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メディアグランプリ

「その言葉をくりかえさないために」《週刊READING LIFE Vol.65 「あなたのために」》


記事:青木文子(天狼院公認ライター)
 
 

「あなたのために」という言葉は巧妙だ。
 
そのことに気がついたのはあの高校時代のある日のことだった。もっと正確にいうなら気がつきかけたのに蓋をしたのだ。あのときもっとちゃんと気がついていれば。
 
「私ね、見えるタイプなの」
 
唐突に妙子から切り出されたのは、タピオカ屋の店先だった。外は暑く、店先の行列に並んでようやく次はアイスタピオカミルクティーを手にする番だった。予感はあった。高校2年生で同じクラスになった妙子。最近急に仲良くなったとはいえ、わざわざ放課後にタピオカ屋に誘うのは何かあるのだろう。
 
「見えるって、テレビとかの心霊捜査とか?」
 
妙子の目を見ないまま、宏美は前の人が手渡しされるタピオカをみるふりをして茶化しながら答えた。
 
「そう、見えるの」
 
妙子の声のトーンは変わらないままだった。
 
「私、気になっているんだよね」
 
そう言われて宏美は自分の心の中がざわざわしはじめていた。宏美はいわゆる優等生タイプだ。勉強もできる。成績は上位。人付き合いもそつなくこなす。今時の高校生らしい華やかさもあって友人も多い。しかしいつも自分を卑下していた。自分にはそんな価値なんてない。
 
宏美にとって妙子は不思議な存在だった。いつも物静かで何かを見通すような目をしている。クラスでひとりでいつも静かに本を読んでいる。そのくせ気が弱いわけでなく、はっきりをものを言う。宏美は妙子について多くは知らなかった。知っていることと言えば、親が離婚していると言うことと、祖母の家に預けられているということ、あと、その祖母が知られている拝み屋であると言うことぐらいだった。
 
それぞれ手にしたタピオカをもって、パラソルの下の椅子に腰を下ろした。しかし妙子は何も切り出そうとしなかった。まるで宏美の問いを待っているようだった。
 
「なにが見えるのよ?」
 
宏美は聞いた。タピオカに目を落としながら妙子は答えた。
 
「いや、大変そうだなって思って」
 
大変? 私のこと?
 
「だれかにね、あなたのためよ、とか言われてないかなって思って」
 
宏美はハッとした。「あなたのために」という言葉。宏美はいつも母親から言われていた「あなたのためなのよ」。塾に通うのも、小さな時からピアノやいくつもの習い事をするのも、いつも「あなたのためなのよ」という言葉とセットだった。母は成績優秀で、四年生大学をでていた。サークルで知り合った父と結婚してからは、ずっと子育てに専念して専業主婦をしていた。
 
「私がみえるのは別に幽霊とかじゃなくて」
 
妙子が長い髪の毛をかき上げた。
 
「私が見えるのはなんていうのかな、エネルギーみたいなものだけなの。誰かに別のだれかのエネルギーが入り込んでいるとそれが見えるのよ」
 
妙子がいうのはこういうことらしい。人を見ていると、寄生植物の根っこのように何かがその人に中にはいりこんでいるのが見える。その根っこは誰かがその人のエネルギーを奪い取っている根っこだというのだ。
 
「よくあるのはさ、誰かが「あなたのためよ」とかいうやつなんだよね」
 
「あれ、一番最悪だよ。だって、その人のためって思い込ませながら、エネルギーを吸い取ってるんだから」
 
いや、なによその厨二病みたいな発想。宏美は心の中で反論した。親はいつも私の将来のことを考えてくれている。だから「あなたのためなのよ」というだけだ。それがなんでいけないの。そう思いながらも、「あなたのためなのよ」の言葉に、心に刺さっている小さな棘がうずくのがわかった。
 
「まあ、お節介だけれど。聞かれたから答えたってことで」
 
タピオカを飲み終わった妙子は、次に用事があるから、と立ち上がった。あっけに取られて見上げている宏美に妙子は、何か言おうとした。しかし納得していない宏美の表情をみると、「またあしたね」と言ってそのまま人混みの中に消えていってしまった。
 
ひとり残された宏美は頭がぐるぐるした。
 
いつかネットで「詐欺師症候群」をいう言葉を見かけた。自分はこれだ、と思った。詐欺師症候群とは、自分がどれだけ頑張っても、どれだけ優秀な成果を上げても「自分なんて褒められる資格なんてない」と感じる状態をいう。ハリーポッターシリーズのエマ・ワトソンが「自分は詐欺師症候群だ」と告白してしられるようになった。今の自分を肯定できない、それどころか自分の実力やできることが、ハリボテで見かけだけと感じてしまう。まさに宏美はそうであった。
 
宏美は我にかえった。
 
36歳の宏美はマンションのベランダで、20年前の高校時代の一場面を思い出していたのだった。街の明かりを見ながら今日の一日を後悔していた。なぜ私は娘にこんなにつらく当たってしまうのだろう。まだほんの小学校2年生でしかないのに。口から出る言葉といえば、娘ができないことをひとつひとつあげつらってしまう。本当は褒めてだきしめてあげたいだけなのに。
 
「あなたのためにいっているのよ」
 
ついイライラして怒鳴りつけてしまう。いや、怒鳴りつけられるならその方がいい。言葉だけは優しく子どもに「あなたのためなのよ」と言うことが好きではなかった。
 
はっと気がついた。その言葉を、たしかに20年前、あのタピオカ屋のパラソルの下で聞いたのだった。
 
「あなたのために」
 
宏美は今まで幾度となく母親から言われたその言葉を思い出した。そしてその言葉を同じように娘に繰り返していることに気がついた。あの言葉を私が話している。誰からも言われたくなかったあの言葉を。
 
そのことに気がついたのと、堰を切ったように涙があふれ出るのが同時だった。嗚咽をかみ殺しながら宏美は泣いた。ベランダにひとりうずくまって泣いた。
 
知らぬ間に口にしていたのは自分の言葉でない、自分の身体に刻まれている母の言葉だった。まるでなれた道具をつかうように、意識もせず口にしていたのだった。あのとき言われたくなかった言葉を、無自覚に話しているのは紛れもなく自分の声であった。
 
「あれ、一番最悪だよ。だって、その人のためって思い込ませながら、エネルギーを吸い取ってるんだから」
 
妙子の声が聞こえてきた。私はいつ自分の言葉を手放してしまったのだろうか。そもそも私自身の言葉などというものを持っていたのだろうか。ひとしきり泣いたあとの虚脱状態で宏美は思った。妙子にはなにが見えていたのだろうか。あの時ちっぽけなプライドなど捨てて、彼女にもっと聞いてみれば良かった。彼女はあのときに何を伝えようとしていたのだろう。
 
不意に気がついた。自分の言葉を手放してしまったのは私だけでない。おそらく私の母もそうなのだ。母もまた、自分の言われてきた言葉を自分で意識せずに言葉にしていたのだ。娘の顔が思い浮かんだ。一生懸命母親のいうことを聞こうとしている顔。ほめられてはにかんでいる顔。怒られて悲しげにうつむく顔。その顔が自分の幼い頃の姿と重なった。
 
私は母と同じことを繰り返そうとしている。宏美の心の奥に激しい衝動が起こった。嫌だ。それは嫌だ。私は繰り返したくない。思わず頭を激しく横に振っていた。私はこの言葉をつかうことを私でとめよう。鎖のようにつながったこの言葉の世代間の繰り返しを私でとめる。どうやったらいいかはわからないけれど。
 
ベランダからはいくつもの街の灯が見えていた。あの灯の下には、幾組の母と子がいるのだろう。その母と子はどんな言葉を交わしているのだろう。宏美は自分に言い聞かせた。選ぶことはできるはず。生きている限り、自分の言葉はきっと自分で選べるのだ、と。

 
 
 
 

◽︎青木文子(あおきあやこ)(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
愛知県生まれ、岐阜県在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学時代は民俗学を専攻。民俗学の学びの中でフィールドワークの基礎を身に付ける。子どもを二人出産してから司法書士試験に挑戦。法学部出身でなく、下の子が0歳の時から4年の受験勉強を経て2008年司法書士試験合格。
人前で話すこと、伝えることが身上。「人が物語を語ること」の可能性を信じている。貫くテーマは「あなたの物語」。
天狼院書店ライティングゼミの受講をきっかけにライターになる。天狼院メディアグランプリ23rd season、28th season及び30th season総合優勝。雑誌『READING LIFE』公認ライター、天狼院公認ライター。

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