メディアグランプリ

自分の頬をひっぱたきたくなってもう一度開いた本


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記事:井村ゆうこ(リーディング倶楽部)
 
 
マンション2階の部屋の窓から満開の桜が見える。今年も春がきた。
自分の背中より大きいランドセルを背負った新一年生、濃紺のスーツとあふれる緊張感を身にまとった新社会人。「新」とつくものとは縁遠くなった大人たちにも、新しい季節を生きる若者たちの存在が、まぶしいひかりを届けてくれる。春とはそんな季節ではないだろうか。
2020年春。新型コロナウイルスという敵が、ひかりをさえぎるように世界を覆いつくす春を、私たちは今迎えている。
 
「一生モノの課題図書」
帯にそう書かれた本と出会ったのは、2019年の夏のことだ。少し外を歩いただけで全身から汗がふき出す、いつもと変わらない暑い夏だった。たまらず駆け込んだ本屋で、黄色い表紙に緑色の帯がかかった本に目が吸い寄せられた。手に取って表紙をめくる。カバーの折り返しに書かれていた4行を目で追った。
 
老人はすべてを信じる。
中年はすべてを疑う。
若者はすべてを知っている。
子どもはすべてにぶち当たる。
 
オスカー・ワイルドの言葉に、著者が最後の1行を付け足したものだと、数ページ先でわかった。
「一生モノの課題図書」と「子どもはすべてにぶち当たる」というふたつの言葉が、中年の私をとらえた。ひとりの男子中学校生の日常を綴ったこの本が本当に一生モノなのか、本当に子どもはすべてにぶち当たっているのか、中年の私は疑った。
結論から言うと、確かに一生モノだった。確かに、子どもはすべてにぶち当たっていた。
 
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(ブレイディみかこ著 新潮社)
それが、本のタイトルだ。2019年の本屋大賞、ノンフィクション本大賞を受賞した一冊だ。
舞台はイギリスのブライトンという海辺の町。アイルランド人の父親と日本人の母親を持つ男の子が、裕福な家庭の子がほとんどだったカトリックの小学校から、地元の中学校に進学するところから話は始まる。そして、彼はすべてにぶち当たっていく。人種差別、貧困、格差、犯罪、アイデンティティ、ジェンダー、悪意、善意、友情、思いやり、音楽、ミュージカル……。
 
本を読みながら、私は自分の中学生時代を思い出していた。
イエローでホワイトで、ちょっとブルーな彼の日常と比べれば、単調でおだやかな毎日だったのかもしれない。しかし、はたから見たら単調でしかない日々の中で、私もまたぶち当たっていた。どうしようもないやるせなさや、どうしようもない息苦しさに。
中学1年のとき、父親が死んで学校を休んでいた私に、クラスメート全員が原稿用紙に手紙を書いて届けてくれた。あきらかに教師からの指示で書かされたであろうその手紙には、12歳と13歳の戸惑いがにじんでいた。中学生になったばかりの少年少女にとって、父親を亡くしたばかりの同級生にかける言葉を探し当てるのは、難しかったに違いない。「がんばって」「元気出して」「待っているよ」という文字を見つめながら、私はこころの中で叫んでいた。私の気持ちなんか誰にもわからない。悲しみという青色を、怒りという赤色で塗りつぶして、私は私という自分を保っていたのだと、大人になった今はわかる。
 
自分をとりまく世界で、さまざまなものにぶち当たってはじめて、子どもは「自分」を獲得していくのではないだろうか。ぶち当たるものの大きさや形や匂いや色はそれぞれ違う。どれが重くてどれが軽いとかでは、きっとない。
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」の中に登場する中学生と、日本の一般的な中学生の環境は大きく違うかもしれない。しかし、自分の目の前で起こっていることに真摯な目を向け、それについて自分の頭で考え、行動し、成長していく過程は、万国共通なはずだ。
ページを繰れば繰るほど、タイムマシーンに乗って中学生だった頃の自分にも戻り、イエローでホワイトで、ちょっとブルーな彼といっしょに心おどらせ、戸惑い、憤っている自分がいた。
 
2019年の夏にこの本を読んだとき、私は思った。
6歳の娘が中学生になったら、この本を読ませよう。それまで本棚にしまっておこうと。
2020年の春になり、私はまたこの本を棚から取り出した。
新型コロナウイルスという、かつて遭遇したことのない敵を前にして、私は自分の頭で考え行動することに自信がなくなっていた。テレビやネットから流れてくる情報にのみ込まれて、おぼれかけていた。
送られてきたメールやSNSに溢れる数字やら文字やらに戦慄し、自分の頭で考えることを忘れかけていた。真偽をよく吟味せず、流れまわってきた情報を他のひとに伝えてしまった。
トイレットペーパーがなくなると聞いては店に駆け込み、米が消えかけていると聞いては店に走った。本当にそれが今必要で、今買うべきものかも、よく考えもせずに。
 
自分の頬をひっぱたきたい衝動にかられ、
もう一度、本を開いた。
もう一度、中学生の男の子が、世界を見つめ、悩み、決断し、行動していく様をなぞった。
もう一度、一生モノの課題を突き付けられるのを感じた。
 
自分の頭で考え、判断し、行動すること。
 
娘が中学生になったとき、この本を差し出しながら、2020年の春について話をしたい。
そのとき、母である私が何にぶち当たり、何に悩み、何を決め、どう行動したのかを。
 
強い風が吹いて桜の花びらが舞っている。
毎年必ずきれいな花を咲かせる桜の木のように、立ち続けていきたい。
2020年春、私は思う。
 
 
 
 
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2020-04-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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