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写真が教えてくれたこと……


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:益田和則(ライティング・ゼミ平日コース)
 
三か月前、次男から、「一月に、結婚式を挙げるから」とLINEのメッセージが入った。
私は、しばらくスマホの文字を見つめてから、一人つぶやいた。
 
「彼の人生だ、好きにすればいい……」
 
私には三人の子供がいる。長男は、数年前に結婚したが結婚式(披露宴)を挙げなかった。
今度が、私にとり、初めて父親として出席する結婚式となる。
なのに、いっこうに胸がときめかない。
それもそのはず。
彼らは、半年前に入籍し、既に、海外までハネムーンに行ってきている。
何をいまさら……と思うのは当然の感情である。
 
当然の感情であるが、当然の感情として割り切れない、何かもどかしさを感じる自分がいる。なんなんだ、これは?
「私は、息子に何かを期待していたのだろうか?」という疑問が湧いてくる。
「親の手を離れた息子に、何を期待するものがあろうか」
と自答して、それ以上自分の気持ちを掘り下げることをやめて、投げやりな言葉を吐く。
 
「ま、彼の人生だ、好きにすればいい……」
 
ということで、私も、自分に走ることにした。
息子の結婚式で、自分が編集したスライドショーをバックに、ギターの弾き語りをやることにした。百人ばかりのオーディアンスの前で歌う機会はめったにない。演奏しているシーンを思い浮かべると心が高鳴る。
 
数年来通っているボイストレーニングの先生と共に練習を重ね、歌に関し、準備に余念はない。
 
さて、次はスライドショーの制作だ。
膨大な数の写真が、押し入れの中に眠っている。亡くなった妻と、子供たち三人との思い出の日々が、たくさんのアルバムの中に詰まっている。
しかし、今まで、アルバムを開くことはなかった。
 
アルバムを開けた途端に、『過去の思い出の中に生きる人間』になってしまうように感じたからだ。
浦島太郎が玉手箱を開けた途端、白い煙に包まれ老人になってしまったように、私もアルバムを開けたと途端、老人になってしまうように感じていた。
思い出の詰まったアルバムは、私にとっての『禁断の玉手箱』であった。
 
私には、「常に前を向いて生きている」という自負がある。
「新しいことに挑戦して生きて行くんだ!」という気概が、私を支えている……。
 
緊張して、押し入れの前に立つ。
「しょうがない、息子のためだ……」
と、念仏のように唱えながら、押し入れを開け、アルバムを引っ張り出す。
「息子のためであり、決して、みずから懐古趣味に浸っているわけではない!」と、頭の中で呪文を唱え続ける。
 
恐る恐るアルバムを、めくる。
玉手箱から出る煙に包まれる……。
まるで魔法にかかったように、過ぎ去った日々が蘇ってくる。
生まれたばかりの息子が、妻とベッドに横たわって、そこにいる。
息子を抱いて、慈しみの表情を浮かべるおじいちゃんおばあちゃんの笑顔が見える。
幼い三兄弟が、私の赴任地である中東の都市でのびやかに育つ日常のスナップ写真。子供たちの笑い声や泣き声が耳元でこだまする。
帰国後、サッカーの試合で活躍する雄姿。体育座りして、監督の説教を聞く姿。
高校生になり、バンドを組んで学園祭で演奏する姿。息子の弾くエレキギターの音が体育館に鳴り響く。
妹の大学の卒業式に出席するやさしいお兄ちゃん。はかま姿の妹の横で微笑んでいる。
亡くなる直前の妻と息子のツーショット。ベッドに横たわり穏やかに微笑む妻、その横にうつろな目で佇む息子……。
 
私は、無意識のうちに、一枚の写真を手に取った。
若き日の妻と幼き子供たちが、写真の中から、私をまっすぐ見つめ、微笑んでくる。
今まで、私が、私らしく生きてこられたのは、彼らの、私を見る視線があったからだと感じる。
 
その写真をしばらく眺めていると、そのうち、カメラの小さい窓から夢中で彼らを見ている、当時の自分の姿が浮かんできた。写真の中に写っていなくとも、写真を撮っている私の姿や、その時の気持ちが、生々しく浮かび上がってくる。
 
当時の私は、被写体である彼らのことは見えていたが、写真を撮っている自分自身の姿は、よく見えていなかったのかもしれない。夢中で写真を撮っている自分の気持ちを、客観的に認識したことがなかったかもしれない。
この手の中にある幸せが、この瞬間の幸せが、かけがえのない幸せであると、改めて考えてみたことはなかったかもしれない。
 
それが、今見てみると、当時の自分の姿や心情が手に取るように見えてくる。家族に、たくさんのエネルギーをもらって輝いている自分の姿がはっきりと見える。
 
人というのは、過ぎ去ったことは、自分のことでも客観的に見られるみたいだ。
しかしながら、『今、この瞬間』の自分というものは、よく見えないらしい。
 
『立派に成長して、きれいな花嫁さんをもらう息子』
それを心から喜ぶ私がそこにいるのに、見えないらしい。
三か月も前から歌の練習をして、たくさんのアルバムを引っ張り出して、一枚一枚懐かしく眺めながら息子のベストショットを選び、しこしこスライドショーを作っている自分の姿が見えないらしい。
なんで、そんなことを夢中でやっているのか、自分の気持ちが、わからないらしい……。
 
人というのは、自分の気持ちがよくわからなくとも、体が勝手に動くようだ。無意識のうちに、自分の中にある何かに、突き動かされるみたいだ。
 
私は、写真を見ながら思った……。
スライドショーは、アルバムの中から、心惹かれた写真を抜き出して作った。
しかし、私には、こうも思えるのだ。
これは『私の心象風景』そのものだ。
大切な人たちと過ごした日々。その折々の視覚的なイメージが、心のスクリーンに記憶されている。心の中のメモリーから取り出して、プリントアウトしたように思えるのだ。
 
スライドショーの映像は、『今ここにいる私の心そのもの』だと思える。
今の私の心は、彼らとの生活の中から形作られてきたのだ、と思い知らされる。
 
『過去の自分がいて、今の自分が在る』
 
妻が亡くなり、子供たちが旅立っていく。
これを機に、生まれ変わり、全く新しい人生を歩もうと意気込んでいた。
『前を向くことだけを考え、振り返ることを恐れていた』
しかし、それは、『気概』ではなくて、『気負い』に過ぎないのではないか?
 
たいせつなことは、滔々と自分の中から湧き出てくる自分が自分らしくあるための何か、それを再確認し、発展させていくことが、これからの人生ではないかと思うのだ。
 
新しい年に、また新しい家族が増える。愛する人が増える……。
 
 
 
 
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2020-01-30 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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