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プロ野球の選手のへの憧れがライバルに変わった話

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記事:羽様 洋一(ライティング・ゼミ冬休み集中コース)
 
 
「純粋にプロ野球選手に憧れることができたのって、果たして何歳の頃までだったのだろう?」
齢40を越えてたびたび考えるようになった一つの疑問である。
 
 
小中学生のころは無邪気に有名な選手に憧れていたし、高校生になってからは、春夏甲子園で格好を浴びる同級生たちに若干の嫉妬を覚えることはあっても、プロ野球選手は相変わらずスターで手の届かない存在であった。
 
 
それが変わったのは二十歳を過ぎて社会に出てからではないだろうか。
ブラウン管で野球中継を見ていても、自分と同じ「1970年代」生まれの選手がチラホラと現れ、中には年下なのに若手中心選手として頭角を現す選手も出てきた。
 
 
社会人二年目のある日の残業帰り。
疲れた体で布団に横たわり、選手名鑑をパラパラとめくりながら、
自分と年が何歳も変わらないある選手の生年月日見て、苦虫を噛み潰すような表情で呟いた。
 
 
「同じ誕生日でプロ野球選手だなんて人生全然違うよな」
 
 
この時、もう既にプロ野球選手に対する純粋な憧れは消えていたのかもしれない。そのある選手とは『「万永貴司(横浜ベイスターズ)」である。
 
 
彼は1993年ドラフト6位で横浜ベイスターズに入団。内野ならどこでも守れるユーティリティープレイヤー。爽やかなマスクで女性人気も高かった。
 
 
今思うと何故、万永に対して一方的なライバル心を抱いたかがわからない。
 
 

万永が湘南にいるサーファーのようなイケメンだったからなのか。
レギュラーでもない若手の選手なのに個人の応援歌を持っていたからなのか。
それとも、漫画のキャラになっても可愛いキャラとして人気があったからなのか。
 
 
どれもしっくりいかない。結局は、ただモテない男の嫉妬だったのかもしれない。
 
 
ともかく、1996年の夏、その日から万永に対する私のライバル視がというドアが開いた。
当時、新卒で入社した貿易会社で昼夜問わずに働いていた。
会社で寝泊まりするのは当たり前、昔でいうモーレツ社員を地で行くような生活で順調に成績を残していった。
 
 
一方の万永も一軍に定着、1997年オフにはプロ野球脱税事件で出場機会が減少したものの、1998年にはレギュラー選手の怪我や不調をカバーする貴重なスーパーサブの立場を確立し、活躍していた。
 
 
1998年7月、万永はレギュラーの進藤が欠場していた不在の穴を埋め、約1ヵ月間スタメンとして出場していた。その間チームは球団タイ記録の10連勝で首位をキープ。チームは不調どころか絶好調だった。
 
 
印象に残っているのが7月5日の熊本でのヤクルト戦。
スタメンで出場した万永は8回になんとホームランを放つ。
出張先の居酒屋のラジオ中継を聞きながら耳を疑ったのを今でも覚えている。
 
 
万永は試合後、雑誌のインタビューに対してこう語った。
 
 
「ベイスターズは選手層が薄いと言われている。でもそんなこと言われたら悔しいでしょ。
 
 
だからこそ今日は僕にとっては最高のチャンスだった」
 
 
あの夏の日が彼の野球人生のハイライトだったことは間違いない。
 
 
1998年から8年後の2006年、万永貴司は引退した。最終打席は三振だった。
 
 
ちょうどそのころ私は貿易会社で同期の中でも一目置かれる存在になっていた。
大きなプロジェクトや契約も任せられ、上司の信頼は厚く、部下からは慕われ有頂天になっていた。
 
 
「ついに万永に勝ったぞ!」という気持ちが少しあったかも知れない。
 
 
しかし、勤める会社で不祥事が発覚し。新聞に出るような騒ぎになった。青天の霹靂だった。呼応するように会社の業績はまたたく間に落ち、いつ倒産してもおかしくない状況に陥った。会社にいると社員の間で、この会社に残るのか。転職するのかが社員の中で当たり前のように会話としてされているのが心苦しかった。このまま愛着のあるこの会社で気概を持って働くことができるのか。それとも今までの経験や実績を持って他社に移籍をするのか。社会人になってからのはじめての大きな選択だった。
 
 
「万永が引退を決めた年に、俺も窮地に立たされるなんて」
 
 
久々に見たスポーツ新聞を見ながら運命を感じずにはいられなかった。
翌年の春、ふと万永に会いたくなって横須賀スタジアムに足を運んだ。
観客席のネット越しに見る万永は一軍の横浜ベイスターズのユニフォームから二軍の湘南シーレックスのユニフォームに変え、熱心にノックをしていた。ほのかに現役時代より黒くなったようにみえる肌、したたる汗。
彼の姿を見て、腐っている自分が情けなく思ったと同時に、「負けるもんか」と勇気づけられた。やはり万永は私にとってのライバルだったのだ。
 
 
幸運なことに、その後、会社は銀行の融資で会社は立ち直り、見事に蘇った。今年から海外の現地法人の会社を任され僭越ながら「社長」という肩書を得ることになった。
 
 
万永も引退後、横浜ベイスターズの二軍湘南シーレックスの内野守備走塁コーチ、球団スカウト、横浜DeNAベイスターズの二軍内野守備走塁コーチを経て、2018年から二軍監督として指揮を握り、2019年は多くの有望な若手を育て、チームをAクラスに導くなど手堅く結果を残している。
 
 
海外の現地法人の社長と二軍監督、やはり運命を感じざるを得ない。
果たして万永に追いついたのだろうか?
いやまだまだ足りない。
いつか必ず万永に追いついて、そして追い越してみせるさ。

 
 
 
 
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2020-01-05 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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