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【嵐とスマップでは、キャッチボールが成り立たなかったという類の話 《陸奥亭日記》】


記事:野田賀一(ライティングラボ)
「やっぱりジャニーズは嵐よねー」

またこれか。帰りの電車に乗ってると聞こえてくる、おばさま達の井戸端会議だ。 グッズを手に持って、スッキリとした表情をしているところから察するにコンサートの帰りだろうか。 「この前のハワイ公演、凄かったらしいわよ。行きたかったわー」 「そうそう、私、前まで松潤派だったけど、相葉くんも結構良くなってきたのよねー」

と、嵐ファンのおばさまが言い終わるか終わらないかのタイミングで、別のおばさまが、

「でも、スマップもいいわよ」 「スマップねー、歌も踊りもイマイチだけど、エンタメ性は抜群だわよね」 「そいえば、香取君最高筋肉増えてカッコよくなったわよね」 「でも、なんだかんだ言っても総合的に考えるとやっぱりファンになるなら、スマップに限るわね」 もはやこの世の中に会話のキャッチボールという言葉があったことすら疑わしい。

各自所持しているボールケースからありったけのボールを交互に投げっぱなしの応酬である。 それでも、別々のファン同士で喧嘩をしない所は人間の共存本能ゆえの賜物であろう。 なんて適当な会話なんだと微笑ましくもなってしまうが、 気付くとこの中の、あるワンフレーズが頭の中でループしていた。 「ん? ファンになるなら、スマップに限る? このフレーズどっかで聞いたような、、」 あ、あれだ!!

そう、落語の演目「目黒のサンマ」である。 最近、練習しているだけあってすぐにピンと来た。 落語の話をキッカケに、毎年目黒でサンマ祭りならぬものが催されるほどである、有名過ぎるこの話のサゲ(オチ)は、 「サンマは、目黒に限る」 である。 ちなみにこの話、

秋の話として知られており、残暑過ぎ肌寒くなってきた頃から、

だいたいどこの寄席でも毎日一席はお目にかかることが出来る。 どこか憎めないお殿様とそれに振り回される家来達のやり取りが楽しい滑稽話だ。 話のストーリーはというと、 お殿様が目黒で家来とかけっこ ↓ お腹が空いて、百姓から焼きたてのサンマを譲ってもらう ↓ 美味すぎて、お殿様にサンマブーム到来 ↓ 知り合いの屋敷で、サンマをオーダーしたら丁寧に調理されたおかげで、不味かった ↓ サゲ(オチ) という至極単純なものだ。 分かりやすさも有名な話たるゆえんだろう。 では、どこがおばさま方の話と関連するのかというと、 それはどちらも

「思い込みの度合いは、感動の度合いに比例している」 ということである。 どういうことか。 例えば、このスマップファンのおばさまの場合、言いたいことは 「スマップ=エンタメ最高」 だが、これはこの人だけの感性だ。 当たり前の話だ。 隣の嵐ファンのおばさんにしたら、 「嵐=エンタメ最高」 だし、 向かいの席に座っている競馬新聞&赤ペン耳刺しおじさんにしたら、 「競馬=エンタメ最高」 となるだろう。 だが、みんなに共通していることは、過去に自分の体験で心揺さぶられるほどの感動があったからこそ、それを確立しているということだ。

それは、スマップの国立競技場でのコンサートかもしれないし、

嵐の24時間TVの司会かもしれない。

またはオルフェーブルの有馬記念での引退かもしれない。 それは、目黒でお殿様が焼きたてのサンマに感動したこととまったく同じである。 (しかもこのお殿様の場合は、野外ですきっ腹に、旬の脂の乗ったサンマを食べている。

どれほどの感動があったのかは容易に想像出来る。) 人間は大抵、自分が見たもの聞いたものや体感したものの蓄積で現在の自分が形作られている。 こと、自慢話やオススメ話に関しては、実体験がほとんどである。 「体験した私が最高って言っているのだから、間違いない!」 という理屈だ。 聞き手が例え、

「え? どこが? 具体的に教えてよ」とかいう意地悪な質問をしたとしても、 「だって踊りのキレが違うのよ。」 とか、 「歌が美味いのよ。」 とバッサバッサと滅多斬り、あえなく返り討ちである。 今日、この記事を読んでいる合間にも、世界のあちらこちらで、 いわゆる「目黒のサンマパターン」の会話が繰り広げられており、 時には目黒という魚河岸から遠く離れた土地で食べたサンマが1番美味いというような、 見当はずれの自慢話が繰り広げられているのであろう。 とはいいつつも、そんなに激しく思い込める、感動出来るのは人間にしかない特権だと思う。

また、逆説的にいえば、 そういった「ひょんなご縁から1番美味いと思わせしめた目黒のサンマは偉大である」とも捉えられるから面白い。 さらに、落語でしか聞いたことがないストーリーから、 実際に目黒でサンマを食べる祭りを開催してしまうなんて、なんて江戸っ子は面白い生き物だろうか。 さて、しばらく物思いにふけってはいたが、 僕は相変わらずこの状況をすこぶる楽しんでいた。 というのも、もはや目黒のサンマをイメージしてしまった時から、

おばさま達がオチを持ち合わせていない落語家にしか見えなくなっていたのである。

あのテンポの良い掛け合いは恐らく一人でも延々と話せるであろう話術を持ち合わせ、 電車の中で聞きたくもないのに、聞こえてくる圧巻の声量。 こと、自分の得意な話では無限の引き出しからネタを惜しげもなく出してくる。

オチがあったら、間違いなく真打の落語家である。もはやプロをも凌ぐ可能性すら感じさせるから末恐ろしい。 とはいえ、始まりがあれば終わりはいつかはくるもので。 おばさま達のトーンダウンを尻目に、ひとしきり楽しんだところで、

今日もまた一人マスクを着けて、ボソボソと落語の練習にいそしむ落語家見習いである。

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