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足の裏が誰かに似ている


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:Mina Shiraoka(ライティング・ゼミ特講)
 
 
冬の夜。
お風呂上がりに、ヒーターの前で、ローズの香りのオイルをワンプッシュ、手の平に取る。両手で馴染ませサッと身体に染み込ませる。
 
お風呂上がりのわずかに残る水滴とオイルが馴染むのが、一番肌に良いと聞いた。
それ以来、ほぼ毎日続けている。
 
いや、正直な話、疲れ果てて半分眠りかけているときと、どうにもこうにも、面倒に感じるときは、それどころではなく……。
顔だけ保湿クリームをバッと塗り、ベッドに倒れこみ、3秒後には死んだように寝ている時もある。
 
その日は、下ろし立ての慣れないヒールで歩いたせいで、少しだけ踵が硬くなっていた。
 
ぽかぽか温まった両手で、いつも以上に丁寧に踵にもオイルを塗る。
 
その時だった。
 
ハッと空気が切り替わるような感覚を覚えた。
 
「やっと気づいてくれたか」
 
突然、踵が私に語りかけてくる声を感じた。
 
「あっ、ごめん」
 
そう心の中で返事をしながら、
「今まで大切にしてあげられなくて、ごめんね」
と、どうしようもなく踵が愛おしくなった。
 
ふと、万葉集で「愛おしい」を「かなしい」と読むと聞いたのを思い出した。
 
かなしくなるほど愛おしい。
まさに、その言葉通りの気持ちだった。
 
私は、踵にオイルをゆっくり塗りながら、足の裏全体にもオイルを塗った。
 
ローズの香りが、ふわっと立ち込める。
慌ただしい心に、優しい風が吹いたようだった。
 
足の裏をオイルで優しくマッサージしながら、走馬灯のように思いがよみがえってきた。
 
思い返せば、子どもの頃から、私は、どこか自分に自信を持てずにいた。
 
「あなたは3月生まれだからね。4月生まれの子とは、ほぼ一年違うから可哀想なことしたわね」
 
子どもの頃、よく母に言われていた言葉を思い出した。
 
母は悪気があって言っているわけではないのも、よく理解していた。
ただ、私があまりにも、ぼんやりとしているので、見かねて、3月生まれのせいだと思いたかったのだろう。
 
確かに私は、保育園や小学校時代も先頭を立って見本になるような、ドラえもんで言う「出木杉くん」タイプでは決してなかった。
 
母の言葉通り、
「私は3月生まれだから、4月生まれの子のように上手くはできない」
そう思い込んでいた。
 
たとえ、何万人もの人に、何万回も「あなたは大丈夫! 素敵! 素晴らしい! できるよ!」などと言ってもらえたとしても、ぽっかりとした心もとなさは消えることはなかった。
 
だから、
「自分は大丈夫!」という「自信の証拠」が欲しかった。
 
自信というのは目に見えない。
だからこそ、「自信の証拠」となる「魔法」が欲しかった。
 
そんな心の声に気づいた私は、うっすら涙で足の裏が滲んで見えた。
 
心の中で足の裏と対話する。
 
「どんなときも、どこにいても、いつも側にいてくれていたね」
 
「裸足でも靴のときでも、いつも文句も言わず支えてくれていたね」
 
「真夏の太陽が照りつける海辺の砂浜を素足で歩いたとき、熱かったよね。ごめんね」
 
「慣れないヒールで痛い思いもたくさんさせたね。ごめんね」
 
「23,5センチの面積で167センチの身長を支えてくれているね。ありがとう」
 
……
 
「足の裏さん、あなただけは、他の人と比べたことがなかったわ」
 
子どもの頃、母が他の女の子のことを褒めるだけで、悲しくて悔しくて、大粒の涙を零していた。
 
そう、私の自信のなさは、他の人と比べて劣っていると感じることが根底にあったのだ。
 
そのコンプレックスに直面せざる得ない出来事が降り掛かる。
 
高校二年生の時、突然、モデルにスカウトされた。
学校で手を挙げることも、人前で話すことも、恥ずかしくて大の苦手だった。
 
そんな自分を変えたかった。
コンプレックスもたくさんあって、解消したかった。
 
とても美しく明るいマネージャー兼モデルの女性がスカウトしてくれたこともあり、その方への憧れと共に、事務所に所属することになった。
 
オーディションでは、人前で大きな声で自己紹介をする。
ショーでは、自信満々に人前で歩く。
撮影では、大勢の人が見ている中、ポーズを取り、時に笑顔を要求される。
 
7センチのハイヒールを履くことさえ、初めてだった。
 
「できない!」
 
新人の頃は、一つ一つが苦手なことのオンパレードで、自分が嫌になった。
 
不思議と悔しさだけは残っていて、それがバネとなり、一人練習をした。
 
雑誌を買ってきては、鏡に向かって同じポージングをしてみる。
 
肩を少しこの角度で引くだけで、こんなに雰囲気が変わるのか。
足の位置、体重のかけ方、指先や顔の表情など、とにかく真似をして練習した。
 
いざ、撮影の日。練習の成果を発揮しようと意気込んで向かった。
 
撮影はロケだった。カメラマンさんから「そこに立って」と指示が出る。
 
「そこ」とは、数センチしかない薄いコンクリートブロックの上。
 
当然、落ちないようにバランスを取るのに必死で、練習してきた足のバリエーションや、体重のかけ方も、まったくと言っていいほど、通用しなかった。
 
「もっと動いて」
カメラマンさんから指示がある。
 
落ちないように必死で、思考が固まってしまい、上半身だけでも動いてポージングすればいのに、それすら固くなってできなくなっていた。
 
撮影現場に、のど自慢で言うところの「カーン」と不合格の鐘が鳴っているような空気感が流れた。
 
先輩モデルの方は、慣れたように、ロケでもスタジオでも滑らかにポージングをしている。
 
「なんで、自分はできないんだ」
 
自分自身が悔しかった。
帰り道、地下鉄の駅のトイレで声を殺して大泣きした。
 
モデルの仕事で、他のモデルたちと宣材写真が並べられ、オーディションでも一列で並ばされ、たくさん比較されてきた。
 
それがプロの仕事だから仕方がない。
 
落ち込むこともあったが、仕事が決まり自信が付くこともたくさんあった。
 
あれだけ苦手だった、人前で歩くこと、話すことも少しずつ慣れていき、次第に人前で歩くこと、話すことも楽しくなっていった。
 
これまで外見をたくさん比べられることもあった。
 
自分の内面を、自分で勝手に他人と比較して、自信をなくしていたこともあった。
 
だけど、今、目の前に何も言わず私を支えてくれている足の裏さん。
あなただけは、私、誰とも比べたことがなかった。
 
足の裏をマッサージしながら、ハッとまた、空気の色合いが変わるのを感じた。
 
「足の裏が誰かに似ている……」
 
ふと、そんな想いが浮かんだ。
 
「あっ、足の裏は、もう一人の私だ」
 
約11年前に心と体を壊し、どん底で入院してから、心理学や自己啓発などを学んだ。
 
そして、「どんな自分でもまるごと受け入れ認めること」の大切さを知った。
 
他人からの評価や他人と比べた他人軸ではなく、
何があっても「自分は自分でいいんだ」と自分を肯定する揺るぎない想い。
 
そんな自分で自分を支えられる「自己肯定感」がインストールされた今。
 
何も言わず、どんなときも、どこにいても、誰とも比較することなく、
私を支えてくれている、足の裏さん。
 
普段、服を着て靴を履いているとき、足の裏は人から見られることもない。
だけど、ただただ支えてくれている。
 
まるで、私が欲しかった、目には見えないけど私の支えとなる「自信の証拠となる魔法」のようだ。
 
足の裏は、もう一人の私だった。
 
「ありがとう、足の裏さん」
 
 
 
 
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2020-03-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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