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やっぱり僕は、人の変化・成長に関わっていきたい


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:石野 敬祐(ライティング・ゼミ平日コース)

 
 

「俺は蝶々が一番すきなんや、だから社会科の先生になった」

 

あれは中学校時代。「先生は、なんで学校の先生になったんですかー?」というクラスの女子からの何気ない質問に、クラス担任の永野先生がそう答えた。社会科と蝶の接点なんて思いつかない。「なんでー」「わからへん」という声が教室のあちこちから聞こえる中、永野先生はこんな感じで言葉を続けた。

 

「蝶々がすきやから、最初はそれを仕事にしたいと思ってた。やけど、仕事にするって本当に大変なことや。食べていけへんとか、仕事の中でしんどいこともきっとあると思う。そんな時、好きなはずの蝶々のことまで嫌いになってしまうかもしれへん。だからいろいろ考えて、あくまで蝶々は趣味として続けることにした。蝶々以外で、興味があった先生になった」

 

クラス内の反応は様々だった。「先生、やっぱりそれわからへんー」っていう声もあったし、
「それって言い訳じゃないんですかー」なんて声もあったと思う。その中で僕は、「うわー、なんて大事なことを聞いちゃったんだろう!!!!」と、鳥肌を立てながら目をキラキラさせていた。前からずっと刺さっていた棘が抜けたように感じた。
 

小学生とかそれ以前に将来の夢は? なんて聞かれる機会は多かったと思う。みんなの答えもシンプルなものが多かった。野球が好きだからプロ野球選手、子供が好きだから保母さん、お菓子が好きだからお菓子屋さん。いつしかそんな考え方にどこかで違和感を感じるようになっていた。僕は将来の夢を書く宿題に「サラリーマン」と書いたことがある。理由を聞かれると、サラリーマンとして頑張る親父がめちゃめちゃかっこいいと思ったからと答えた。

 

好きなものが将来の夢ってしなくていいやん。好きなものは好きなもの、でいいやん。そういう考えでいいんだと、永野先生に言ってもらえた気がした。

 

永野先生の言葉が僕に自信を与えてくれたように、僕も何か人の新しい可能性を拓いてみたいと思った。そこで明確に「先生」になろうと思った。大学でも教職課程を取り、中学高校数学の教員免許を取った。数学が好きだから数学の先生になったわけじゃない。

 

その後色々なきっかけで「学生からすぐ先生になるんじゃなく、社会経験が必要」と考え、新卒で外資系の総合コンサルティングファームに就職した。ITシステムの運用保守をやったり、内部統制の仕組みを作ったり、システム開発のPMO(プロジェクトがうまく進むように色々動く役割)として動いたり、特に専門領域らしいものもなく会社から言われた仕事をいろいろやった。当初思ったよりも長くいすぎたが、社会人になって6年目にようやく「先生」を目指して転職をした。転職先は学校ではなく、新人研修などの企業研修を提供する会社を選んだ。

 

僕は講師としてダメダメだった。平均4.2とか4.3を当たり前に求められる中、5段階の受講生アンケートで全項目平均3点台前半を連発。受講生コメントには「何の学びもなかった」などと厳しいことを書かれたこともある。同じテキスト・内容で他の人は結果をだしているのに。明らかに僕の力不足だった。

 

ある時、会社から僕を講師の戦力としてカウントするかの判断、最後の追試としての研修登壇を命じられた。いろんな人にアドバイスをもらい、土日も関係なく寝る間も惜しんで考えられる限りの準備をした。その結果、アンケート結果でオール5という奇跡の結果がついてきた。スーパー講師でも滅多に出ないオール5。謙遜でもなく、僕の実力じゃない。目をつぶってバットを振ったら、強い追い風に乗って出たホームランみたいなもの。

 

それでも先輩からも後輩からも、すごく喜んでもらえた。ただ、それより受講生の表情が研修受講前後でこんなにポジティブに変わったこと、これが本当に嬉しかった。やっぱりこの瞬間のために、僕は先生になりたいと思ったんだ。このために給料が下がっても、厳しい評価を受けても頑張ってきたんだ。

 

その後、父の病気などいろいろ人生・キャリアを考えるきっかけがあり、一度「先生」から離れてみようと思った。「好きだけど、そこにこだわらないというのは永野先生から学んだことだ」と。研修にこだわらず他から人が変われるようにする支援ってあるんじゃないかと、研修会社を辞め、違う道を探った。

 

人事データの統計分析をしたり、評価の仕組みや賃金テーブルを設計したり、採用基準を見直したり、採用・配置・評価・育成・定着、一部人事戦略的なところも含めいろいろやった。社内働き方改革推進の名目の中、新たな福利厚生、テレワーク制度なども入れたり、人事に関わる周りにも挑戦させてもらった。お客さんや社内から感謝されたが、どこか満たされなかった。

 

そんな中、今度は母の体調の問題が出てきた。いい機会だと捉えることにし、今は積極的プー太郎を選んでいる。人生100年時代などと言われる中、自分の今後のキャリア・人生をじっくり考えている。

 

振り返ってみると、会社を変え、領域もIT・業務から人事へと変えているが、社会に出てから一貫して「コンサルタント」という肩書で生きてきた。今後もずっと続けるのがいいんだろうか。人生100年時代、他のことにも目を向けたほうがいいのか。

 

そんな中で、永野先生の言葉を久々に思い出す。
好きと仕事を敢えて別にする生き方。やっぱり人事が好きだから、この機会に人事以外の道も探るのもありかな、なんてことも頭によぎる。
 

でも。

 

やっぱり人が変わる瞬間に立ち会いたい。サポートしたい。研修会社時代に厳しい評価を受けても、休み返上してでも頑張れたのは、人が変わる瞬間に立ち会いたいからだ。ハッピーになるお手伝いがしたい。誰かの人生を良い方向に変えるきっかけになりたかったからだ。人事が好きというより、根っこにあるのはそっちだった。

 

大ヒットした『嫌われる勇気』で注目されるようになったアドラーはこういったという。
「人は変わりたいと思えば、死ぬ直前まで変われる」
 

そうだ、数年前コーチングを学んだのも、すべてのことは人から始まると思ったからだ。一人ひとりの可能性を信じたいと思ったからだ。人が変われば、きっと世の中も変わっていく。

 

人事とかコンサルってのは、一つの切り口に過ぎない。僕は既存の捉え方にいつの間にか縛られていた。

 

ああそうか、永野先生が言っていたのは、好きと仕事を別にするということだけじゃなかったのかもしれない。こういう意図があったんじゃないか。

 

「考え方を固定するな。道は無限にある」

 

そう、天狼院書店みたいな形もあるんだ。「人生を変える」とうたうライティング・ゼミでそのとおり人生が変わったという人もいる。写真のモデルになる秘めフォトで女性の人生が変わったという話も聞く。そんな話を聞くだけでもやっぱり気持ちがあがる。

 

そうだ。やっぱり僕は人の変化・成長ってキーワードが好きだ。これからも関わっていきたい。こだわるとすればそこだ。経験やスキルじゃなくていい。

 

永野先生、僕、これからも柔軟にいろんな道を探ってみます。
ゆっくりでも、回り道でも、いいですよね。
 
 
 
 

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2020-04-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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