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英文科の落ちこぼれがTOEIC930点を達成するまで


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記事:平野友喜(ライティング・ゼミGW集中コース)
 
 
「日本人であるユキが、ここにいるということは、皆の何倍も努力をしてきたということだ」
 
私は今にも泣きそうになった。
大粒の涙がこぼれるのを、クラスメイトに知られまいと必死にこらえた。
少しでも気を緩めたら、嗚咽をあげて泣いてしまいそうだった。
オーストラリアで英語の集中コースを受けていた時、ヨーロッパ人のクラスメイトを前に先生が言ってくれた、この一言があったから、私はTOEICで930点を達成できるほどに英語の勉強を続けることができたと言っても過言ではない。
 
TOEIC930点と聞くと、帰国子女なのか、小さいころから英語の英才教育を受けていたのか、と思われるだろう。
ところが、私の20代は英語コンプレックスとの戦いだった。10年以上に渡るその戦いは、大学入学とともに始まった。
 
私の出身地は、島根県。
今も昔も、出雲はのんびりとした田舎である。
モノも情報も東京と同じようには得られない。
それでも、インターネットが普及してからは情報格差が小さくなりつつあり、地方にいても様々な情報を得ることができるようになってきたと思う。
 
しかし、私が高校生の頃は、全く違う状況だった。
モノも情報もない田舎で高校時代を過ごすことは一つのリスクですらあった。
 
たとえば、島根では東京と同じような予備校での教育は受けられなかった。
同様に、大学の情報そのものを手に入れることも難しかった。
東京の高校生であれば、直接、大学のオープンキャンパスに参加することもできたと思う。しかし、島根の高校生で、志望校のオープンキャンパスにわざわざ足を運んでいる学生は少数だった。島根からだと、ちょっと電車で1時間、というわけにいかないからだ。
インターネットもまだ普及していない時代、大学のホームページもなかった。
当時の私は、仕方なく、赤本と先生からのアドバイスだけを頼りに、志望校を選んだ。
それが、英語教育を売りにしている大学の、英文科だった。
特別、英語が得意でもなく、好きでもなかった。
 
こうして私が入学した英文科では、授業はすべて英語で行われた。
今ならわかる。
英語教育を売りにしている大学に、よく知らないまま入学することほど怖いものはないと。
周りには、帰国子女や、「英語が大好きで、独学でペラペラになるまで頑張っちゃいました」みたいな学生が溢れていた。
何も知らずに、うっかり田舎から出てきた私は、自分の英語力のなさに面食らった。
同じ18年という人生を歩んできたはずなのに、英語力にここまで差があるとは……
英語での授業を理解し、自分の意見を英語で発表し、英語でレポートを提出できる人がいる一方で、自分は聞けない、話せない、書けない。
大学入学から間もなく、私の英語コンプレックスは岩のように鎮座し、心にのしかかるようになった。
差が圧倒的だと、挽回しようと努力することすらバカらしく思えた。たかが英語ができないだけ、と自分に言い聞かせた。
 
授業についていけないと、次第に大学から足が遠のいた。
成績はほとんどがCで、就職活動の際に、面接官に「どうやったらこんな悪い成績がそろうのか」と聞かれたほどだ。英文科の落ちこぼれだった私は、英語ができるようになることもなく、卒業単位ぎりぎりで何とか大学を卒業した。
 
卒業したら、英語コンプレックスから解放されると思っていた。
しかし、社会人になってからは、今度は英語を使って活躍する友人を素直に祝福できない自分に気がついた。
 
友人のロンドン支社転勤が決まった時
NGO活動でカンボジアやマレーシアに行く友人を見送るとき
留学先のアメリカで就職が決まった友人を祝福するとき
 
自分が英語ができないことを理由にあきらめてきた夢を、友人たちは叶えている。
そして、自分は祝福の言葉を口にしながらも、心の中では嫉妬している。
そんな自分がとても嫌になった。
「私はこの先ずっと、英語ができないことを理由に、大切な友人すら祝福できない人間なのか」
この時に、英語を真剣に学びたいと、強く思った。
誰のことも、笑顔で祝福できる人間になりたい、とも。
 
その後、オーストラリアへ渡り英語の集中コースに入った。
一日12時間、ひたすら英語を勉強した。
この集中コースでは大学に入った時と同じくらい、つらい思いもした。
14人のクラスメイトのうち、アジア人は私一人、残りの13人はドイツ、フランス、スペインの学生だった。
 
3か月後に受ける試験に向けて、私が必死に机にかじりついている頃、彼らはビーチに行ったり、サッカーをしたり、ワイナリーへ旅行に行ったり、夏のシドニーを大満喫していた。
授業で私だけ答えられないことは日常茶飯事で、その度に本当に悔しい思いをしてきた。
彼らが遊んでいる間にも、私はこんなに勉強しているのに。
 
ある日、クラスメイトのフランス人の男の子が声をかけてくれた。
「なんでユキはいつも勉強してるの? 一緒に遊ぼうぜ」
「明日のテストに向けて勉強しておかないと心配だから」
「大丈夫、大丈夫! 心配しなくてもできるよ」
 
その瞬間に、それまで張りつめていた糸がプツっと音を立てて切れたような気がした。
「あなたは大丈夫かもしれないけど、私は、できない」
強烈にネガティブな感情が沸き上がり、こんなに頑張っても、遊んでいる彼らと同等にすらなれない自分が悲しかった。
英語へのモチベーションは、ほとんど切れそうになっていた。
 
そんな時、先生がクラスのみんなの前で話してくれた言葉に救われる。
「英語と同じラテン語から派生したヨーロッパの言葉を話す君たちにはわからないかもしれないけど、日本人のユキがこのクラス(校内の最高クラス)に入るためには相当な努力をしてきてるんだ。日本語は、単語の語順からして英語とは全く異なる。そんな言語を母国語に持つ日本人にとって、ここまで英語力を高めるためには、何倍もの努力が必要なんだ」
 
授業中に、私が何度も悔しい思いをしてきているのを、先生はきちんと見てくれていたんだ。苦しい思いをして頑張っているのを、認めてくれているんだ。
 
そう思うと、今にも涙がこぼれそうだった。
 
クラスメイトとは、もともとスタート地点が違うかもしれないけど、他人と比べて落ち込むのはやめよう。
日本人である私は、私なりに頑張ればいい。
 
先生の一言で、私はモチベーションを取り戻すことができ、最後まで勉強を続けることができた。オーストラリアで頑張った証として残したいと、帰国して受けた最初のTOEICは930点だった。
 
英語の勉強法は様々あるし、自分に合うものを選べばよいと思うが、結局、あきらめずにコツコツ積み上げたものが結果として残るのだと思う。英文科で落ちこぼれ、オーストラリアでも、けして順風満帆に英語力を伸ばせたわけではないけれど、英語学習を通して継続することの力を実感している。
 
 
 
 
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2020-05-05 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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