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メディアグランプリ

うどん屋の息子の誇り


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:杉本 知隆(ライティング・ゼミ特講)
 
 
「お店閉めることにしたわ」
 
父親からの電話は、いつもの「元気にしてるか?」コールではありませんでした。実家で親が経営しているうどん屋が、40年の歴史に幕を下ろす。それまで店を閉めるなんていう「匂わせ」は全くなかったので、心の底から驚きました。
その当時は、両親とも大きな病気もなく元気そうだったし、食べていけるくらいの稼ぎはあるだろうと思っていたので、急に何があったんだろう、と心配になったのを覚えています。
 
「いつまで仕事続けられるかわからないから。元気なうちにやめた方が色々と後始末もあるしな」
 
当時はそんなものか、と聞き流していましたが、お店をやめてから1年後にがんを患ったことを考えると、振り返ればこの頃から、心身の面で思うところがあったのだろうな、と想像できました。言われてみれば、もう父親も70歳を過ぎていましたから、両親からしたら急な話でもなかったのでしょう。
 
親の心情や体調の変化に気付けていなかったことに、実家を出てからの15年の月日を感じました。突然の知らせに驚きはしたものの、いまいち実感がわかなかったのも、自分自身が家庭を持ったことで、どこかで実家との距離を感じていたんだと思います。
 
私は、仕事人としての父は評価していませんでした。
実家のうどん店は、香川県ではありませんが、讃岐うどんのセルフ式のお店。セルフうどんといえば、全国でフランチャイズ展開されたお店も多いですが、うちは片田舎の家族経営のお店です。確かに、讃岐うどんブームが来る前から、セルフ形式で開店していたのは、先見の明があったのかとも思います。
でも、私の目からは、父の仕事は気楽に見えました。
いつも学校から帰ってくると店はガラガラ。昼過ぎから夕方にかけては、一番暇な時間帯ではあるのですが、父はお店で新聞をひろげたり、長い間お客さんと話し込んだり、庭でゴルフの素振りをしたり。さらには田舎の個人営業なのを良いことに、営業時間内なのにもかかわらず、お店を閉めて出て行ったりもしていました。休日だって、昼間はそこそこお客さんが入っているようですが、家が店舗の隣なので、混雑が終わるとすぐに家に戻ってきて、瓶ビールの蓋を開ける始末でした。
 
反対に、母親はいつも仕事をしていました。フルで仕事に入りながら、家族みんなの炊事、洗濯をこなす。店が終わってからも、すぐに晩ご飯の支度をして食べさせてくれる。晩ご飯が終わると、お店のレジの勘定が始まる。その頃、父親は、サザエさんのカツオよろしく、ただいまからの、いってきます、で居酒屋とか外に遊びに出かけたりしていました。そんなことだから、父と母の喧嘩は昔から絶えなかったです。
 
でも、これはあくまで仕事人としての父の話。父親としての父には感謝していました。自営業の強みで、昼間に融通が効くから学校の行事にはよく来てくれたし、高校の時も電車に遅れそうなのを何度車で送っていってもらったことか。仕事終わりに出掛けるのも、私のわがままのこともありました。だから、人並みに反抗期はあったと思いますが、父のことを嫌いというわけでもありませんでした。
 
でも、尊敬していたかというと違う気がしていました。
閉店のその日までは……。
 
閉店の日が近づくと、地元の友人からの連絡がポツリポツリと入るようになりました。
普段連絡を取らない友人からの便りは素直に嬉しかったのを覚えています。
 
「うどん店やめるんだって、残念」
「どこでお昼を食べれば良いんだよ」
「やめると聞いて久しぶりに行ってきたよ」
 
お店が閉店すると聞くと、お店のシャッターが閉まっていて、貼り紙が一枚、手書きで閉店のお知らせが書かれているのをイメージします。
「まことに勝手ながら閉店させていただくことになりました。長年のご愛顧ありがとうございました」
なにかこう、閉店というのは、人知れずお店が閉まる寂しいものを想像します。
 
でも、今回は友人からのメールも届き、親からも「M君が毎日のように来てくれているぞ」と連絡があり、閉店の日が近づくに連れて盛り上がりに近いものを感じていました。
 
たくさんの人から連絡をもらって、自分のアイデンティティが「うどん屋の息子」であったことを思い出しました。
はじめは行くつもりはなかったのだけど、お店の最終日、足を運ぼうか、「うどん屋の息子」として、何が起きているのか、確かめに行きたい。そんな衝動に駆られるようになったのです。
 
そして、うどん屋の最終日。
午後からお店に着くと、そこには長蛇の列。店の中では収まりきらず、うどんの注文を待つ列が店の外までつながっていたのです。
見慣れたような、初めて見るような光景。もしかしたら一番流行っていた時はこれくらい並んでいたのかもしれない。いずれにせよ、久しぶりに訪れた店は活気に満ち溢れていました。
 
そして何よりは、お客さんたちの声。
「なんでやめてしまうの?」
来る人来る人が口々に言います。
 
この行列は、うどんチェーンのお昼時のそれとは違う。
行列ではなくまるで参列。お葬式・お通夜のような参列に近いものを感じました。
お店の閉店を偲び、駆けつけてくれた人たち。もちろん、葬式と違うのは、店内が活気に満ち溢れていることでした。
 
父は、お客さんにかけられた声に対して、一人一人感謝の気持ちを伝えていました。
 
父の働きぶりは今でも評価できるものでもない、でもこの40年のお店の歴史を築きあげたのは父親である。今のこの参列は、どこかのうどんチェーンが閉店しても絶対にみられない光景、40年間うどん屋を通じて、地元の人との関係をつなげてきた人にしかみられない景色なんだと思いました。
「うどん屋の息子」が確かめたかった景色がそこにあったのです。
 
うどん屋が閉店して良かった。いや、閉店してくれて良かった。
閉店して初めて、父の仕事を心から尊敬することが出来たのだから。
 
 
 
 
***
 
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2020-02-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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