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メディアグランプリ

わが家の壁が崩壊したリモートワーク記念日


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:高橋実帆子(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
ガシャーンと派手な音を立てて、その壁はゆっくりと、私がいる台所の方へ倒れてきた。
 
「ぎゃー!」と私は悲鳴を上げて持っていた人参を放り出し、壁の上に倒れ込んで放心状態になっている1歳の息子に駆け寄って抱き上げた。
 
「だいじょうぶ? どこか痛くない?」
 
ぽかんと空いていた息子のくちびるがぎゅっとへの字に結ばれ、顔が赤くなり、目の中にみるみる涙がたまっていく。次の瞬間、鼓膜が破れそうな大音量で、息子はわんわん泣き出した。
 
――泣く元気があれば、とりあえずだいじょうぶか。
 
少しほっとして、泣き叫ぶ息子を抱いたまま台所の床にへたり込む。倒れてきたのは、何でも触って確かめたいやんちゃな息子を危険から守るため、台所の入り口に取り付けていたベビー用の壁、プラスチック製の安全柵だった。
 
包丁にガスコンロ、オーブンレンジ。
お母さんが遊んでいるその素敵なおもちゃで僕も遊びたいよ、と言わんばかりに、長男は全身の力を込め、毎日安全柵を叩いたり押したりして何とか突破しようとしていた。その努力の積み重ねが、じわじわと安全柵のネジを壊し、ついに高橋家の壁崩壊を招いたというわけだ。
 
――この壁がなかったら、安全に料理ができない。子どもから目を離せないから、トイレにも行けない。これから一体どうやって、育児と家事をしていったらいいの?
 
西日が差し込む台所で泣き止まない子どもを抱きながら、私は絶望していた。今考えると、当時の私は、精神的にかなり追い詰められていたと思う。
 
転勤族の夫と一緒に、1~2年おきに全国を転々とする生活。子どもが生まれるまでは、旅気分でそれなりに楽しく過ごしていたが、出産後、気ままな暮らしは一変した。知り合いのいない町で、朝から晩まで、言葉の喋れない子どもと向き合う日々。イライラして子どもを怒鳴ってしまいそうなときは、安全柵の内側で深呼吸して、心を落ち着けるのが常だった。息子の安全だけでなく、私の心の均衡を保っていた大切な「壁」がなくなってしまった――
 
気づいたら、涙がほほを伝っていた。何が悲しいのか、自分でもよく分からない。でも、あとからあとから涙が流れて、止められない。壁が倒れたことで、私の涙を止めていた水門も、決壊してしまったみたいだった。息子と2人、台所で抱き合って泣きながら、「このままではいけない」と私は思った。このまま2人で小さな世界に閉じこもっていたら、私がだめになる。何かを変えなくちゃ。
 
週に1日、数時間。
息子を一時保育に預け、自宅でできる仕事を始めることにした。わずかな時間だけれど、社会とつながる窓ができたようで、心の風通しがよくなった。週に2日、3日と徐々に仕事をする日を増やし、少しずつ、余裕を持って子どもと接することができるようになった。
 
ありがたかったのは、在宅勤務、リモートワークで仕事を発注してくれる会社の存在だ。引っ越しが多く、子どもを預けられる時間も短いので、オフィスに常駐する働き方は最初からあきらめていた。それでも、いくつかの会社が電話やメールでのやりとりで仕事を任せてくれた。
 
いつも仕事を依頼してくれる会社の人とも、なかなか直接会って話すことができないので、メールにはできるだけ、「業務以外のこと」を1行入れるようにしていた。
 
たとえば、「今日は寒いですね」とか、「こちらでは雪が降りました」とか。
ほんの小さなことなのだけれど、「最近はこたつで本を読んでいます」「どんな本が好きなんですか?」などとメールの追伸でちょっとした会話が生まれることもあり、心があたたまった。
 
長男が壁を壊したおかげで、思いがけず自宅を拠点にリモートワークで働くようになり、気づいたら7年。今ではほぼフルタイムで、複数の会社と一緒に仕事をさせてもらうようになった。
 
この7年で、リモートワークのための便利なツールが次々に登場した。オンライン会議ソフトに、チャットツール。勤怠管理や業務管理のシステム。朝、自宅でPCを立ち上げて、チャットツールで「おはようございます」と挨拶をしたら、オフィスで直接会話をするように、気軽に質問をしたり、話しかけたりしながら仕事を進められる。打ち合わせも、PCの画面上で「会議室に入る」というボタンを押すと、参加している皆さんの顔が表示されて、カメラとマイクを使い、相手の顔を見ながら会話ができる。
 
通勤する必要がないので、その分の時間を、業務や子どもとの時間に充てられる。風邪やインフルエンザの季節にも、人ごみを避けられる。オンラインミーティングがある日は上半身だけお洒落をするけれど、下半身は部屋着のジャージでも相手に見えない(!)ので、服飾費が抑えられる。リモートワークっていいことづくめ……と言いたいところだが、あるとき、ふと気づいてしまった。
 
「私、ちょっと寂しいかも……」と。
 
オフィスに集まっていれば、同僚とちょっとした雑談をしたり、何となく一緒にランチを食べたり、自然と仕事以外の会話やつながりが生まれる。チャットで会話できるとはいえ、リモートワークは基本的にひとり。ときどき、「誰かとどうでもいい話がしたいなあ」と思ったりする。
 
相手の顔が見えないと、言葉のニュアンスもつかみにくい。たとえば「はい。分かりました」という表現でも、元気な明るいトーンなのか、イライラしているのか、字面だけではなかなか読み取れない。急に相手の返信が途切れると「もしかして、怒ってる……?」などと余計な想像をしてしまうこともある。
 
リモートワークでムダな時間を減らし、効率化を進めることで、業務は円滑に進むようになるし、働く場所や時間に制約があるたくさんの人たちが活躍できる。でも、メンバー同士の信頼関係を育てるためには、もしかすると、少しの「ムダ」のエッセンスを残しておく必要があるのかもしれない。
 
リモートワークがうまくいっている会社の皆さんを見ていると、ふだんは別々の場所で仕事をしていても、たとえば数ヶ月に1度は全員が一堂に会してじっくり話をする機会をつくったり、それぞれの自宅でお酒を用意してオンライン会議室に集まる「リモート飲み会」を開催したりと、ムダを生み出すための工夫を取り入れているようだ。
 
ツールに頼りすぎず、込み入った話になりそうときは電話や対面での打ち合わせを提案したり、ひとりでモヤモヤする前に、思い切って状況を確認したりするのも、遠隔コミュニケーションでは大切なことかもしれない。
 
ムダを省いたり、やっぱりムダを愛したり、人間ってつくづく面倒で、そして面白い。ドラえもんの「どこでもドア」みたいに簡単にはいかないけれど、リモートワークがいつか、みんなの働く場所や時間の壁を勢いよく打ち破る日がくると信じて、今日も私は、業務用チャットの「雑談チャンネル」にムダな文字を打ち込んでいる。
 
『おはようございます。私事ですが、今日は7回目のリモートワーク記念日です。実は7年前の今日、長男が台所の壁を破壊しまして……』
 
 
 
 
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この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。 「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。
 

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2020-02-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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