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メディアグランプリ

朝にメイクをするように、「悔しみ」の鏡をのぞきこむ


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:印田 彩希子(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
朝。メイクの時間は戦闘準備である。
鏡をのぞき込み、人様にお見せして良い顔に整えていく。
 
私の顔の自己評価は
 
「上半分はまあまあ、下半分はイマイチ」
 
どうにも下半分、鼻から下が間延びしているのだ。凹凸に乏しく、無駄な余白が空いている……。
(マスクをしてるくらいがちょうど良い。下半分が隠れて2割り増しで美人に見えるんじゃなかろうか)
なんて事を考える。
 
最近不規則な生活が続いてるから、肌荒れしてるな。
あごに吹き出物ができそうな予感がする。
花粉で顔がかゆいな、湿疹が出ないように注意だ(私はアトピー持ちである)
 
などなど。
素顔をチェックしつつ、気になる項目はクリームやメイクでフォローしていく。
 
メイクを終えて、花粉カットのスプレーをして、マスクを着けたら出陣だ。
「いざ尋常に勝負、勝負〜」
 
一歩外に出れば戦の始まりだ。
 
私は悔しがりだ。
目が合えばインネンを付ける兄ちゃんばりに、ちょっとした事で悔しがる。
 
駅までの道のり、走ったけど青信号に間に合わなかった。くそぉ。
ホームに着いた瞬間に電車のドアがしまった。くそぉ。
満員電車の中、リュックが当たる。くそぉ。
改札で、前を歩く人のSuicaの残額不足に巻き込まれる。おぃぃぃ、くそぉぉ。
 
表面上は努めて冷静を装うのだが、内心は悔しさの大嵐が吹き荒れまくりだ。
 
最近のハイライトで悔しかったのは、このライティング・ゼミの締め切りをうっかりすっかり忘れて、課題提出が間に合わなかった事だ。
締切の失念は完全に自分のミスだ。
当日に慌てて課題に取り組んだものの、あと50文字がどうしても間に合わずタイムアップ。
 
くっそぉぉぉぉ。
 
パソコンの前で打ち震え、おやつに買ってあったポテトチップス大袋をヤケ食いした。
 
やっちまったぁぁぁ。
くそぉぉぉ。
 
翌朝、鏡に映っていたのは、ポテチのやけ食いで吹き出物のできた、鼻から下が間延びした顔だった……。くっそぉ。
 
自分が「悔しがり」なせいだろうか。
他人の悔しがる姿も大好物だ。
 
だって。
悔しがってる人って、めっちゃ生き生きしてません?
 
「人が苦しむ姿が大好物なんてサイテー」
 
そんな声が聞こえてきそうだが、同志はきっと多いはず。
 
なぜならば。
古今東西の、漫画だってドラマだって、名シーンは大体登場人物たちの「悔しがる姿」なのだから!
 
主人公たちが挫折を味わい窮地に陥る。
そこから立ち上がり勝利を収める。
 
そんな姿に打ち震え、感動の涙を流した人は多いはず!!
 
「ドラゴンボール」「ワンピース」「鬼滅の刃」などなど。
 
「悔しさ」は成功や勝利をより感動的にするエッセンスなのだ。
 
なんで人はこんなに「悔しがる」が大好物なのか……。
 
人が悔しがる時、そこに「その人の魂が見える」からだろう。
悔しい時に何ができるか。
 
己の悔しさをこらえ相手の勝利を讃えるのか。
負け惜しみを言うのか。
リベンジを誓うのか。
ただただ、打ちひしがれて涙するのか。
 
悔しさは、その人の本質をさながら鏡のように映し出す。
 
冷静に次のアクションを決められる時もあるだろう。
そこから目を背け逃げ出す時もあるだろう。
空回りして、間違った方向へ突っ走ることもあるかもしれない。
 
どんな姿でも「それが今のお前の姿だよ」と鏡は映し出す。
 
そして
「お前はどうしたい? どうなりたい?」
そう私たちに問いかけてくるのだ。
 
その問いは、未来へ向かう原動力だ。
 
どうなりたい? どうしたい?
 
何度も問うことで、自分が本当に欲しいもの、手に入れたいものが見えてくる。
 
そうは言ったって、悔しいは「苦しい」「辛い」
心がちぎれそうになる時もある。
 
頑張ったって変わらない場合もあるし、「また失敗するかも」と不安になる時だってある。
もう「悔しい」「苦しい」「辛い」のは嫌! 無力な自分から逃げ出す時があっていい。
 
どんな選択をしてもそこにはちゃんと未来があるはずだ。
 
ただし「悔しいのは辛いよね、負けるのはかわいそうだよね」と言って他人の「悔しさ」を奪うのは、私は反対だ。
 
徒競走、みんなで手を繋いで一斉にゴール!
これは未来を奪うことになるんじゃないかと思う。
 
「悔しいのはもう嫌だから、負けないようにする、勝てる戦いだけをする」
これは本人が選ベばいいことだ。
 
「悔しい」をなくすことで他人の選択肢を狭めてはいけない。
そこにあるのは「停滞」だけだ。
 
努力することも、逃げることも、「楽したい」と思うことも、「このままでいいや」も、本人が心地よいと思うものを選べばいいのだ。
 
そもそも「悔しい」は「悲しい」「痛い」「辛い」って誰が決めたのよ。
世の中には悔しさにエクスタシーを感じてる人間だっているかもしれないじゃないか。
 
これは言い過ぎかもしれない。
 
でも。
「勝ち負け」があるからゲームやスポーツは面白いのだし、「負けて悔しい」から次に勝てた時は「嬉しい」のだ。
 
「悔しい」を取り除くことは、人から感動を奪うことだ。
 
そりゃあ悔しい時は、痛かろう。辛かろう。
そこにあるのは「何者でもない己」なのだから。
 
誰だって良く見られたい。認められたい。「何者か」でありたい。
でも、悔しい時はそうじゃない。
 
だからこそ「何者か」になろうと、私たちはもがき苦しむのだ。
そうやって成長してゆく。
 
ちなみに抜け道として
「何者であろうとなかろうと『私』は『私』である」
と静かに全てを受け入れ、悟りの境地を切り開くパターンもある。
 
ただし、全てを受け入れると言うことは「喜び」も「苦しみ」を受け入れるってことだろうから、いわゆる「ダメージ無効の無敵状態」とはちょっと違うんじゃないかと思っている。
 
要は、生きている限り「悔しい」から逃れることはできないのだ。
 
だったら「悔しい」を鏡にして自分の姿を映し出し、磨いていくしかないじゃないか。
 
朝にメイクをするように、「悔しみ」の鏡を覗き込めば、そこには魂の素顔が写っている。
 
 
 
 
***
 
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2020-03-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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