メディアグランプリ

きっともう2度と会えない人たちに会いに行った


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:藤原 千恵(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
その人たちに会うと決まったとき、ああ、きっともうこれが最後になるだろうと、悲しいけど確かにそう思った。
 
私たち家族は、事あるごとに地元宮崎のK写真館で記念写真を撮っている。
私が生まれたときから、七五三、小中高の入学、祖父母の還暦や金婚式、成人式。
実家には、十数冊のアルバムが並んでいる。
 
写真館のご夫婦は、もう80歳近いが今でも現役で写真を撮っている。
今回は、両親の還暦の記念写真を撮ることが決まったのだ。妹の成人式以来だから、10年以上ぶりに会うことになる。
 
もう会えないかもしれない、と薄い覚悟をして写真を撮ってもらう経験は、後にも先にもこの一度きりだと思う。
 
写真館には、Kさんが今まで撮ってきた沢山の写真が所狭しと飾られ、随分前のものから最近撮ったであろう成人式のお嬢さんまで、本当にみんないい笑顔で並んでいる。
物心ついた頃から覚えているお店の外観や内装、色合いや雰囲気まで何もかも変わっていないように見えた。
 
私が1歳の記念で写真を撮ったときは、あまりにもぐずり過ぎで別の日に出直したり、祖父母の金婚式の時には、自宅まで家族写真(親戚20人くらい)を撮りにきてもらったり、今まで30年分ほどの思い出話をする両親とKさん。
まるで昨日のことのように楽しそうに笑いながら話す光景を見ながら、歳を重ねるって、もう2度と戻らない時間を愛しむことが増えて、それを受け止めていくことなんだなと思った。
 
アルバムに残るみんなの笑顔は、確かに実在したもので、大好きだった祖父母はまだ写真の中では生きている。
両親も今の私くらいの年代で若々しく、変わらないと思っていても、みんな年老いていく。
 
まだ幼い頃は、写真館で写真を撮る理由がわかっていなかった。
自分の意思で決めたことではないのに、きれいな着物や制服を着て、みんなで片田舎の写真館に出向く。
いろんなポーズで写真を撮り、着物がきれいに見えるように裾を都度直してもらったり、「笑って、笑って」と言われながら笑顔をつくる。
父は笑顔をつくるのが苦手な、いわゆる頑固オヤジで、父がうまく笑えるまで何度もシャッターが切られた。
(「お父さん早く笑ってよ!」と妹と2人で茶化しながら言えるようになったのは、私も妹も成人してからのことだった)
そして撮り終われば、さっと帰宅し、きれいに着付けてもらった着物を脱ぎ捨て遊びまわる。
あっという間の記念撮影になんの意味があるのかわかるはずもなかった。
 
私が中学入学の時に撮った写真は、妹がびっくりするくらいの普段着で写っている。
当日の朝になぜか妹がヘソを曲げ「この洋服で行く!」と駄々をこね、母が用意していたよそ行きの洋服を突っぱねたらしい。
写真に写っている私たちは、なんだかちぐはぐに見えるが、その時の家族の形だったのだろうと思う。
 
祖母は、祖母の部屋のベッド脇の壁に、亡くなるまで初孫である私の幼い時の写真を飾っていた。
母に抱かれて泣きながら撮ったのであろう、困ったような笑顔で写る「わたし」は、ずっと祖母の部屋にいたのだ。
 
デジタルの時代になり、わざわざ写真館まで行く人が年々少なくなっていると聞いた。
確かに、カメラを固定し、タイマー機能を使えばどこでも集合写真が撮れる。
そんな便利な時代になるにつれて、小さな町の写真館はひっそりと店をたたんでしまう。
時代の流れ、ということはもちろん分かっている。
私だって、あの写真館がなければ「わざわざ行かなくてもいい」と口にしているかもしれない。
 
だけど、写真館まで足を運んで写真を撮ってもらうことは、その時の家族や大切な人たちの空気をそのまま残すことなのではないかと思う。
あの時ああだったよね、こんなことがあったよね、と、親戚でも友達でもない、それでも簡単な知人とも言い難い、特別な関係の「写真を撮ってくれる人」との会話。
 
アルバムを開けば、その時々の思い出が蘇る。それはもちろん、写真館の思い出でもある。
きっと祖父母も両親も、思い出を積み重ねて、人としての厚みを増していったのだろう。
 
両親の還暦写真を撮り終わって写真館を出る時、みんなが口にした「お元気で」は、私が幼かった頃は交わされていない会話だった。
「また~の機会に」「次は妹ちゃんの入学式だね」そんな会話をしていたのに、今回は違った。
もう、会えないかもしれないな。
それぞれが、胸の内でそう思っていたのだろう。
 
大切な人たちは年老いて、若者は成長していく。
古いものは、新しいものに変わっていく。
当たり前のサイクルだが、目まぐるしく移り変わる今の時代に、何も変わらず、何十年もただそこにあり続けてくれるという安心感もあるのだ。
それは、身近なものでなくても、きっとふとした時に「大切なこと、人だった」と気がつくことができると思う。
それが、歳を重ねる、ということではないだろうか。
 
 
 
 
***
 
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。 「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。
 
http://tenro-in.com/zemi/103447
 

天狼院書店「東京天狼院」 〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F 東京天狼院への行き方詳細はこちら

天狼院書店「福岡天狼院」 〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階

天狼院書店「京都天狼院」2017.1.27 OPEN 〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5

【天狼院書店へのお問い合わせ】

【天狼院公式Facebookページ】 天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


2020-03-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

関連記事