メディアグランプリ

赤ペンで書かれたラブレター


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:高橋実帆子(ライティング・ゼミ特講)

 
 

赤入れが好きだ。
文章を修正するときに、赤ペンで書き込む文字。
誤字・脱字のみならず、語尾のリズムを整えたり、事実関係の間違いを正したりする時にも「赤」が活躍する。
 

手書きでも、Wordなどのソフトでも、びっしり赤文字や修正履歴が入って、元の文章を読み取ることが難しくなった原稿を見ると、うっとりする。
矛盾する表現だが、「なんて綺麗な原稿だろう」と思い、ワクワクして顔がにやけてくる。
文章を書いたり、編集したりする仕事を長く細々と続けてきたけれど、「赤入れが好き」という人にはあまり会ったことがないので、たぶん、私はちょっと変なのだろう。
 

今でこそ「赤入れフェチ」の私だが、十数年前、書く仕事を始めたばかりのころは「赤入れ恐怖症」だった。
右も左もわからないまま、とりあえず書いた原稿は、デスクや校閲担当者の手を通るうちにびっしり赤が入って、ほぼ原形をとどめていないことが常だった。
何ヶ月も取材をして書いた原稿が、印刷された紙面を見たらまったく別の文章になっていて、こんなことなら私の署名を消してほしいと、会社のトイレで泣いたこともあった。
赤字を見ると心臓が縮み上がり、その乱暴な色彩で人格や感性を踏みにじられているような気がした。
仕事以外の時間に本や雑誌を読んでいても、行間に赤が浮かび上がってくるようで、ぞっとした。
 

赤入れなんて、大嫌いだった。
 
やがて私は結婚し、子どもを産んで、書く仕事をしばらく休んだ。
趣味で小説を読みながら無意識に誤字脱字を探すこともなくなり、純粋に読むことを楽しめるようになったころ、縁あって、また書く仕事を始めた。
 

会社に雇われるのではなく、フリーランスとしておもにWeb媒体で文章を書くようになって、「あれ?」と思った。
書いた文章に、ほとんど赤が入らないのだ。
タイトルや事実関係の間違いなどが修正されることがあっても、基本的に、書いた文章がほぼそのまま掲載される。
あんなに嫌いだった赤入れから解放されてせいせいした……かといえばその逆で、私は、ずっと地面があると思っていた場所が空洞だと気づいたような恐怖を感じていた。
 

仕事で文章を書くときには、媒体にかかわらずきちんと調査や取材をして、事実関係の間違いがないことを何度も確認する。
提出前に繰り返し読み返して、誤字脱字を正す。
それはあの新人時代、原形がなくなるまで赤入れをされたときに身に着いた習慣だ。
 

けれど、ひとりの「目」には限界がある。
複数の視点からチェックしなければ、どうしてもミスが起こる。
単純な誤字脱字ならまだしも、万が一誰かを傷つけたり貶めたりするような間違いをおかしてしまったら、フリーランスのライターに「次」の機会はない。
誰も赤入れをしてくれないというのは、つまりそういうことだ。
 

そのとき私は初めて、熟練の「目」が自分の拙い文章をチェックしてくれる環境が、得難いものだったことを知った。
書き上げた原稿を読み返しすぎて何が何だかわからなくなった午前2時、「一度でいいから、あのとき叱り飛ばしてくれた先輩に原稿を見てもらえたら」という考えが頭をよぎったことも一度や二度ではない。
私はいつもそうだ。本当に大切なことに気づくのに、人よりうんと時間がかかる。
 

フリーランスになって3年目、書籍のライティングを手がけたとき、Nさんと出会った。
「出会った」といっても、直接会ったことはない。
彼女は、私の原稿に赤入れをしてくれる校正者だった。
久しぶりに、真っ赤になって戻ってきたゲラを見たとき、昔の赤入れ恐怖症がよみがえり、一瞬「うわ……」とファイルを閉じそうになった。
ぐっとこらえて、赤ペンで書き込まれた端正な文字をひとつひとつ拾って読んでいくうち、私は、背すじがぞくぞくするほど感動していた。
 

Nさんの赤入れは、本当に「美しかった」。
誤字脱字の指摘はもちろん、数字や引用はどんな細かい部分もすべて一次資料にあたり、「ここは矛盾しているのではないか?」と疑問点を書き込んでくれていた。
私が無意識に曖昧な書き方をして逃げてしまった部分には必ず「?」マークがつき、この文章で本当に読者に伝わるのか、見直す必要があるのではないかと提案してくれていた。
私自身がまったく気づかなかった因果関係の矛盾や不自然な表現も、すべて丁寧に拾って指摘してくれる。Nさんの赤字は、私にとって、新たな発見と気づきに満ちていた。
 

自分以上に、この文章を徹底的に読み、意図を深く理解して、一緒に考えてくれる人がいる。
それは、なんて心強いことなのだろうと思った。
Nさんと一緒に本を作るようになり、私は初めて「赤入れされた原稿が戻ってくるのが待ち遠しい」という気持ちを知った。
 

Nさんがどんな人で、何を考え、日々どんなふうに暮らしているのか、私は何ひとつ知らない。
でも、ひとつの原稿を通じて、深い深いところまで一緒に潜ってくれた彼女は私にとって、旅の同志のような存在だった。
いつの間にか、原稿を書くときにも「Nさんだったら、きっと『ここはわかりにくいのでもう少しかみ砕いて説明してください』と言ってくれるはず」と彼女の視点を意識するようになっていた。
 

私が赤入れ恐怖症から赤入れフェチに転向するきっかけがあったとすれば、それは間違いなく、Nさんとの出会いだと思う。
 
その後、私は編集の仕事もするようになり、赤入れをする側に回ることも増えた。
一番気をつけているのは「美しくない赤入れ」を最小限にすることだ。
事前に意図や主旨を十分すり合わせないまま、見切り発車で執筆をスタートしてしまうと、書き手は地図を持たないまま、見知らぬ土地を歩かされることになる。
その結果、出来上がった原稿を修正してもらったり、編集者が書き手の意に添わない加筆修正をしたりする赤入れは、全然美しくない。
 

逆にいえば、書く人と、赤を入れる人が同じ地図を持って、本気で同じ目的地を目指しているときの赤入れは、見惚れるほど美しい。
「私は、この文章のことをこんなに真剣に想っています」という熱のこもったラブレターの文通みたいだなと思うこともある。
 

読者のもとに届くとき、本や雑誌、Webサイトに載っている文章はまっさらに整えられている。間違いや、引っかかりなど最初からひとつもなかったかのように、澄ました顔で並んでいる言葉の後ろに、実は書き手や編集者、校正者の格闘と試行錯誤が隠れている。
 
決して表舞台に出ることのない、行間に書き込まれたまぼろしの赤い文字に、こんなにときめいてしまう私は、やっぱりちょっと変なのだと思う。
でも、ぴこんとメールの着信音が鳴って、プレビュー画面に赤入れがびっしり入った原稿が見えると、待っていた手紙を受け取ったときのように、やっぱりワクワクするのだ。
 

今日はどんな発見があるんだろう。
この原稿には、きっと、もっともっと良くなる余地が残っているんだな、と。
 
 
 
 

***
 
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2020-04-21 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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