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中二病の治しかた、あるいは自意識のコペルニクス的転回


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:高橋 将史(ライティング・ゼミ平日コース)
 
これを読んでいるあなたに、一つ質問をします。
 
「自分はほかの人とは違う、特別な人間なんだ」
そんなふうに思っていた時期が一度でもある人、もしくは今まさにそう思っている人は、素直に手を挙げてみてください。周りの目は気にしないで。
……
オーケー。
今手が上がらなかったあなたは、今すぐ左上の「戻る」ボタンをクリックしていただくか、画面を右にスワイプしていただくことをおすすめします。
ここから先の文章を読むくらいなら、その時間を何か別のことに使っていただいた方が、あなたにとってはずっと有意義だと思いますので。
 
一方で、手が上がったあなた。
観念してください。そして、もう少しだけお付き合い願います。
何も恥ずかしがることはありませんよ。
ええ、ぼくもそちら側の人間なので。
 
「中二病」という言葉が世に広まって久しい。
もちろん、正式な医学用語ではないが、思春期特有の肥大した自意識を言い表す表現として、これ以上しっくりくるものはないんじゃないだろうかと、個人的には思う。
その症例は実にさまざまだ。柄にもなくワルぶってみる、飲めないのにコーヒーをブラックで飲もうとする、急に洋楽やヒップホップを聞き始める、「大人は汚い」などと言い出して、政府の陰謀論を大まじめに信じてしまう……
そのほかにも中二病にはさまざまなケースが存在するが、そのいずれにも「自分はほかの人とは違う、特別な存在でありたい」という願望が根底にはあるのではないだろうか。
 
生まれたばかりの赤ん坊にとって、世界の中心は自分であり、「自分は価値ある存在だ」ということを決して疑いはしない。それが家族や学校、地域の人たちとのかかわりを通じて、自分は「いろんな人がいる世界の中の一人」だということを徐々に認識していく。
色々な人と関わっていく中で、自分と他人を比較し始める。そしてその過程で、いろいろな人間がいる中でも特にその存在が際立っている、「特別な人」を目の当たりにする。
とても足が速い、顔立ちがとても整っている、楽器を演奏するのがとても上手……
そんな人とは違う、特別な素質を持った人間と自分を比較して、ある疑念が生まれてくる。
「あれ、俺/私って別にスゴくないんじゃないか?」
自分はこの世界の中でスペシャルな存在ではなく、ありふれた存在でしかない。
そう感じた瞬間に、自分自身の存在価値みたいなものがグラグラと揺らいでくる。怖い。
その恐怖から何とか逃れるために、エキセントリックな外見や言動、ニッチな趣味や感性なんかをこしらえて、自分は特別な存在であることをアピールしようとする。
そしておそらく、その状態に陥る可能性が最も高いのが13~14歳の、いわゆる中学2年生の時期だ。
それこそが中二病の正体である。
 
誠に恥ずかしながら、ぼくもつい最近まで「自分は他とは違う、特別な存在でありたい」と強く思い続けていた。
 
自分の場合は、「世間が正しいと信じているような価値観をあえて否定すること」によって、他者との差別化を図ろうとしていた。周りの人が流行の飲食店に殺到する様子を見て、
「あいつらは流行に流されている。何が欲しいのか自分の中で判断する力がない。俺は流されないぞ」
などと斜に構えたり、就職活動を行う際にも、
「俺は大衆に迎合しない。自分が成し遂げたいことに向けて、一番いい選択肢を選ぶ」
などとうそぶいたりしていた。
自分の意見をはっきりと持っている自分はほかの人より優れていると思い、年上の方からのアドバイスも素直に聞き入れることはしなかった。
ああ、書いているこっちが恥ずかしくなってくる。
 
自分の場合、中二病の症状の根底には、強い劣等感と承認欲求があった。
子供の時から運動が非常に苦手で、あまり社交的でもなかったことから、小学校高学年くらいの時にはすでに「自分は周りより劣っている、周りから認められるものを持っていない」という思い込みに強く支配されていた。
当時のぼくは、他の多くの男の子と同じように、クラスの人気者になりたいと強く思っていた。けれど、実際にクラスで自分は中心にいるとはいえない立場だった。自分の持っている資質では、みんなの輪の中心になることは難しいのではないかと思っていた。
周りからの人気が思ったほど得られないことへの歯がゆさや、自分が価値のない存在なのではという恐れから逃れるため、他の人とは違う考え方を持つということで、自分は多くの人がいる集団の中で特別であろうとしたのだ。
そして、中学、高校、大学を経て、その思いをますます増強させていった。
気づいたころには、ぼくは中二病をこじらせていた。
 
けれど、ある時気づく。
特別な存在になろうとあがいてみたところで、現実はちっとも変わらない。
いくらたっても自分は人気者にはなれないし、何か際立った成果を得られたわけではない。
「自分は特別になりたい」と思うことに、メリットなんてないんじゃないだろうか?
ぼくは、自分と周りに対する認識をがらりと変える必要に迫られた。
 
まず、ぼくは自分と密接にかかわってくれている人に注目した。
「俺の友達たちは、どうして自分のことを面白いと思ってくれているのだろう?」
自分と仲のいい人や、お世話になった人の名前をリストアップして、どうしてその人が自分に好感を持ってくれているのか、自分なりに推測したり、実際に聞いたりしてみた。
すると不思議なことに、それまで見えてこなかった自分の個性や強みなんかが、どんどんあらわれてきたのだ。そして、それらは驚くほどに腹に落ちる。
自意識過剰になる度合いが極端に減った。自分が他の人からどのように見られているかではなく、自分がどのように振舞えば相手はより喜んでくれるだろうと考えられるようになった。
特別になろうなんて努力をしなくとも、自分は初めからスペシャルな存在だったのだということに気づくことができたのだ。
 
「自分は特別でありたい」と思う中二病の思考回路では、まず「まわりからこう見られたい」という自分の理想像からスタートして、現実がその通りになるように周囲にアピールしようとする。
けれど、実際は自意識を回すサイクルが逆なのだ。
周りの人が感じている自分の特徴や魅力に着目して、それらを自分の個性として取り入れていったほうが、ユニークであるという意味での「特別さ」を、ずっと簡単に手にすることができる。
 
かつてある偉大な天文学者は、天体の動きをより正確に予測しようと試みた末に、動いているのは太陽や空の星々ではなく、自分たちが足をつけているこの大地であるということに気がついた。
人類史に残る大発見と個人的な気づきを同列に扱うのはあまりに図々しいが、相手から自分という順番に自意識のサイクルを逆転させるという方法は、ぼくにとってそれほどの衝撃だった。
 
 
 
 
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2020-01-10 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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