メディアグランプリ

雪寄せという無駄な時間で背を正す


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記事:yokon(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「今朝は、どっちゃり積もっだなぁ」
今年は暖冬だったので、久々の雪寄せである。雪かきではない、雪寄せ、または雪投げ。雪の降らない地域から秋田に嫁いだ私には、最初なじみのなかった言葉だ。ただの方言の違いかと思っていたけれど、雪かきよりも雪寄せのほうが、感覚的に雪の量が多い気がする。
 
秋田に来るまでは、雪と言えばうっすら積もっただけで、ちょっと嬉しかったものだった。非日常のワクワク感。不便はあるけど、全部雪のせいにできた。大きな雪だるまを作るのが夢だった。
「車にチェーンつけなきゃ箱根は無理だよ」
「東海道線運転見合わせだって」
「よっしゃ、学校やすみ!!!」
 
そんな子ども時代を過ごしたので、雪国の暮らしは未知の世界だった。いまなら、いくらでも雪だるまが作れるのだが、たくさんありすぎると有難みもなくなるようだ。田舎の広い敷地の家に住んでいるとうらやましがられることがあるが、雪に関しては、ただ雪寄せの時間が増えるだけ、除雪は無駄な時間、そんな風に考えていた。
 
まったくもって、雪を知らない怠け者の考えである。雪寄せとは、人となりを表すものだ。仕事にも活きる人生の修行と言ってもいい。隣に住む義祖父、義祖母をみているとそう思う。雪が積もったら、まめに、美しく、手早く、そして合理的に。
 
ただ、寄せるだけでしょ? と思うかもしれないが、全然違うのだ。
 
夜中降り積もった雪は、次の日の朝のうちに始末する。そして午後また積もれば日暮れ前にその日積もった雪を片付ける。一度にやればいいのでは? と思っていたのだが、鉄は熱いうちに打て、ならぬ、雪は柔いうちに寄せろということらしい。そうか、放っておくと固まって凍ってしまうのか。なんでも手遅れになる前に少しずつコツコツと。
 
仕事のメール、家の中の掃除、おんなじだなぁ。塵も積もれば山となる。こまめに片付けるのが大事だって昔からずっと言われてきているはずなのに、そんな当たり前のことがなかなかできなかったりする。そうか、家の前の雪を放置しておくことは、散らかった家の中を見せるような恥ずかしさなのかもしれない。めんどくさいなぁ、そんな自分の怠惰な気持ちがバレバレだってことなのか。誰かが動き出してから、自分も外に出よう。先頭きって出ていかないあたり、私の性格が雪寄せにも表れてしまう。やる気になればできるさ、そういってやらない言い訳上手。
 
それでも、私が外に出ても出ていかなくても、我が家の前の雪は義実家前と同じようにきれいになっている。ちゃんとやれよ、と注意すらされない。集落の人みんなが使う県道にでるT字路も、左にハンドルを切った際にタイヤが雪に埋もれないように、いつの間にか寄せてくれている。今年88歳になるが無理しているようには見えない。余裕が出たら、手伝う。自分の範囲プラスαで生きている。義祖父母の生き方はそんな感じだ。
 
そういうシワだらけで深くて大きくて広いものが包み込んでくれている。それに比べたら、なんと弱くて意地っ張りで頭でっかちで欲張りでちっぽけなんだろう。若いってそういうことなんだろうか。歳を重ねたら自分の懐も少しは余裕のある広さになるだろうか。
 
そんな「ペーペー」には、雪も言うことを聞かない。雪がダンプに乗らないのだ。欲張ってたくさん積もっているところに突っ込めば、寄って山となった雪がダンプに乗らずに脇へ転がってしまう。スコップで雪を持ち上げてトラクターの荷台に積もうにも、たくさん乗せようとすればするほど、意に反して落ちていく。雪は私の浅はかさを見抜いている。ダンプも、大きいほうがたくさん雪を運べていいだろうと思えば、重たくて使いこなせない。雪寄せに限って言えば、大は小を兼ねない。適正な大きさがあるらしい。
 
「あと放っておけ~」
義祖父と除雪しているときのこと。私は家の壁の隅に溜まった雪を必死に搔き出していた。それよりも、全体を見て他に手を付けるべき場所があったはずだった。一ヵ所に時間をかけてもいけないし、完璧主義でも、いけない。寄せたと思えば、また降り積もるのだから。この忍耐力はどこから来るのだろう。この土地を守ってきた意地か? 雪国のDNAか?
 
きっと毎年毎年、雪を寄せ続ける家族の背中なんだろうな。
 
義実家の隣に引っ越してきて三度目の冬。なぜか、雪寄せが苦じゃなくなってきた。ただの時間の無駄だと思っていたものに美学を見出した。冷たい風で頬が赤くなり雪の重みが腕に来る感じ、悪くない。部活でしごかれているような、お稽古事のピンと張りつめた空気のような熱くて静かな衝動。白い雪に触れていると、自分の心が洗われる。
 
無駄なことなんて、ない。
 
「どんなに吹雪の日も、必ず一日に一度は晴れ間が出るもんだ。そういうときに出はるもんだ。昔からそういうんだ」
義祖母はいう。どうやら本当のことらしい。
どんなに吹雪いていても、お日様が全く出ない日はない。
その陽が差してきらめく雪面の美しいこと。
雪国に住む者の特権だなぁ、と思う。
 
 
 
 
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2020-02-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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