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メディアグランプリ

香りは記憶とともに


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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玉田 倫世(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
日が長くなったな……。オレンジ色を背景に、何本も走る飛行機雲が翌日の雨を知らせている。
明日は日曜だというのに。今日出掛けておいてよかった。
 
子供達はお出掛けがよほど楽しかったのか、まだはしゃいでいる。こちらは一日中彼らの後を追いかけてへとへとだ。
手をつないでバス停に並び、今日撮った写真をみようと携帯に視線を落とした時、ふわりと懐かしい香りに包まれた。
 
乾いた冷たい空気にまじって、ほんの少し鼻の奥をすーっとさせる、凛とした香り。
「なんだったっけ、この香り?」
 
私は匂いを嗅ぐのが好きだ。
 
干したばかりの布団は、おひさまの香り。
ご飯が炊ける時の、微かに甘くて酸っぱい香り。
懸賞で大きな百合の花束が当たった時は、独り暮らしの小さな部屋がどこかの高級ラウンジのような高貴な香りに満たされて、しばらくリッチな気分に浸ったっけ。あの百合の種類は確かカサブランカ……。
香りは次々と記憶を呼び起こす。タイムカプセルのようだ。
 
いい香りを嗅ぐのは当たり前で、脱いだばかりの服や手袋、革の鞄も嗅いでみる。
消費期限が危なそうな食べ物も。
 
クサっ! となる時は残念だが、乾いた皮膚の匂いは案外いい香りだったりする。
だから私の恋人は、もれなく身体中をくんくんされることになる。
特にお気に入りは腕の内側と首筋の辺り。まあ匂いフェチとしては普通かな。
 
まだずっと若い頃、私には気になる人がいた。
 
背が高くてモデル体型な彼は何気ない服の着こなしがとてもうまく、アパレルの仕事をしているのに自社の商品ではなく、いつも無地の白いシャツや薄手の上質なニットをさらりとワークパンツに合わせていた。
一重の目元は優しそうだけれどあまり笑わず、手入れされた髭の口元はいつも何か言いたげに見えてクール。
同じ部署の女性と話している時にほんの少し見せる笑顔が眩しくてうらやましくて、みかける度にどきどきした。
 
ある日、マネージャーに言われて彼に届け物をした。カウンター超しに交わしたのは一言、二言ぐらいだろうか。
 
今着ているニットはきっとジョン・スメドレーのものだろうな。そう思いながら見上げていると、彼からとてもいい香りがして一瞬、ぼーっとしてしまった。
フローラルとは違うドライな甘さの中に、革のような、煙草のような苦味の混じる香り。
 
「いい匂いですね」
思わず口をついてでてしまった。いつもなら絶対話しかけられないのに。
いい匂い、じゃなくて素敵な香り、とか言えればよかった……。
 
彼も一瞬、驚いたようだった。
「ありがとう。サンタ・マリア・ノヴェッラだよ」
その時初めて彼の瞳に自分が映った、と思った。
この微笑みは私に向けられたものだ、そう気づいた時には、もう恋に落ちていた。
 
私は匂いフェチなくせに、香水をつけたことがなかった。
 
だから彼から聞いたサンタ・マリア・ノヴェッラが香水の名前ではなく、16世紀のフィレンツェで始まった老舗の香水ブランドの名前だということを、私はその時初めて知ったのだった。
 
「あの香りは何だろう……」
気になって仕方がないのは彼なのか、香水なのか。
よく分からないけれど、とにかく知りたかった。
 
調べてみると近くに店舗があるという。勢いづいた私は次の日の昼休みにはもう店に向かっていた。
 
町家を改装したその店は京都らしい風情の漂う佇まいで、フィレンツェの香水のイメージとはほど遠かった。
フィレンツェに行ったことはないが、どちらにしても敷居は高い。
 
「何かお探しですか?」
恐る恐る店に入り、小瓶をとりあげてはラベルをみつめる私に、販売員の女性が声をかけてくれた。
私は顔が火照るのを感じながら、知り合いがつけている香水を探していると告げた。
 
「甘くて革のような香りといえば……」
ぴんときたようで、すぐに女性は一つの小瓶を出してくれた。
お試しください、と差し出された紙をあおぐと、確かに彼のつけていた香りだった。
 
彼の香水が分かったからといって、同じものをつけるわけにはいかない。
迷いに迷ってその日私が選んだ香水は、ブランド名を冠したものだった。
シトラス、ベルガモット、と言われてもぴんとこないが、爽やかで儚い甘さの香りが初めての香水にはぴったりな気がして、私は香水をつけた手首をこっそり嗅いではにやにやした。
 
それから何度かチャンスはあった。
けれど彼が私の香水に気づくことはなかった。
彼の香水はアンバー。
媚薬とも呼ばれるその香りは強く、私の香りは彼に届かなかったのだ。
 
「いい匂いがすると思ったら! 沈丁花だよ」
夫が振り向いて言った。すっかり暗くなった歩道の植込みに、咲き始めた花がぼんやり見えた。
それは以前、地味だけど香りで春を知らせてくれる、好きな花だと私が夫に教えたものだった。
 
幸せは香水のように、それに包まれている間は当たり前になって気づけないものなのかもしれない。
 
私はつないだ手を引き寄せて、子供達の髪の匂いを嗅いだ。
乾いた草の匂いと、甘い頭皮の香りがした。
 
 
 
 
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2020-03-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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