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チーム天狼院

ごめん、結局、努力なんだわ


記事:田中くみこ(チーム天狼院)

 
 
私は、書くことに苦痛を感じるタイプの人間であるらしい。
 
いい加減、私はその事実を事実として受け止めよう。認めよう。私はどうあっても”書けない側”の人間だ。今この記事を打ち込んでいる腕も重い。遅々として進まない。一体中途半端に投げ出した記事の残骸が幾つになるのか、私はもう数えてすらない。全てゴミ箱に捨ててしまった。
 
思えば、この事実は中学時代から兆候はあった。
中学時代、私はその年代にしては、早々に携帯電話を持たされたくちである。最初は特に使い道がなかったのだが、ある時から携帯小説という存在を知って、私はズッポリそのネットワークの世界にはまっていったのである。その頃の私は、正しく携帯依存症であった。
携帯小説出身の書籍がどんどん発行し始めた頃で、ネットの海には様々な小説があった。中には、「これ本当に素人の人が書いたの?」というような名作もあった。けれど大多数を占めるのは、書店にある小説には到底およびもつかない、素人が書いた文章にちょっと御都合主義すぎる物語展開なものだった。そして改行も無駄に多かった。……しかし、なぜだろう。そういったものでも、確かにそこには「面白さ」があって、ただただ読み漁っていた。私は「物語が好きな大多数の人は、自分でも書いてみたくなる生き物」という持論があるのだが、当然その理由は私が最たる者であったからだ。漫画や小説を読めば、空想に浸って自分がもし登場人物だったらと考えたり、自分のオリジナルの登場人物を考えたり。ふと頭の中に浮かんだストーリーをこねくり回したりした。
 
書こう。私も書こう。私の中で、私だけの、面白い物語を書こう!
いい加減私も書きたい。”書く人”の仲間になりたい。携帯小説は、私の中のハードルを低くして、その場の勢いで、私はその頃頻繁にみていたサイトの登録フォームを踏んだのだ。
 
オリジナルのサイトやブログ、投稿サイトは簡単に登録できる。初めてのことに四苦八苦しながら設定した。あとは、中身だ、小説だ、私だけの物語だ。当時はパソコンもなかったし、携帯のメール画面で打とうと決めた。そしていざ書こうと親指に力を入れた。
 
「あれ?」親指が全く進まない。
 
私は何を書こうと思ったんだっけ。書きたいものの設定やら、展開は一応決めている。決めているんだけど、そもそもどこから書き始めたらいいんだろうか。ええいままよ、と書き始めても、なかなか進まない。言葉がなかなか出てこない。やっぱりあの言い回しおかしい気がすると思えば戻って修正して。頭の中であれだけ好き勝手動いていた登場人物たちは文字の上では動いてくれず。ただただ迷って悩んで、1時間経って文字数を数えてみれば、まだまだ全然書けていない。疲労感漂った。
 
そして何よりショックだったのは、全くこれっぽっちも楽しくなかったことだ。
 
いや、書き始めて、時間を忘れて書く作業に集中したと思う。あっという間に時間は過ぎたし、短いながらを書ききったものを読み返すと、くすぐったい気持ちになる。ほんの少しだけだが、反応があったりするととても嬉し買った。しかし、それ以上に疲れてしまったわけで。次を書こうと思っても、億劫に思ってしまって、当然書く頻度は下がるし、少ない数のうちから更新がパタリを途絶えた。
”書く”ということに、楽しいを感じない自分がショックだった。それまでもなんとなく思っていたことだ。本当に物語を考えるのが好きなのならば、中学生からじゃなくて、小学生、いや、幼稚園の頃から始めていたはずだ。好きな漫画家の人も、小さい頃からお絵描きが好きだったと言うエピソードを思い出した。そうだ、本当に、才能だとか、書くことが好きなのであれば。
 
私には才能が無いんだと思った。思っただけで、目をそらした。才能はないかもしれない。書くことが好きではないかもしれない。
けど、私は”書く側”の人間になれるはずだ。私は”書ける人”になれるはずだ。
 
そう思いい続けて、けど書こうとしても筆は乗らず書き切らず、惰性のようにハウツー本を読み、言い訳しながら中古でパソコンを買ってみた。気づけば中学時代から10年経っていた。
 
 
「私、”書ける人”になりたいんですよね」
 
そう知人にこぼしたのは、なんでだっただろうか。その頃にはすでに「小説を書きたい」というより、そう、「書く人」になりたかった。
 
ぼんやりとした言葉の割に、私の中では明確な”書ける人”についての定義があった。
 
1、”書ける人”とは、書くことが好きで、趣味に息抜きとして書いちゃうような、息をするように”書く”という尊いことができる人。
2、”書ける人”とは、書きたいことがたくさんあって、自然と筆が動いてしまう人。
 
この二つである。わかっているのだ。書きたきゃ書けばいい。最初は辛くても、きっとなれたりコツを掴んだりすると、楽しくなるから、それまでの辛抱だから書いてみたらよかったのだ。
そんな努力さえできないのだから、”書ける人”になるなんて到底無理なのだと、心の隅で思っていたけど、まさか後日、その知人から、わざわざ「文章の書き方を教えている書店」について教えられるとは。そしてわざわざ、ちょうどあった説明会(当時はありました)の予約ページのURLまで送ってくれるとは。小さなぼやきをわざわざ拾い上げてくれたことの気恥ずかしさと、嬉しさを感じたけれど、正直面倒くさいなという気が大きかった。
 
文章の書き方と言うのは、本人のセンスだとか才能とかに付随するものだと思っていたので、果たしてその講座で一体何を教えてるのか、さっぱり見当もつかなかった。ぼんやり、大きいテーブルをかこんで、真剣に句読点のつけ方を語っている光景を思い浮かべた。行く気が起きん。……まあ、説明会だし、単価も安いし、聞くだけ聞いて帰ればいいし……と思って、お申し込みページを開いた。そこに書かれている告知記事が悔しいことにうますぎて、ちょっと当日が楽しみになってしまったのだけれど。
 
結論だけ言おう。
私は説明会が終わる頃には、ライティング・ゼミを受講する気満々になっていたし、その次の春にはそこで働き始めていた。
 
いかに2000字程度の文章を最後まで読んでもらえるようになるか、というその内容に興味津々で、そのテクニックを是非とも教えて欲しかった。
また、講義を聞いて終わりというわけではなく、「体得」を目指す為に、毎週月曜日の23字59分までにフリーテーマで2000字の記事を書いて提出するというのもがあるのもよかった。私は自主的に書かないから、半強制的に書かなければいけないという状況は、とても良いものに思えたのだ。半分を落としてしまったけど、さらに半分くらいは記事掲載になってとても嬉しかった。基準を満たしている記事は、HPに掲載されて、その後さらに閲覧数を競ったりする。私はそのグランプリにかすりもしていなかったが。
正直、2000字を書くというのはきつかった。時間もかかるし……書くのが楽しい、と感じる余裕はなかった。だけど、毎週ではなかったのはいえ、書けたのだ。締め切りが間に合わなかった時は床に転げ回った(これほんと)。それでもとりあえず書けたという事実は素直に喜んでおいた。
 
が、そこで不安が残る。大体の受講生も思ってると思う。
ライティング・ゼミが終わった後、果たして自分は書き続けることができるのか……?
 
正直、締め切りというものがなくなってしまえば、私は書く気がしない。だって、書くのは大変だ。辛い。時間もかかるし。案の定、私は書くことからまた遠ざかっていた。
 
やばい。書かないとやばい。書き続けないと、培ってきたものはすぐになくなってしまう。筋肉と同じだ。サボると筋肉は簡単に落ちる。さらにリバウンドで脂肪がつく!
 
案の定、ライティング・ゼミが終了して、次の春から春からそこで働き始めることになるのだが、その間私は一切記事を書かなかった。
予想外だったことは、私は働き始めても、”書く”ということから遠ざかったことだ。
 
いや、書くことはあった。告知文だったり、SNSの発進だったり。書くことはあった。
けど、2000字前後の、フリーテーマで自分の書きたいことを書いたかというと、書かなかったのだ。
 
これはやばいと思った。
自分は本当にダメなやつだと思った。努力をしろ。努力をしろ。努力をしろ。でも、辛くない??
 
スカラシップという、スタッフでも記事のフィードバックを受けることができる制度があったので、それに「毎週記事を投稿してみな」と言われて、始めたこともある。
ちなみにこちらは、スタッフ相手ということでかなり辛口であった。何回か提出して、何回か掲載となったけど、「(要約)読む価値なし」というコメントを頂いた際に筆がポッキリ折れて以降提出しなくなった。2年と半年は経った今振り返ると、脆弱すぎである。そこはもうちょっと頑張って欲しかった。
 
……そんなこんなで自分を騙し騙して、今である。
今回2000字の記事を書こうとしたのも、だいぶ久しぶりだ。案の定、筆は重いしなかなか進まない。かなりとっちらかった文章になっているだろう。恥である。
 
ああ、もう、良い加減、認めないか。
 
私は”書けない”人間だ。
書くことに喜びよりも、苦痛を感じる人間だ。
「書くのが好きなんです」なんて胸を張って言えない。私には、根性も足りないし、反骨精神も持ち合わせていなかった。
もう自分が恥ずかしくて、みっともなくて落ち込んで。
 
それでも、私は、やっぱり”書く側”の人間になりたいよ。
 
 
 
諦められないことに気がついたので、ではどうするか。
もう、書くしかない。諦めよう、書くしかない。
 
ただの憧れだ、ただの憧れを、ずっとずっと昔から捨てきれずに持ってて、もうなんだ、多分、これ一生続くと悟ってしまった。
「楽しくなくても良いから、辛くても良いから、書く側の人間になりたい」と言わなければ。
言葉に迷いながらでも、書かないと。
 
ライティング・ゼミは、人生を変えるきっかけになることは確かである。
今までそれで変わった人を何人も満たし、変わってない人も、この先いつかライティング・ゼミで習ったことを生かせる場面は必ずある。
 
……でも一言先に行っておくと、このゼミは魔法ではないので。
2000字書くのはきついし、講義を受けたからってスラスラ文章が浮かんで書けるようになるわけじゃない。道筋だとかきっかけだとか、手助けはするけど、ライティング・ゼミは魔法じゃない。
苦労しますよ。結局、努力しないといけないんです。
 
 
私は3年かかって、やっと”書けない人”なんだと認めました。
それでも、”書ける人”になりたいと思うのだと、今更ながら気がついたので、また一から努力しようと思います。
遅いけど、まあ、何事も始めるのに遅いというのはない、なんて言葉もありますし……頑張りますので、どうぞよろしくお願いできましたら幸いです。
 
 
 
 

***

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