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【誤解注意】私はこの漫画は好きなのです、と最初にお断りしておきます。フルーツバスケットの登場人物の見分けがつかない~長く深い関係ということについて~


 

記事:西部直樹(ライティング・ラボ)

 

 

世の中はいろいろと悩ましいことがある。

 

悩ましいことの解決を図るような仕事をしていると、

手軽に素早く苦労せず、解決したい身につけたい、といわれるが、

そう簡単にいくものなのか。

 

考えても、調べても、学んでも解けない謎がある。

 

 

 

曰く

なぜ、宇宙はできたのか?

 

どのように宇宙はできたのか、ビッグバン理論は説明してくれる。

けれど、そもそも、なぜ、無から宇宙は生まれたのか?

なぜなのか?

 

なぜ、人は生まれ、死んでいくのか?

 

どのように人は生まれるのか、生物の時間、保健体育の時間に学んだ。

けれど、なぜ、人は生まれるのか、誰も明確な答えを持っていない。

なぜなのか?

 

そして、

なぜ、私はフルーツバスケットの登場人物たちの区別がつけられないのだろう?

 

女性に人気があるという「フルーツバスケット」という漫画を読んだ。

とてもキュートな主人公の本田透(女性)と絡んでくる美少年、美青年たちが織りなす物語は、楽しく、面白く、興味深い。

しかし、私には登場人物たちを、主人公とその他、としか区別が付かないのである。

なぜなのか?

 

誰が誰だか見分けが付かない、とあるところで呟いたら、フルーツバスケットファンの女性の方から、

「全然! まったく違うよ」

と叱責されてしまった。

そうか、全然違うのか。まったく別物なのか。

どう違うのか教えて欲しい!

 

 

 

 

漫画も本も好き、映画も好きなので、我が家には漫画も本もあふれ、映画のDVDは何百枚もある。

時に、家族で映画鑑賞会みたいなことをする。妻ももちろん観るのだが、彼女は洋画が苦手である。

なぜなのか、理由を聞いてみると、「誰が誰だかわからなくなのよね」ということらしい。

演じる俳優の顔の区別が付かないというのだ。

また、服装が替わると誰だったかもわからなくなるらしい。

妻は「名札をつけて演じて欲しいよね」などと言い出す始末だ。

やれやれ。

 

まさかと思って、時々この話題をいろいろなところですると、

「私もわからなくなる、だから、邦画しか観ないんだ」

という方がけっこういるのだ。

 

 

 

どうして?

 

 

 

普段見慣れない顔立ちだからなのか

 

 

 

いや、私は同じ日本人でも区別が付かないことがある。

AKBとかMKBとかは、誰が誰やら……

 

 

 

そうだ、動物園の猿山の猿たちを見ても、個々の判別はできない。

大人の猿と子猿の違いくらいしかわからない。

太郎も次郎も、どれが誰だかわからない。

 

 

 

しかし、昔飼っていた牛たちは一頭一頭区別がついた。

私の実家は酪農家で、20頭近くの乳牛を飼っていた。子どもの頃は、牛の世話を手伝っていたのだ。

特に名前をつけていたわけではないが、牛舎内での定位置はどの牛がどこだかはわかっていた。

 

 

 

私が教えているディベートでもそうだ。

初心者向けの講座では、受講者は議論の流れも、否、相手がなにを言ったのかも、わからない。

相手が話していることと、自分の話したこと、話し合うテーマとの関係が見えないのだ。

Aという資料とA’という資料を使った時の、議論の強弱もわからない。

どの議論も、発言も等価に思えてしまうのだ。

差異がわからない。

細かな違いや議論と議論の関係を指摘すると、初心者の方からは「どうしてわかるのですか?」と聞かれたりする。

どうしてと言われても、どうしてもわかるのだ。

 

 

 

全然! まったく違うのだ。

 

 

 

そうなのか、関わりの長短、濃淡が差異を見極める力になっているのだ。

 

妻は普段あまり洋画を見ないから、そこに出ている俳優たちとの関わりは薄い、薄ければ差異がわからない。どれも同じに見えてしまうのだ。

猿山の猿を観ているようなものなのだろう。

 

私も関心のないAKBとかは、誰が誰だか識別はできないのだ。

 

しかし、長く関わっているものは、情報量も増え、差異もわかってくる。

 

長く世話をしていた乳牛たちは、一頭一頭の特徴がわかっていたので、違いわかったのだ。仕事でもそうだ、長年関わっているディベートなら、細かな差異も目につくのだ。

 

ただ、ここで疑問もわく、長く関わっていたら、自然と差異がわかるようになるのだろうか。

毎日使っている茶碗、普段使いの陶器。長く使っている。それで陶芸の差異がわかるようになるのか。

たまに美術展などに行って陶芸作品を目にするが、普段の茶碗と芸術的価値のある茶碗の差異は、正直わからない。普段の茶碗は、それほど愛着を持って、毎日しげしげと見ているわけではない。だから情報量が少ないのだろう。差異を計る基準になり得ていないのだ。

 

長さと深さが、違いがわかるようになるどうかの決め手なのだろう。

 

ある美術鑑定家の本を読んだ時、どのように鑑定眼を養うのか、ということで「いい物を身近に置いておくのだ」と書いてあった。

いい物を身近に置いて、長く深く関わることが鑑定眼を養うことになるのだ。

 

 

 

悩みを瞬く間に解決する魔法はない。

 

宇宙はなぜ生まれたのか?

太陽系が滅びる時になってもわからないかも知れない。

 

 

人はなぜ、生まれてくるのか。

答えは来世でもわからないだろう。

 

それでも、問い続けていかなくては、答えはえられない。

 

長く深く関わっていけば、何かをえられるだろう。

 

そして、

私も、最初の数巻を読んだくらいで、差異がわからないと嘆いてはいられない。

まだ先は長いのだ。

 

長く深く関わっていけば、猫と鼠の違いもわかるようになるのだろう。辰とか巳の違いも。猫とか鼠とか辰とか巳とかは何かって、それは「フルーツバスケット」を読めばわかるのである。

たぶん。

 

 

***

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