、好きな事を好きなようにやってるだけかもしれない。

けれど、私は自分の才能の何が伸びるか楽しめているようだ。
もうそれだけで十分ではないか。

人間には物を見る時に、掛けるフィルターが2種類ある。
それを悲観的に捉えるか、ありのままに捉え良い部分を見つけるか。
あの時の池乃めだかのような、ネクタイにはこういう見方もあるよと、
そういうような芸人になるために、私は今日も高座にあがる。

***

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2015-06-12 | Posted in ライティング・ラボ, 記事

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