メディアグランプリ

ますますハマっていく…… 憧れのカレを手に入れてはまったもの


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記事:関戸りえ(ライティング・ゼミ平日コース)
 
2018年6月。
早朝、大宮駅から長野新幹線「あさま」に乗り、長野駅で下車をした。
駅前ロータリーからバスで戸隠方面へ向かった。
1泊2日の旅は、海外に住む私が日本へ帰国した際に、一人暮らしをする母と旅行に出かける恒例行事である。しかし今回は、別の企みがあって、戸隠の地を旅行先に決めたのだ。それは、偶然ニュース番組である情報を見かけたのがきっかけだった。
 
戸隠といえば、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる
戸隠神社が有名な観光スポットである。
270段ほどの階段を登って宝光社を拝し、奥社の壮大で鬱蒼とした杉並木の参道を抜けて参拝した。
ここからは、いよいよ私にとってのこの旅のメインイベント。
ニュースで見て一瞬で恋に落ちてしまった「あの彼」に、アポなしで会いにいくのだ。心がドキドキと高鳴る。
それはまるで、携帯電話のない時代に、好きな人を最寄りの駅で待ち伏せし、彼のことをひと目見ただけで舞い上がってしまうような、ドキドキしたスリル感を味わう中学生のようだった。
 
奥社から、バスで長野駅方面へ向かう途中にある「中社」で下車。
そこから歩いて5分ほどで「あの彼」のいる場所へ到着した。
さあ、彼に会うことはできるのか。
 
「井上竹細工店」の看板を見つけた。
事前の情報で、「来店してもらっても、そこにいないこともある」と聞いていたので、まずお店が開いているかどうかを確認するのは緊張した。
受験の合格発表の結果を待つときの感じに似ていた。
 
恐るおそる店に近づき、そっと様子をうかがった。
「やったあ!お店開いてるよ!」
事情を知らない母は、不思議そうな顔をしながら、私の後からついてきた。
ドアを開け、店内に入りあたりを見回す。そばざるや花びん、盆ざるなど竹細工がたくさん並んでいた。入り口脇には作業場があり、様々な太さ、長さ、色の異なる竹や道具が並んでいた。
 
私の求めていた「彼」について店主に尋ねてみた。
「コーヒードリッパー、ありますか?」
「運がいいねえ。昨日作ったのが2個あるよ」
「よかったー。テレビで偶然コーヒードリッパーのこと見かけて、どうしてもそれで淹れたコーヒーを飲んでみたいと思って、わざわざ海外から来たんです」
「これね、編み目が細かいし、この形に仕上げるのに手間がかかるから、数が作れないんだよ。竹もそのように細く割かないといけないんだよ。テレビが放映されてから、問い合わせが多いんだけど、受注生産できないし、発送もしないんだよね。今では、店に直接足を運んでくれて、運がよければ手にできるレアものなんだよ」
直接足を運んでも、お店が空いていないこともあれば、ましてや目当ての竹のコーヒードリッパーを手に入れるのは、本当にラッキーなことらしい。
 
お店にあるものは全て店主の手作り。材料となる根曲がり竹が生息する山の手入れや竹の切り出しも店主自らされるそうだ。だから、日によってお店を閉めていることがあるのだということに納得した。
 
そんな店主こだわりの竹コーヒードリッパー。無事手に入れることができた。憧れの彼を手に入れて、これからどんなハッピーな日々がやってくるのか、ワクワクしながら帰宅した。
 
作り手の顔が見えるコーヒードリッパー。私はすっかり魅了させられてしまった。これを使いたいという欲求だけで、すっかりコーヒー好きになってしまったのだ。
元々コーヒー好きだったが、毎朝の習慣としての一杯、一息つくときにコーヒーを飲む程度だった。
以前は、豆と水をセットすれば勝手にコーヒーを淹れてくれるコーヒーメーカーで、カップ3杯分ほどをまとめてポットに作り、保温をしたままにする不精者だった。
そんな私が、このコーヒードリッパーを手に入れてから、まず豆を挽くコーヒーミルを電動から手動のものに変えた。電動のものは摩擦熱で豆が酸化して味が落ちるからだ。
コーヒー豆の保存方法もプロに聞いてみた。酸化を防ぐために密閉容器に小分けにして冷凍庫に保存するのがいいらしい。
次第に豆の産地をいろいろ試すようになり、1年半以上たった今は、近くにいくつもある、自家焙煎をするお店でコーヒーを飲んだり、そこから豆を取り寄せるようになった。
一目惚れした彼のおかげで、コーヒーの奥深いところにハマってしまった。
 
細かい編目をお湯が通り抜けて、ゆっくり黒い液体がポットに落ちていく様子を毎朝眺めながら、湯気と共に立ち上がる香りに癒しを感じている。
渋みや雑味が少なく、竹のほんのりとした香りが私の好みだ。
 
好きな道具を使いたいという欲求だけで、母を巻き込んだ旅行の計画をし、すっかりコーヒー道にはまっている。
 
「コーヒー好き?」と聞かれて簡単に「Yes!」とは答えない。なぜなら私のコーヒー好きは、作り手の見える竹のコーヒードリッパーあってのコーヒーなのだから。
今度は、コーヒーカップを自分で土から作ることに挑戦しようと思っている。
運良く私のもとに来てくれた「彼」を手放すことは一生ないだろう。使えば使うほど飴色に変化する過程を見続けながら、コーヒー道をますます極めていくのが楽しみだ。
 
 
 
 
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2020-02-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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