メディアグランプリ

転んだからこそ見える景色


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:高橋将史(ライティング・ゼミ平日コース)
 
「普通」という言葉があまり好きではない。
それはおそらく、自分が何かしらの能力において「普通」の基準に達していない(と思っていた)ために、周囲から浮いていると感じた経験を多くしてきたからだと考えている。
 
ぼくは子供のころ、大きな音が苦手だった。特に運動会のピストルの号砲の音が耐え切れず、徒競走の順番を待っている間中、ずっとうつむいて耳を塞いでいた。自分が走るときには、手で両耳を押さえながら走った。
その姿を見た両親は、みっともないとぼくを叱りつけ、「普通耳を塞ぎながら走るやつはいない、鉄砲の音にビビるな」と強く言いつけてきた。子供心ながらにぼくは、「どうして他の子は怖くないのだろう?」「どうして自分だけ怖いのだろう?」と疑問に感じていた。
高校時代に部活の友人から「お前コミュ障だよな」と突然宣告された時には愕然とした。嘘だ、そんなはずはない、と思った。
しかし、授業の合間の休み時間に注意して周りを見回してみると、他のクラスメイト達は仲睦ましげに談笑している一方で、自分一人がぽつんと取り残されていることに気づきショックを受けた。「ああ、俺は人とまともに話すこともできなかったのか」と。
大学に入ってからも、サークルの人間関係をうまく構築できなかったり、なかなか恋愛を成就させることができなかったりなど、キャンパスにいるほかの学生たちや、中学・高校の友人たちが当たり前のようにこなしている(と、当時は思っていた)ことを自分だけがなぜかできていないと思い、自己嫌悪にとらわれていた。
それらを達成できない自分は普通じゃない、劣っているんだと思っていた。
 
10代のころの自分を振り返ってみると、常に他人と比較して劣っているところを見つけては、その欠落を埋めるために努力をし続けてきた。
「皆ができているのに自分だけできなかったら、俺はダメなやつになってしまう。だから頑張らねば」と、半ば強迫観念めいた思考回路のもと、劣等感をエンジンにしてもがいていた。
その結果かはわからないが、今では大きな音に怯えることはほとんどなくなったし、コミュニケーション能力もかなり改善された。
しかし、一つ欠落を埋めたと思っても、また別の欠落が新たに見つかってしまう。
一つ壁を乗り越えて一段成長したと思っても、また別の壁の前に打ちのめされてしまう。
しかも他の人はその壁を何ともないように楽々と乗り越えていく。自分では精いっぱいやっていても周囲との差は開くばかりで、気が付けば一人だけぽつんと取り残され、目の前にそびえたつ壁のあまりの高さに絶望する。
「こいつをどうやって乗り越えればいいのだ、どうして他の連中は楽に飛び越えていけるのだ」
 
ここのところ、大学生を中心とした互助サークルのようなところへ通っている。そのため、同年代の人と1対1で話す機会がたくさんあるのだが、話の流れから深い話やまじめな相談ごとになることが多く、自分が他の人の悩み事を聞くような機会が増えた。
相手が困っていることを聞き、ぼくの方から何がしか思ったことをアドバイスとして伝えるわけだが、どういうわけか自分の助言に対して、相手が強く納得してくれることが多かった。どうしてなのだろうか。
訊いてみると、そこまで問題を深く考えたことがなかった、と皆口をそろえて言う。不思議に思い、会話をしたうちの一人になぜ深く考えることをしなかったのかと続けて訊いた。
すると、彼女は「それは当たり前のことだと思っていたから、わざわざ掘り下げて考えるという発想がなかった」と答えたのである。
 
他の人が「普通」「当たり前」と思っていることを、なぜ自分は掘り下げて考えたのだろう。
そうか。ぼくはほかの人が「普通」だと思っているところでたくさんつまづいた。だから、どうしてうまくいかなかったのか、どうすれば乗り越えられるのか、一つ一つ考える癖がついていたのだ。
ほかの人が壁とも思っていないところで打ちのめされ、試行錯誤して乗り越えることを繰り返すうちに、失敗と考察のデータベースが、大量に自分の頭の中にインプットされていたのだ。
ずっと「自分は人と比べて劣っている」と思っていた。友達がみんな難なくこなせることに苦戦しているのは、自分がダメな奴だからだと思っていた。それが今、他の誰かの悩みを解決に向かわせるための武器として、役に立っている。
ずっとゴミだと思っていたものが、黄金に変わった瞬間だった。
劣っていることは価値になるのだ。
 
そして、人より不器用であるがゆえに得られる視点と、文章というメディアはおそらく相性がいい。
天狼院のライティング・ゼミに通い文章を書く習慣がついてから、自分のコンプレックスや弱さはコンテンツに昇華できるのだということを、改めて実感できた。
 
ぼくはこれからも、人生の各所で現れる壁の前に、何度も打ちのめされるだろう。
同年代やそれより下の人たちが軽々とその壁を乗り越えている様子を見て、忸怩たる思いを強いられるかもしれない。
けれど、そこで転んだからこそみられる景色を語ることは、ぼくにしかできないはずだ。
それを伝えることが、おそらくぼくの役目なのだ。
 
 
 
 
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2020-02-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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