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メディアグランプリ

裁判所へ誘われて


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記事:井村ゆうこ(リーディング倶楽部)
 
 
何年か前から、私は裁判所に通っている。弁護士でも検察官でも裁判官でもない私が、法廷の扉を開けて向かう先は、傍聴席だ。自分の家族や友人が関わっている裁判ではなく、まったく関係のない、赤の他人の裁判を傍聴するためだけに裁判所へ足を運ぶ。そのきっかけをくれたのは、ひとりの友人と一冊の本だった。
 
「あした、暇か?」
大学3年のときのことだ。アルバイト先のレストランで仕事中、バイト仲間の友人が声をかけてきた。
「お昼までは空いてる」
「じゃあ、ちょっと付き合えよ。9時半に関内駅で待ち合わせってことで」
「いいけど、どこへ行くの?」
「裁判所だよ」
「裁判所?」
友人の口から飛び出した予想外の単語を、オウム返しするしかなかった私の顔を見て、友人が笑う。
「そう、裁判所。裁判の傍聴に行こう」
 
翌日、私は友人と共に横浜地方裁判所の門をくぐった。入り口でその日の裁判予定をチェックした友人は、目当ての裁判が行われる法廷へと歩を進めた。足取りに迷いはなく、通い慣れた様子がうかがえる。
「何回目なの? 裁判の傍聴」
「さあ、覚えてないけど。半年ぐらい通ってる」
通っている、ということばに頻度の高さと、回数の多さを感じた。法学部の学生でもないのにどうして、と問う私に友人が答える。
「テレビで裁判の傍聴のことやっててさ。どんなものなんだろうと思って行ってみたら、おもしろくてやめられなくなった」
裁判の何がおもしろいのか見当もつかない私は、半信半疑のまま法廷に入り、傍聴席に腰を下ろした。
はじめて目にする法廷は、テレビドラマで見るそれと変わらないように感じた。向かって左側に検察官、右側に弁護人が既に着席していた。落ちついた様子で開廷を待つ友人の隣で、私は辺りを見まわした。傍聴席には私たちの他にも何人か座っていたように記憶している。数分後、被告人が入ってきた。両側を刑務官に挟まれ、手錠をはめられていた。友人に体を寄せて、手錠している、と小声で話しかける。友人が人差し指を口にあて、黙るよう伝えてきた。法廷内では私語厳禁であることを、このとき知った。最後に裁判官が入廷する。検察官や弁護人だけでなく、傍聴人も全員起立し、一礼すると裁判が始まった。ひとりだけ立ち上がるのが遅れた私は、転校生が一日目に味わう緊張感を握りしめて、裁判の行方を見守った。
 
40代の無職の男が、地方からでてきたばかりの20代の女を騙して、金を奪いとった恐喝事件について審議が行われた。身寄りのない女に言葉巧みに近づき、自分を信用させた男は、女のアパートに転がり込む。結婚をちらつかせて金を出させ、次第に暴力によって女を支配していった、というのが事件のあらましだ。検察官から、被害者に対してどう思っているかを問われた被告人が、泣きながら答える。
「彼女には本当に申し訳ないことをしたと思っています。お金は働いて返します。もし許されるなら、彼女に会って謝りたいです」
被告人より10歳以上若く見える検察官の鋭い声が、法廷内に響く。
「会えるはずないだろ! 彼女は怯えているんだ。お金は返してくれなくていいから、二度と自分の前に姿を現して欲しくない。そう言って、震えていたぞ」
ジャージ姿でうなだれる40男の後ろ姿からは、女ごころをつかまえる魅力も、暴力を振るう迫力も感じとることはできなかった。続いて、裁判官の落ち着いた声が、被告人に向かって発せられた。
「被害者の体の傷は消えるかもしれませんが、こころの傷はなかなか消えるものではありません。そのことをよく考えて、反省してください」
今もこのとき耳にした裁判官のセリフを、私は忘れることができない。
 
裁判が終わりに近づくにつれ、友人が私を裁判に誘った理由が、私にはわかってきた。
当時、私は年上のフリーターの男と付き合っていた。口が達者な男で、おかしなことを言っては、些細なことで落ち込む私を笑わせてくれた。ひとつの仕事を長く続けることができない男は、いつも金に困っていた。
私を傍聴に誘ってくれた友人は男のことを知っていた。私が男に金を渡していることを知っていた。男が一人暮らしをしている私のアパートに入り浸っていることを知っていた。
友人は私に、被害者の女性と同じ匂いを嗅ぎとったのかもしれない。「男に利用されているだけだって気がつけよ」そう伝えたかったのかもしれない。口下手な彼らしいやり方だった。
 
裁判所では、日々さまざまな犯罪を裁いている。ニュースに報道される重大な事件から、新聞の片隅にも載らない小さな事件まで。そのひとつひとつに被害者がいて、加害者がいる。一生自分はそのどちらにもならないと断言できる人はいるだろうか。信じた相手から思いがけない裏切りをされるかもしれない。ほんの少しの不注意で事故をひき起こしてしまうかもしれない。生きている限り、私たちは誰もが、被害者にも加害者にもなり得るのではないだろうか。たった一回の裁判傍聴が、私にそのことを教えてくれた。
 
初めての傍聴から20年以上、裁判から離れて暮らしていた私を、再び傍聴席へ引き戻したのが、「裁判長! ここは懲役4年でどうすか」(北尾トロ著 文春文庫)という本だ。
ライターである著者の北尾氏が、雑誌の連載企画で始めた裁判傍聴について、軽快な文章でレポートしている。被告人だけでなく、裁判官や検察官、弁護人から被害者の家族まで、さまざまな立場の人間を観察し描写することによって、私たち読者を傍聴席に座らせてくれる。裁判を目の前に再現してくれる。そして、誘ってくる。裁判を見に行こうと。人間を見に行こうと。人生を見に行こうと。
 
この本を読み終えたとき、私の足はふたたび裁判所へ向かった。
 
 
 
 
***
 
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2020-05-06 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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