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メディアグランプリ

「私が錨を降ろすとき」

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:大森 瑞希(ライティング・ゼミ平日コース)
※この記事はフィクションです。
 
 
「知沙子のコピーにかんぱーい!」
6月の梅雨の時期はかなり蒸し暑い。
新橋駅近くの居酒屋店内は、雨と揚げ物のにおいが充満していた。
祝福を受けている本人の知沙子は、恐縮です、という顔をしながらまんざらでもない気持ちを隠すのに必死だった。
広告代理店・青報堂で知沙子はコピーライターを勤めている。大手飲料メーカーが秋に発売する缶コーヒーの広告プロジェクトで、知沙子の書いたコピーが競合他社を勝ち抜き、見事採用が決まったのだ。
知沙子は大学卒業後、文房具会社に就職した。一年目で売り場に出された時、商品のお勧めポイントや、商品が魅力的に見える言葉を短いフレーズで書くPOPの作成を任された。最初は手探りで書いていたが、自分が書いたPOPの商品が売れるのを見ると、何とも言えない快感を覚えた。広告の仕事がしたいと思い、24歳で青報堂に転職。入社して2年目にして、自分のコピーが日の目を見ることになった。新参者でありながら、その実力が周囲に認められ、順調に広告業界に地盤を固められると思うと、知沙子の心は浮き立つのであった。
「先輩って前職も広告関係でしたっけ?」
新入社員、愛理の声がテーブルの向かいから聞こえる。
「文房具屋よ。でもその頃からPOPとか書いてて、広告には興味があったの」
「えー! すごぉい。じゃあ、前から才能あったってことですね!」
なんて気持ちいいのか。前職で広告の経験を積んでないことはキャリアとしては見劣りするが、成功すれば異業種からの異端児として注目される。望んだ覚えはないのに、自分でも気づかないうちに才能を秘めている、と他人に思われる快感。
自分でも知らないうちに成功してしまったんです、というスタンスでいることが、知沙子自身を一層酔わせるのだった。
 
打ち上げは中盤に差し掛かり、プロジェクトメンバー各々の苦労話に花が咲いた。
「いやぁ、毎日毎日、各会社のコーヒーを飲み続けてお腹痛くなったよ」
「スーパーの売り場や、自動販売機に張り付いて、売れ行きをずっと見続けて足が棒になっちゃってさ」
広告を作る時は、他社製品の売れ行き状況や、客がどんな点に惹かれて商品を買うのかを知る必要がある。その為の市場調査は欠かせない。
「今回のターゲットは若い女性だったから、ポスターの色味には苦労したな。ほら、コーヒーって茶色いし、眠気覚ましに飲む人も多いからか、きりっとした雰囲気が求められて、どうしても黒とかが多くなっちゃうから」
口々に言う彼らの話を、知沙子はぼんやり聞いていた。
私はみんなのようなどさ回りをしなくていい。
いいコピーだけを書いていれば良い。
 
そのまま、会はお開きとなり、翌朝知沙子は会社に向かった。早く着いたつもりだったが、愛理が既に出勤していた。
「おはようございます。昨日は先輩と話せて勉強になりました。」
「こちらこそ楽しかったわ」
「先輩っていつも涼しそうですよね」
「え?」
「なんていうか、みんなの輪には入らないっていうか。一人だけ涼しいところにいるみたいな。」
よく意味が分からない。
「昨日、苦労話をしてた時も、先輩は自分の事じゃないみたいな顔してて、なんだか一人で仕事してるみたい」
愛理は言い終わった直後、上司に呼ばれ行ってしまった。
勉強になった、と言ったくせに嫌味なのか。
知沙子はその後ろ姿を目で追った。
 
仕事が終わり家に着くと、高校時代の友人、和江から電話があった。
「山田先生が死んだって」
「え!? 嘘でしょ?」
「交通事故だって。まだ40代でしょ。可哀想にね」
山田先生は知沙子が所属していた剣道部の顧問だったのでひどくショックを受けた。
「信じられない」
「知沙子、山田先生のこと、すごく尊敬してたもんね」
 
山田先生は、日本体育大学出身で正真正銘の体育会系だ。
剣道を通じて、生徒に強い心を育てることに専心しており、彼のつける稽古は厳しさそのもの。彼のしごきに耐えられず何人もの部員が退部をしていった。
その中で辞めなかった知沙子を含む何人かの生徒は連帯感を増し、自分たちは精神的に強い、という自負を持ちながら三年間稽古に励み続けたのだ。
山田先生は生徒に厳しかった反面、愛情深い人でもあった。生徒が試合に勝つと、生徒本人より喜んだ。よく叱り、よく褒める人だった。
知沙子は、厳しくも優しい山田先生が大好きだった。
高校卒業後も、人生で苦しい局面に陥った時はいつも山田先生を思い出し、自分を奮い立たせた。
そんな山田先生が、一度だけ知沙子が県大会で優勝した時、叱った事があった。
決勝戦終了直後、知沙子はマネージャーに自分の竹刀と防具を渡し、先生のもとに走った。
「森本、おめでとう」
「ありがとうございます。先生の指導のおかげです」
「俺だけじゃなく、他の人にも感謝をすることが出来ないか?」
何を言われたのか一瞬分からなかった。先生は、私がさっきマネージャーに荷物を預けた時の渡し方が、ぞんさいだったことを指摘した。そんな自覚は一ミリもなかった。
「お前が強くなれたのは、一緒に稽古してくれる仲間や、練習を支えてくれるマネージャーがいるからじゃないのか?」
仲間がいることや、マネージャーが私たちの練習をサポートするのは当たり前のことだ。
優勝をしたばかりだというのに、知沙子は自分が何を叱られているのかわからなかった。
「人の真価が問われる時は二つある。一つ目はピンチに陥った時。二つ目は成功した時だ。その時の行動や態度を見れば、その人の本性が分かる」
先生の表情は怒っているというよりは、大事なことをどうしても知沙子にわかってほしいというような切実さがにじみ出ていた。
「どんなに成功しても、人に感謝が出来なければ、いずれは潰れてしまう。お前の気づいていないところで無意識にそんな行いをしてしまうのだとすれば、意識して辞めるべきだ」
 
先生は私の本性を見抜いていたのかもしれない。
昨日、みんなと自分を比較して、確かに私は高みに立ったつもりでいた。
思えば恥ずかしい事に、コンペが終わってから一度も仲間にありがとうを言わなかった。
私がコピーを書けたのは、みんなの仕事があってのことだったのに。
私はあのころから、ちっとも変われてない。
そのことに泣きたくなった。
 
先生の言葉は私にとって心の錨だった。
そのままにしておけば船は波間に揺られ、風に煽られてしまうから、水夫はしっかりと錨を沈める。
私の心が間違った方向へ漂う時、先生の言葉が錨となって沈み、私をまともな人間に引き戻してくれた。
 
もう私の心の錨を降ろしてくれる人はこの世にいない。
私が自分で降ろすしかないのだ。
先生を失望させる人間にだけはなりたくない。
 
明日、プロジェクトのメンバーに心からお礼を言おう。
知沙子はそう決心した。
 
 
 
 
***
 
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2020-05-02 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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