メディアグランプリ

誰かを「褒める」なんて冗談じゃないよ


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記事:かのこ(ライティング・ゼミ 日曜コース)
 
 
「姉ちゃん、俺、受かったで」
 
今からおよそ4年前、高校入試の合格発表日。
わたしが「もしもし」の「も」さえ発さないうちに、受話器の向こうで弟が言った。ぶっきらぼうで素っ気ない口調だったけれど、本当はめちゃくちゃ嬉しかったはずだ。学区内でいちばん偏差値の高い公立高校に、死に物狂いで勉強して、合格することができたのだ。
 
「おおーっ、すごいやん! おめでとう!」
 
弟の合格をいちばんに知ったわたしは、大げさなくらい声を張り上げて、受話器の向こうの彼を祝った。家族が高校入試で大成功をおさめたのは、そりゃあもう、とっても喜ばしいことだった。その場で何度もおめでとうを伝えたし、弟が帰ってきたときも、家族で寿司を食べに行ったときも、心から彼を祝福できていたように思う。
 
でも。
 
わたしはその夜、ひっそりと自室で泣いた。
悔しかった。弟が受かった高校は、かつてわたしが学力足らずで諦めた高校だったから。
 
***
 
自分よりも才能のある人間が、大嫌いだった。
 
とは言っても、手が届かないレベルの天才や、ずっと年上の先輩のことは純粋に尊敬している。わたしが嫌いなのは、わたしの身近にいて、わたしよりも才能があって、そしてわたしに歳が近い人たちだった。
 
たとえば、わたしよりも賢いあの子。わたしよりも絵が上手なあの子。わたしよりも文章がうまいあの子。わたしよりも歌がうまい、あの子。わたしが得意としている範囲でわたしよりも目立つ人のことが、ほんとうに嫌いだった。
 
この文章を読んでいるあなたは、「どうせそれって嫉妬でしょ? 羨ましかったんでしょ?」と思うかもしれない。あるいは「自意識過剰かよ」とか、「自己肯定感が低すぎるんじゃないの」とか、「目立ちたがり屋は大変だね」とか。
 
だんだん自分で書いていて悲しくなってきたけれど、これらの意見は半分アタリで、半分ハズレだ。わたしが抱いていた感情は、そんな生ぬるいもんじゃなかった。
 
嫌い、憎い、でもあの子よりわたしのほうが才能がないのは事実だから悔しい。あの子の才能が羨ましくて、欲しい。むしろあの子のことをもっと知りたい。大好き。でもあの子がわたしの身近にいなければわたしは一番でいられたから、わたしの立ち位置を奪ったあの子は、大嫌い。
 
この感情の内には「嫉妬」「憎悪」「自意識過剰」「自己肯定感の低さ」も含まれているのだけれど、厄介なことに「羨望」「愛着」「愛おしさ」が共存しているのである。現に、なぜかわたしは「あの子」たちと友達でいたがった。
 
友達でいたけれど、わたしは絶対に「あの子」たちのことを自分で褒めたりしなかった。褒めることはすなわち、わたしが無能であることを示していたからだ。わたしは「あの子」よりも才能がなかったくせに、「あの子」よりも才能がないと思われたくなかった。
 
ずっと、誰のことも褒めずに生きてきた。
小学、中学、高校、大学と過ごしてきて、弟がついにわたしの学歴を抜いた。
 
気にしなくてもいいじゃん、と言われるだろうか。言われるかもしれない。でもわたしにとっては一大事だったのである。
 
絶対に褒めなければならない相手が、身内にできてしまったのだから。
 
***
 
弟が高校に合格した日は、わたしの人生の分岐点にもなった。
 
絶対に褒めなければならない対象ができたことで、「褒める」ことの意味を一から考え始めたのだ。誰かを褒めることは、わたしが相手よりも無能であると周囲に示すこと。ずっとそう思ってきたけれど、でも、それって本当にそうなんだろうか? ひっそり泣いたあの夜、一晩かけて、わたしは「褒める」の中身を見つめ直した。
 
その日わかったのは、自分の感情に素直でなければ、誰かを褒めることはできないということだった。
 
そして、わたしが嫌いなのは「あの子」たちでも弟でもなく、ネガティブでダメダメで、誰のことも素直に褒められない自分自身なのだということも、ついに認めざるをえなかった。
 
だって、本当はみんなのことを「すごい」と思っているのだ。「すごい」と思っているはずなのに、ネガティブな感情が「すごい」をぐるぐると取り囲んで、「嫌い」に塗り替えていたのである。素直に、純粋なまでに、自分が感じた「すごい」を口にすればいいだけなのに。
 
誰かを褒めることは、自分のネガティブな感情と向き合うこと。
誰かを褒めることは、自分の純粋な感性と向き合って、見つめ直すこと。
 
ネガティブな感情に囚われていた自分を解放できたような、すがすがしい気分だった。
翌日、泣きはらした目で部屋から出てきたわたしを、弟はびっくりしたように見つめていたけれど。
 
—―誰かを褒めることの神髄に辿り着いてはみたものの、わたしは未だに「他人の才能を認めて褒めること」は苦手だ。他人の才能を褒めようとするとき、ネガティブな感情がうにょうにょと顔を出して、わたしの純粋な感情を邪魔しにかかる。
 
でも、「他人の行動を褒めること」は得意になった。
 
努力家の人に「いつもめっちゃ頑張ってるね」とか。
いつも素敵なアイデアをくれる人に「よくそんなアイデアが思い付くね」とか。
 
もしかすると、これらの「いいね!」発言も、その人の才能を褒めているのと何ら変わりないのかもしれない。受け取り手からすれば、才能を褒められていると感じたっておかしくない。……きっと、「あなたの“才能そのもの”はギリギリ褒めていない」と思いたいのはわたしだけなんだろう。誰かをシンプルに褒めるのって、やっぱりちょっと、難しい。
 
でも、誰かを一切褒められなかった頃の自分より、ずっと気楽に生きている。
 
誰かを褒めるなんて冗談じゃないよ、そう息巻いていたあの日のわたしへ。聞こえていますか。誰かを褒めるときのあなたって、実はいちばん純粋で、素直なんだよ。
 
 
 
 
***
 
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2020-01-24 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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