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ふかふか湯豆腐の作り方


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:大快和子(ライティング・ゼミ平日コース)
 
「……こ、これは!」
 
思わずひと昔前のグルメ漫画のようなリアクションをとってしまったのがちょっと恥ずかしい。
猫舌の私は、口に溢れる熱気を必死に逃しながらも、箸を止められませんでした。
ひとり言も進みます。
 
「料理したとも言えないお手軽メニューなのにこんなに新鮮なおいしさを感じられるなんて……これは日本酒でも一緒にちびちびやりたくなる感じ! て、飲めへんけど」
 
98円の刻み葱をちょちょっとしか載せていないのに、もうそれだけで充分という手軽さも良いですし、チューブの生姜をにゅっとしてみるのも良いかもしれません。
 
「湯豆腐、最強やな」
 
事の発端は、昼食後の雑談でした。
係長は諸処の事情によりバツイチで、普段、ご自分でも料理はしているそうなのですが昼食は社外に出て食べてくるタイプの方です。
帰社して席に着いた係長がおもむろに私に聞いてきたのです。
 
「君、湯豆腐って、食べるか?」
 
唐突な、しかも湯豆腐と言うピンポイントなメニューをあげての質問に少し驚きながらも私は「はい」と答えました。
 
「煮る時、何、入れる?」
 
「えーっと……昆布……とか」
 
正直、そこそこ妙齢の、一人暮らしをしている女性として恥ずかしくない体を装うための嘘をつきました。
ちゃんと出汁取り用の昆布なんかを入れて作るのは実家で母が作る時だけで、実際のところを言うと、ただのお湯で煮たものにポン酢をかけたり、キムチを載せたりする程度のことしかしていません。
 
「せやな、まぁ、おこぶ入れたりするのが一般的やな」
 
「え、係長は何か特別な物を入れてはるんですか?」
 
「いや、僕は手間をかけずに旨いもんを食いたいタイプやからそんな特別なことせぇへんよ。 あんな、白だし、て知ってるか?」
 
「出汁の素かなんかですか?」
 
あまりにも料理をしていないことがバレバレの返答です。
 
「……うん。 スーパーとかにボトルに入ってるやつ売ってるやろ? そんなんでええねん。 あれを鍋にチョッと入れて水いれて、それだけでお豆腐がふかふかに炊けるんや。 居酒屋で呑む前にちょっとつまむような、そんな感じの湯豆腐ができあがる。 ほんまやで。 いっぺんやってみ」
 
時々、手作りの山芋の味噌漬けやちりめん山椒なんかを「みんなでお昼に食べ~」と持ってきてくださる料理好き(かつ、居酒屋巡りが大好き)な係長が言うことなので、たしかに美味しいものなのでしょう。
 
白だしで炊く(煮る)だけでふかふかの湯豆腐。
 
ふかふかの湯豆腐。
 
ふかふか。
 
このふかふか具合が一体どんなものなのか午後の執務時間中ずっと気になり続け、会社を出る頃には頭の中は湯豆腐一色。
スーパーで白だしとお豆腐、そして刻み葱のパックを買って帰ったのは言うまでもありません。
 
スーパーの陳列棚に並ぶ白だしのボトルに書かれていたことによると「白だしとは、削りたての鰹節からとった濃厚な出汁に醤油・砂糖・みりんなどを加えたまろやかな風味が特徴。 色が薄いので素材の色を活かしつつもしっかり味が滲みる」調味料だそうです。
 
帰宅後、冷え切った部屋で着替えを済ませ、白い息を吐きながら鍋の準備にかかりました。
 
白だしを鍋にチョッと入れてから水を張る。
お豆腐を入れて弱火でゆっくり、煮立てないように。
いい具合に炊けたら鍋に蓋をして5分間待機。
この5分間がお豆腐をふかふかにしてくれる。
 
「これだけなんだよなぁ」
 
ゆっくり、くつくつと炊けていくお豆腐を見ていたら、私自身の身体を強ばりが少しずつ和らいでいったのを思い出していました。
ごく簡単な作業に集中することで日常感じているモヤモヤとした気持ちから目を逸らすこともできていたように感じました。
 
料理のために手を動かすことはトンネルを掘っていく作業と同じようなものなんじゃないか。 そんなことを思いつきました。
 
実は数週間前、10年付き合って結婚も考えていた彼氏との別れるというかなり痛い失恋をしたばかりでした。
大きな衝撃と動揺を表には出さないよう気を張っていたものの、会社でパソコン画面に向かう私の表情には、道端でパリパリ踏まれ、やがて飛び去る落ち葉のような乾いた気持ちが滲み出ていたのでしょう。
 
「簡単なもんでもな、何か作って食べるのは気分転換にもなってええで」
 
そう言って静かに笑って下を向いた係長には、今の私の心境がちょっと透けて見えていたのかもしれません。
 
三十代も終わりにかかっての破局で、まさに目の前が真っ暗。
お先も真っ暗。
なのに、まだまだ毎日、生きて行かなくちゃならない。
けれど、そんな虚無感に苛まれつつも無心に手を動かしていれば、目の前にぱっと眩しい光が射す瞬間が訪れる。
トンネルはいつか必ず抜けられる。
 
簡単な料理で充分。
帰宅後、手を動かすことに集中して、できあがった料理をおいしく食べる。
そんな風にして生きていれば、そのうち春になっている。
 
そういう事なのでしょう。
 
おなかの中に落ちたあたたかさが、今ではからだじゅうに広がっています。
 
「明日は春菊も一緒に炊いてみようかなぁ」
 
ほんの少しだけ明日を迎える楽しみができました。
 
この文章の設定はフィクションですが、湯豆腐の美味しさはノンフィクションです。
 
 
 
 
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2020-01-10 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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