メディアグランプリ

仕事をやめて社会から分断してみたら自分を見失った話


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:中村デス(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
午前11時。太平洋側の冬晴れの空がベランダの向こうに広がっている。私は洗濯物を干し終えて、ローソファとこたつの隙間にゴロンと滑り込んだ。
すぐにスマホに手をのばし、スマホアプリでネットニュースを流し読み、そして、「今日は何をするかなぁ……」とぼんやりと思う。
 
iphoneにはスクリーンタイムという、アプリやウェブサイトをどの程度利用したかを知るための機能がある。
どうやら私は平均1日5時間スマホを触っているらしい。
これが私の日常だ。
 
私は一年半前に結婚して、日本海側の片田舎から横浜に引っ越してきた。夫と二人暮らしで現在は家事のみを仕事としている。つまり、専業主婦である。
家事が仕事と言ったけれど、ご飯作りは夕飯のみ、掃除機は二日に一度、水回りの掃除と洗濯だけは毎日やっている、世間の主婦の方と比べると、最低限のことしかやっていないと思う。
 
「仕事すると大変じゃない? やらなくていいよ」という夫の言葉に甘んじているのもあるが、私は明確な意志を持ってこの生活を始めたはずだった、一年半前までは。
 
結婚するまでは、バリバリに働いていた。毎月残業80時間超え、休日出勤が当たり前という会社に勤めていた。業務過多は間違いなかったけど、仕事をしていないと不安で自ら進んでそうしていた部分もあったと思う。
なぜ不安なのか理由は明白だった。
 
「この仕事は自分にとって天職なんだろうか?」
 
印刷物のデザイナーになって10年以上が過ぎようとしていた、転職回数は5回を超えていた。仕事をしていると、ぐるぐると不安が渦巻く。自分にはセンスがない、努力もできない……会社の仕事は人の二倍、三倍、時間をかけてやっと完成させていたように思えた。長年仕事をしていると、プライベートでデザインを頼まれることも増えてきた。ただ、自分が全くやりたいと思わなかったのだ。デザインをしたくないというよりは、自分のデザインに自信がないからやりたくなかった。効果があるものを提供できているのかプレッシャーに押し潰されそうで辛かった。
やりたくないということは好きじゃないんじゃないだろうか? 18歳の時にデザイン専門学校に入った流れでずっとこの仕事を続けてきたけど、他にも自分が得意なことはあるんじゃないのか?
 
そう悶々と考え日々を過ごしていた。
 
転職のたびに他の業種を考えてはみたけれど、何をやっていいかわからないし、迷っているうちに貯金は目減りしていき、結局印刷物のデザイナーを続けることを繰り返していた。
 
そんな私にやっと、立ち止まれる機会がきた。結婚という社会制度で主婦という肩書がついた。生活のために働かなくても、とりあえず寝床とご飯はある。
幸せだと思った。
 
長年の悩み、長時間労働からか、もはや自分は何が好きで何が苦手なのかもわからなくなっていた。だから働きにも行かず、なるべく人間関係を遮断して自分の感性を研ぎ澄ませよう! 自分のやりたいことを見つけよう! と決断した。
 
地元から遠く離れたこの場所は誰も知り合いがいなかった。ちょうどいい。日常的に話すのは夫のみ。あとはカフェの店員さんなど挨拶程度だ。3ヵ月ごとに実家に帰省した際に友人に会うことはあったが毎回ではなかった。
そんな他人とコミュニケーションをとらない、社会と分断された生活を送っていたが、一行に自分のやりたいことなど見えてこなかった。自己分析をするような本を読んでは、ノートに書き出してみるが、何も出てこないのだ。
日々の生活はストレスフリーで、何かを考察することも少なくなった。むしろ、働いていたり、何かしら人間関係があった方が、「あぁこれは苦手だな」とか「こーゆうの幸せ」など感じることが多かった。
 
「何も出てこないと、学校に行くとか転職するとかも決められないじゃないか……」
 
人間の脳は本来、失敗を恐れ、いつもと違う行動をしないようにプログラムされているという。
 
私はやらない理由を探していたのだろうか。
 
そして、だんだんと社会の役にたっていないという自責の念に駆られ始める。唯一、夫のために存在しているのかもしれないけど、夫が私に与えてくれる価値に比べて、自分のやっている価値が低すぎると思う。食べて排泄する機械じゃないかとすらよぎる。それが通り過ぎると、もう何も考えない、ただただスマホでニュースアプリを見るだけの受動的な存在となっていた。
 
それは、健康的とは言い難く、顕著に心と体に歪みが現れ始めた。
 
・寝ている時間が多いため、床ずれになった
・体重5kg増(ダイエットジムやヨガに通っていたのに)
・味覚が鈍くなる(味が遠くに感じる)
・夜眠れない
・自分で判断できなくなる(出かけたのに、どこの店にも入ることができず帰宅する等)
・本や長い文章が読めなくなる
・何事にも興味を失う
・外に出るのが億劫になる
・自分の意見を言う時、頭が真っ白になる
 
ざっと思いついただけで、こんな風になった。
自分の考えがなくなるのだ。
自分を探しているのに、ますます自分という存在の輪郭が曖昧になっていく。
 
あれ、おかしいなぁと私の精神的時限爆弾はじりじりと進行している感じがした。
そんな2019年の年末、私は髪を切りに美容室へ行った。
そこの美容師さんとは何かと会話が弾むので1.5カ月ごとに行っていたけど、もはや美容室に行く資格があるほど、私には何の生産性もないと思いつめていたので実に4カ月ぶりに来店したのである。
そこでちょっとした会話の内容から少し自分に変革が訪れる。
 
私 「2020年の豊富はありますか?」
美容師 「……んー」
私 (あ、やばい答えにくい質問だったか)
私 「じゃ、じゃあ2019年はどんな感じでした?」
美容師 「めちゃめちゃ仕事するって決めて、休みを週二から週一に減らしました!」
私 「すごいですね! 疲れませんか??」
美容師 「それがルーティンになっちゃうとむしろ、楽なんですよ」
私 「え?」
美容師 「車って一回エンジン切っちゃうと、かける時にものすごく労力使うじゃないですか。一歩が面倒くさいから僕は止まらないようにしてます。どんどんやっていくと、すいすい加速してスピードが出てきてそれが結果、楽になるんです」
 
私は大きくうなずいた。あぁ、すごくわかる。私は今、エンジン停止状態なのだ。今、自分がどこにいるのか分からず、不安になって車を止めた。しかし、カーナビに目的地も設定せず、車を走らせるとエンジンが減っていくことを恐れ、かといって車を走らせなければいけない用事もないから、そこにとどまっている。
 
ずっと車のシートに座っているだけでは景色は変わらない。
目的地を再設定するために、少しの間停止するのはいいだろう。でも完全に止まらず、ゆるやかに減速して、ゆっくりでも走り続けた方がいいのかもしれない。
もしくはたっぷり給油してスタートすればいい。目的地がないのに止まっていても、答えは湧いてでてこないのだ。
 
そう思うと、自分をうまく探せた人というのは、方向転換して違う道を走ってみた人ではないのだろうか。その先が行き止まりなら引き返せばいいだけの話だ。
止まって状態で不安を語っても、この先が行き止まりなのか抜け道なのかはわからない。
 
人間関係を遮断し、頭の中だけで考えるのではなく、いろんなところに出かけ、いろいろな人に出会うという経験こそが自分という輪郭を浮き立たせてくれるのではないかと思うようになった。
 
よく聞く話である。でも限界まで自分を溶かしてやっと理解できた気がする。
さぁエンジンがかからなくなるその前に自分の力で進め!
 
そして少しづつ景色は変わる。その先にゴールがあるのではないか。
 
そう思って、天狼院のライティングゼミに申し込んだ。そして今、吐きそうになりながら2000文字を綴っている。
 
 
 
 
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この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。 「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。
 
http://tenro-in.com/zemi/103447
 

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2020-02-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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